AnotherWorldCup
2002夏:佐谷恭

中国の新通貨単位

旅をしていてその国の物価を計るとき、身近なものを基準にして判断する人が多い。ある人はプリングルス、ある人はバスの初乗り運賃をもとに、その国の物価を知り、お土産の値段交渉をする。

西安のユースホステルで2人のノルウェー人と知り合った。僕と彼らとはやけに気が合い、数日間をともに過ごした。兵馬傭を訪れ、古代の書を鑑賞し、バーで飲み、ネットカフェに行った。一人は北欧系、もう一人はインド系、そしてぼくは黄色人種なので、白・黒・黄色の3人はどこに行っても目立った。
どこへ行っても注目されるようになり、僕らも調子に乗って西安で旋風を巻き起こした。風をきって町を闊歩した。
酒をたくさん飲むと人間は興奮する。これはある程度正しいと思われている。その逆も真であり、興奮すると酒量も増える。
「それじゃあ、ビールでも飲んどくか!」
鼻息の荒い3人組は時間とともに確実に酒量を増やした。一本2元 (約30円)でビールが買えることもこの傾向に拍車をかけた。

こうして3人はどこへ行ってもビールを注文するようになった。ビールが価値判断の基準となり、「これを買うぐらいならビールを買おう」とか「ここの入場料はビール15本分もするぜ」などと言うようになった。そしていつの間にか中国の通貨単位の元(yuan)よりもビール(piju)という言葉を自然につかうようになった。
毎日がエキサイティング。ダース単位で商店のビールを買い占め、それをふるまうことにより、旅行者の間に新単位"piju"を広めていった。
何日かが過ぎると、3人は新単位"piju"の開発者として、ユースホステル内では知らない者がいないほど有名になっていた。そして、ついに、この新単位を中国人民たちに発表する機会を得るまでになったのである。

ある日、3人はいつものように1ダースずつのビールを抱えてホステルに戻った。ロビーには大きな録音設備を持った中国人が待ち構えていた。
そこにいたのは西安を中心とするFM局のスタッフであった。外国人にインタビューをしようとホステルにやって来たらしいのだが、誰かが「有名な3人」の存在について伝えたようで、僕らの帰りを待っていたとのことだった。
インタビューは「西安の印象」や「自国との比較」などありきたりのものから始まった。しかし、英語のあまり堪能でないインタビュワーから話を乗っ取るのに、それほどの時間はかからなかった。僕らは新通貨単位について勝手にまくしたてた。あっという間に30分が過ぎていた。

「非常にユニークな外国人旅行者の方々でした」
最後にインタビュワーはそう締めくくった。
この歴史的なインタビューは全国規模でオンエアーされ、以後新通貨"piju"が中国全土で使われるようになった。

と信じている。

◆「水より安い千麦ビール」(1.4元)もあります。

 

フランス惨敗

フランスは1勝もできないままワールドカップを終えた。
さまざまな国からの旅人が集まるユースホステルはワールドカップの話題で持ちきりだった。フランスが敗れたというニュースにはそこにいたほとんどの人が喜び、興奮した。フランスチームは優勝祝賀会のために日本に大量のワインを送ったが、それを見ることもなくソウルから直接パリへ戻ったという報道もあった。みな大笑いした。

端のほうに神経質そうな顔をしたフランス人がいた。気分の昂ぶっている僕らは彼を外に連れ出し、サッカーをすることにした。
ワールドカップの結果で自分の国をコケにされた彼は全く乗り気ではなかったし、いかにも運動音痴そうな感じだった。「サッカーなんて好きじゃない」と言い張るので、僕らはますます面白がり、外へ導いたのだった。

彼は下手くそだった。今までいろいろな国の人とサッカーをしたことがあるが、不思議なぐらいに欧州人はみな上手だった。しかし、その彼はひどかった。僕の知る限りは世界でワースト1と言ってもいい。
つまらなそうにボールを蹴る姿があまりにあわれだったので、このぐらいで勘弁してあげようと思ったとき、後から加わった近所の中国人が彼に向かってボールを蹴りこんだ。ボールは見事(?)彼の眼鏡に命中した。
激昂した彼は眼鏡がずれたまま、ボールを強く蹴り返した。ボールはものすごい勢いであさっての方向に跳んだ。ボールは近くの電線を切った。

後から加わった中国人はフランス人にものすごい剣幕で捲し立てた。しかしフランスはどうすることもできず、オロオロしていた。電線を切ったことを責め続けながら、中国人は梯子を持参し、自らの手で電線をつなぎ直した。それはそれは見事な手さばきだった。感電することなく、無事に修理を完了した。

そんな姿にフランス人がシビレていた。フランスは中国にも完敗していた。

 

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