退屈な町
アルマトィは退屈な町だった。道路が広めで街路樹も多く、公園に行けば緑があふれているのだが、それ以外の場所は極めて無機質な感じがするし、特徴がない。ビザの関係でこの町に滞在せざるを得ないのだが、することがない。町の南側にある天山山脈はとても美しく輝いているが、それは却って、アルマトィの暗さを引き立てているような気がした。晴れていても、曇っていても、この町はいつも灰色だった。
時間を潰すためインターネットカフェに行った。コンピューターの性能が悪すぎたし、回線速度が遅すぎた。30分もコンピューターの前に座っていたが、見られたのは画面上の砂時計だけだった。ネット利用料としてTg400(Tg=テンゲ、$1=Tg150ぐらい)ものお金を請求され、ロシア語しか話さない店員に「利用していないこと」を納得させるのに30分以上かかった。
アルマトィ滞在2日目にノルウェー人と知り合った。彼もビザ待ちのために不毛な日々を過ごしており、暇を持て余していた。時の流れをスムーズにするために僕らができることは、「朝寝坊すること」と「酒を飲むこと」だった。
まずいビールをしつこく喉の奥に流し込んだ。
意味もなく公園を歩いていると、2人の女子大生に会った。カザフアメリカン大学の学生である2人は英語を流暢に話したので、僕は初めてカザフ人とまともな会話ができると喜んだ。「カザフ土産を買うのにベストなデパートを教えてあげる」という甘い誘いに乗せられ、タクシーで中心街へと向かった。到着すると「あそこだよ」とそのデパートを指差し、2人は去っていった。まんまとタクシー代を払わされたのである。
アルマトィでは僕を刺激する要素にめぐり合うことができなかった。しかし、アルマトィを離れようとした日、それからの旅をエキサイティングにする人物に出会った。
いい出会いは、さらなるいい出会いを呼ぶ。数々のトラブルで下がりっぱなしだったテンションは、この人物によって一気に引き上げられた。

坊さん
その人物とは、カザフ人の坊さんであった。
日本山妙法寺に属し、樺色の袈裟を着ていた。アルマトィとビシュケクの2つの寺で修行を積んでいるということだった。僕は彼に、アルマトィの西方にあるバスターミナルで会った。
広大な敷地にはに特徴のないバスがたくさん停まっていた。不親切な切符売場やこれらのバスはやはり灰色に見えた。行き先も案内表示も全てキリル文字で書かれており、途方に暮れた。何人かに切符を見せながらどのバスに乗るべきか尋ねたのだが、ガイコクゴで話しかけられた面倒くささか、露骨に嫌な顔をされ、無視された。
「これだからカザフはイヤだ!」
などと悪態をつこうとしていたそのとき、灰色の世界の中に光明を見た。鮮やかな樺色の袈裟と真っ赤に日焼けした顔、そして光り輝く坊主頭である。その姿は遠めにもまぶしく、まさに仏という感であった。近づいてみるととても人なつこい顔をしていた。迷わず話しかけると、行き先が同じであった。その坊さんは違う便の切符を持っていたのだが、わざわざ自分のを変更し、僕と同じバスに乗ることになった。
「困ったことがあれば何でもきいてください」
隣の席に座った彼はそう言うと袈裟の四次元ポケットからパンや果物、ミネラルウォーターなどを次々と取り出し、与えてくれた。国境や検問所では役人の嫌がらせに対処してくれた。ビシュケクにいる自分の友人について滔滔と語り続け、ついには紹介してくれることなった。
ビシュケクに到着すると、言われるがままにバスに乗り込み、日本山妙法寺を目指した。
寺にはアルバイトを含めて3人のお手伝いさんがいた。面白いことに、そのうちの1人はイスラム教徒だった。中華料理と韓国料理を頂き、庭でサッカーをした。様々な人が寺には出入りしており、人の流れを観察するだけでも楽しかったが、絶え間なく出入りする訪問者との会話は旅の醍醐味を存分に感じさせてくれた。
訪問者の中に日本語・韓国語・中国語を流暢に話すキルギス人がいた。僕は坊さんからその人物を紹介された。彼に導かれ、ビシュケクの中心部へ向かった。
中央アジアの毎日は、この日から熱くなる。
|トップページへ|次へ|
|