AnotherWorldCup
2002夏:佐谷恭

国境を越える

初めて陸路国境を越えた日のことをよく覚えている。

それは1995年12月のことで、その日は朝から興奮していた。ベトナムに向かうため、カンボジア・プノンペンのキャピトールホテルで、他の旅人3人とタクシーに乗り込んだ。日本にはない、陸路国境とはどういう「線」なのか、一緒にいた人たちに車中で何度も聞いた。

「面倒なだけだよ」

旅歴20年以上の人がそう断じた。彼の冷めっぷりは、胸が高鳴りっぱなしの僕と対照的だった。僕が何度同じ質問をしても、そっけなく同じ答えを繰り返した。彼によると「国境の役人なんてものは口実をつけて金をせびるだけで、国境越えに感動などなにもない」とのことだった。

僕は彼の言葉を信じなかった。彼とはその数日前に会ったのだが、彼の口から出る言葉の半分は「ボられたか、ボられなかったか」というものばかりだったからだ。ボられなければOK(ゼロ)で、ボられたらネガティブな感情(マイナス)を抱く。彼はそういう人だった。

旅慣れたその人の強い口調に、ほかの旅人は口をつぐんでいた。しかし、僕が繰り返し、国境への期待を語っていたところ、ようやく1人が重い口を開き、「何ていうかな。面倒なのは確かで、手続きとしてはないほうがいいんだけど・・・。線をまたぐと世界が変わるんだよ。変化がはっきりと分かる」と言った。

それは僕が思い描いていたことだった。その台詞を待っていたと言っても過言ではない。その一言を聞いて安心感を感じ、国境越えの心構えが出来たように思う。数時間後、初めての陸路国境で、僕は線一本で世界が変わるさまを確認した。

その線を越えるだけで、言語が変わる。民族が変わる。売っているものも変わるし、持っている紙幣が紙くず同然になる。国境は、何らかの理由で、人間が引いた線に過ぎない。けれども、その線を守ろうという両側の意思の力が、「こっち」と「あっち」を分断するのだ。線をまたぐだけで、劇的に変わる環境を感じることは、ものすごく意義がある。国境越えは旅の醍醐味である。

そして、僕自身、何度も何度もいろいろな国境を越えるまで気づかなかったが、この醍醐味を増幅させる要素が国境にはある。越境が面倒であれば面倒であるほど、環境の変化をより大きく感じることができるのだ。

国境のガードが固いということは、ヒト・モノの行き来が限られており、両側が同化しにくい(または異化される)ことを意味する。そして待たされる時間に、旅人は滞在した国の思い出に浸り、次に行く国に期待を抱く余裕を持つ。

荷物を全部開けられたりすることについては、もちろん、いい気がしない。でも、ほとんど荷物を持たずに旅をする僕は、数十秒間リュックを開けられても、どうも思わなくなった。チェックした後、閉めてさえくれればいい。

それよりも、国境を守る役人たちと雑談するのが楽しい。日本で役人というと、お堅いイメージがある。イメージだけでなく、実際そうだ。パスポートコントロールで笑い話に興じるようなことは皆無だろう。だが、僕の通った主にアジアの陸路国境を守る役人たちは全く違う。発する言葉の半分以上は、役人としてというより個人としての興味を追求しているように僕は感じた。また、複数の役人がいる場合、大概僕をチェックするのは1人のみだ。ほかの役人は、雑談が仕事のようだ・・・。

国境を守る役人は、旅人にとって、最初または最後に話す現地人だ。あまりに会話が楽しすぎたため、出国手続きを止め、その国をもうしばらく旅しようかなどと思ったことが何度もある。

さて、では中央アジアの国境はいかに。

結論から言うと、国境をはさむ両国に思いを馳せるための時間はたっぷりあった。しかし、かの地では、たっぷりある時間ずっと、旅人は不安定な状態に置かれる。

中央アジア諸国を旅しようとすると、ビザの手続きにものすごく手間がかかる。大使館に行って申請書に記入すればよいというような生易しいものではなく、日本から現地の旅行代理店にファックスやメールで連絡し「招聘状」を送ってもらったりしなければならない。また、全ての国の大使館が日本にあるわけではないし、希望通りにビザが出ないこともある。ビザが出るかどうか、向こうの気分次第だ。

ちなみに僕の場合、日本で取得できたのはカザフスタンのビザだけだった。キルギスはちょうどいいタイミングでビザなし渡航が可能になり(よかった…)、ウズベキスタンのビザはカザフスタンで取り、トルクメニスタンのビザはウズベキスタンでそれぞれ取った。カザフスタンのビザは先方の都合(?)で観光ビザではなくビジネス用ビザだったし、トルクメニスタンのビザは取得時に「何とかしてくれ」とひとこと言っただけで、有効期限が3日から4日に延びた。

また、中央アジアの国境は非常に複雑に入り組んでいる。どういうことかと言うと、例えば、キルギスからウズベキスタンは隣接しているが、幹線道路はカザフスタンを通っているウズベキスタンのタシケントからサマルカンドまで“国内移動”しようとすると、その道路の一部がカザフスタンを通過している。そのため、時々(ここがポイント!)ビザを要求される。

そんなわけで、国境を越える日も、越えない日も、いつもビザのことを考えていなければならなかった。国境に対して、かなりポジティブなイメージを持っていた僕も、これには正直、かなり参った。

国境越えのとき、さらに困難だったのは、役人たちとほとんど言葉が通じなかったことだ。彼らと雑談や情報交換ができないと、そこにいる時間が苦痛に変わる。しかも、僕と共通言語を持たない役人たちは、ほとんどの時間、僕を誰もいない部屋に置き去りにした。加えて、役人たちがほぼ例外なく、賄賂を要求してきた。ビザについてはかなり気を使っていたため、正式に必要なもの
はすべてそろえて国境に来ているのだが、スタンプがないと僕が先に進めないことを知っている役人たちからの非言語的メッセージは、いつも「払えば、行けるぞ。払えよ」というものだった。

払うことは簡単だ。100ドルも要求されることもあれば、5ドル程度のこともある。場合によって、“安い”から払った方が楽なのではないかと気持ちが揺れることもあった。だが、僕は決してそうはしなかった。簡単にその場を切り抜けるよりも、意地でも譲らない方が、結果的に面白くなると本能で知っているからだ。そして、僕は通過したすべての国境を“無料で”通過することに成功した。

待ち時間は、短くて20分、長いときは3時間以上だった。驚くべきことに、バスに同乗していた、ほとんどフリーパスで国境を通過できる現地人たちが、たった1人の外国人を辛抱強く待ってくれた。彼らを待たせていることが特に、役人の金銭要求に揺れ動く原因だったが、「先に行ってくれ」という言葉に彼らが全く応じず、「ゆっくりでいいぞ」と声をかけてくれたのが心強かった。再びバスに乗り込んだときに、全員で拍手をしてもらったときの感激は、決して忘れない。

それから4年後に、この文章を書くに当たって国境で待機した時間のことを思い出してみた。1つひとつの場面では、その時間はどう考えても辛いものでしかなかったと思う。しかし、その時間を過ごしたことにより接したものや感じたことは、僕が思い描き、確認してきた国境越えのロマンを増幅させることはあっても、決して萎縮させることはなかった。

 

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