ブラッドフォード大学大学院 体験記
(MA in Peace Studies, University of Bradford)

静かな車内に響く「テロ」という言葉


地下鉄に乗っていて非常に違和感を感じた。

東京メトロでは現在テロ対策を強化しております。不審な人物や物を発見した方は・・・」

静かな車内に響く「テロ」という言葉。不審物に関するアナウンスは地下鉄サリン事件依頼すでに9年以上になるのだろうが、それに今では「テロ」という単語を殊更強調したアナウンスが放送されている。この一年ほどの政府主導の「国際協力」のやり方により「テロリスト」による日本での攻撃の可能性が高まったのは確かであろうから、それに対して警戒を高めるのはいい。しかし、「テロ」という言葉を連呼する、そのやり方には疑問を感じる。「テロ」を含んだアナウンスに対して乗客がどれだけのことができるか、毎日々々この単語を聞き続けている人への心理的な影響はどうだろう。

この現象はワールドカップのときの「フーリガン対策」にも似ているような気がする。マスコミは警察の広報担当として「フーリガン」を連呼した。それを見る人は一年以上もマスコミから不安をかきたてられた。結局何も起きなかったのはその対策のお陰か、特別警戒態勢のお陰か。そうかもしれないが、僕などは異常な厳戒態勢とそれを正当化するマスコミ報道を見て、ものすごくイヤなものを感じたものだ。

平和という言葉は定義するのが難しいが、平和の状態を大きく二つに分けて定義する考え方がある。
一つは戦争や暴動など物理的な暴力がない状態(消極的平和)、もう一つはこれを前提とした上で、貧富の差や収奪など構造的な暴力がない状態(積極的平和)である。前者は大国の介入や権力により無理矢理終わらせることもできる(できない場合も多いが)。しかし、後者は人権や平等性を獲得していく過程であり、権力によってその制度を与えられるだけでは十分ではなく、それが安定して運営される土台が必要となってくる。
そのための前提条件の中に、心の平静がある。他人や地球環境に対する思いやりという、自分以外のことも考えることが積極的平和実現のための第一歩である。そのためには心にゆとりが必要であり、それがなくなれば積極的平和の実現可能性もなくなる。そして、構造的な暴力に対する疑念が薄れれば、それはさらにエスカレートし、消極的平和も脅かされる。

テロやフーリガン対策は、消極的平和を崩壊させないのための努力であるとは思う。しかし、それを推進していくためにいたずらに不安を煽るようなやり方は、平和を維持するためのシステムを作っているように見せかけながら、それを運営していくための土台を破壊するという突貫工事的な努力にすぎない。土台の崩れた建物は、外観がどんなに立派だろうと意味がない。


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