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ブラッドフォード大学大学院 体験記 静かな車内に響く「テロ」という言葉地下鉄に乗っていて非常に違和感を感じた。 「東京メトロでは現在テロ対策を強化しております。不審な人物や物を発見した方は・・・」 静かな車内に響く「テロ」という言葉。不審物に関するアナウンスは地下鉄サリン事件依頼すでに9年以上になるのだろうが、それに今では「テロ」という単語を殊更強調したアナウンスが放送されている。この一年ほどの政府主導の「国際協力」のやり方により「テロリスト」による日本での攻撃の可能性が高まったのは確かであろうから、それに対して警戒を高めるのはいい。しかし、「テロ」という言葉を連呼する、そのやり方には疑問を感じる。「テロ」を含んだアナウンスに対して乗客がどれだけのことができるか、毎日々々この単語を聞き続けている人への心理的な影響はどうだろう。 この現象はワールドカップのときの「フーリガン対策」にも似ているような気がする。マスコミは警察の広報担当として「フーリガン」を連呼した。それを見る人は一年以上もマスコミから不安をかきたてられた。結局何も起きなかったのはその対策のお陰か、特別警戒態勢のお陰か。そうかもしれないが、僕などは異常な厳戒態勢とそれを正当化するマスコミ報道を見て、ものすごくイヤなものを感じたものだ。 平和という言葉は定義するのが難しいが、平和の状態を大きく二つに分けて定義する考え方がある。 テロやフーリガン対策は、消極的平和を崩壊させないのための努力であるとは思う。しかし、それを推進していくためにいたずらに不安を煽るようなやり方は、平和を維持するためのシステムを作っているように見せかけながら、それを運営していくための土台を破壊するという突貫工事的な努力にすぎない。土台の崩れた建物は、外観がどんなに立派だろうと意味がない。 Copyright (c) 2000-2004 BEEMANet All Right Reserved. |