ブラッドフォード大学大学院 体験記
(MA in Peace Studies, University of Bradford)

想像力の欠如


広島、原爆の日。市長のスピーチの中で「想像力の欠如」という言葉が印象に残った。誰が見ても悲惨な現実がたくさんある。原爆だけでなく、無辜の市民の爆撃、虐待、劣化ウラン弾、卑劣な責任転嫁・・・。そのときは悲惨だとか大変だと思っても、自分の問題として捉えられない。

湾岸戦争で戦争は生中継で見れるようになり、インターネットの発達で凄惨な映像はいつどこででも手に入るようになった。クーラーの効いた部屋から灼熱のアフリカで飢えた子どもたちの画像が見え、静かな部屋の中でテロ事件で爆弾が爆発した瞬間が見える。悲惨さを想像する必要はない。すでに目の前に見える。しかし、それが自分の問題として捉えられない。同じ世界の出来事として想像できない。そこで起こっているのに、そこがどこか分からない。

ある事件は自分とどのように関係しているのだろう。世の中に悲惨な事件はたくさんあるが、それが起こる割合は起こらない割合よりもきっと少ない。しかし、それは自分の近くで起こらないということを意味しない。だから、世の中で起こっていることを自分との関わりの中で捉え、思うだけでなくそれにアクションを起こすこと――それが世界を、というと言いすぎと「断定」する人がいるので、自分のいる場所を良くする唯一の方法である。自分の身の回りでイヤなことが起こるか起こらないか・・・それを運に任せるのは馬鹿げている。自分たちの行き先は自分たちで決めようじゃないか。

自分と世界とのつながりを想像する必要がある。世界は遠い?なぜそう思いこんでいる。気になる場所は自分で見に行ったか?行ってないならばなぜそこが遠いと分かるのだ。なぜそこが遠いと決め込んでいるんだ。世界は近いぜ。


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