ブラッドフォード大学大学院 体験記
(MA in Peace Studies, University of Bradford)

<<Diary>>

春が来た!ロンドンのセントジェームスパークで梅が咲いていた!(3月)


2004年3月26日

明日から北アイルランドのスタディトリップに参加するので、今日は一日北アイルランドの勉強をした。図書館で借りた『Beyond Violence: The Role of Voluntary and Community Action in Building a Sustainable Peace in Northern Ireland』という小冊子を読む。この冊子は60ページほどの短いもので、1994年11月に行われた同名のConferenceの内容をまとめたもの。いろいろな立場の人がそれぞれの立場で停戦合意後の平和な社会への希望を語っている。明日からいろいろな組織を訪れていろいろ勉強させてもらうことになるが、この冊子で疑似体験できた気がする。夕方以降は、訪問予定地や組織についてウェブサイトを通じてざっと概観した。とりあえず基礎知識はついたと思う。
昨年度にこのツアーに参加した友人に「北アイルランドに行くにはパスポートいるんだろうか」と質問をしたら、「なんか、初めて国内旅行で飛行機乗る人がする質問みたい」という答えが返ってきた。北アイルランドがイギリス連邦の一部であることは承知しているが、アイルランド共和国と北アイルランドにはボーダーポストがないというし、ある友人がロンドンからグラスゴーへ飛んだときに空港でパスポートの提示を求められたことがあるという話を聞いたことがあるのでこのような質問をした。パスポートはいらないらしい。
ものすごく久しぶりに団体旅行をするのでドキドキわくわくする。個人旅行のときはいざ出発しようとして忘れ物をしたり、ビザなどの都合で予定地に行けなくても行き先を変えればすんでしまう話なので準備などもあまり悩むことはないが、集団で移動するとなると必要なものはきちんと持っていかなきゃなぁという気持ちになる。さて、なにが必要なんだろう。これから準備しま〜す。

 

2004年3月25日

午前中、やはりなかなか進まない。どうしても理解しがたいことがある。正義の戦争や核抑止の話がキリスト教の考え方から生まれたものだ云々はまだいいとして、アカデミックな本を読んでいるはずなのに"God's rightness is prior to peace"などと言われると違和感を感じる。核抑止論の正当性は主に政策決定のメリットと道徳的にどう判断すべきかによって議論されるのだが、それぞれの言い分が相容れないのはいいとしても、議論に神を出されるとそれをどう扱えばいいかが難しい。
停滞を解消するため、出かけることにした。北アイルランドツアーの参加費用を払いに大学に行ったついでに図書館で勉強することに。気分を変えることで今の状況を打破しようと試みたわけだ。手元にはたくさんの文献があったが、2つの文献だけをそばにおいて、じっくり考えながら読み進める。正解のない議論をそれぞれの学者や政策決定者が好き勝手に言っているから、全てのバランスを取ることは難しい。だからどこかに軸足を置いた上で、バランスよく議論を組み立てなければならない。
たいして長くもない文献を2時間半もかけて読んだ。自分が思い描くストラクチャーにどのように当てはまるか考えたり、同様の議論が述べられている部分をじっくり読んでみた。一週間ほどでいくつもの文献を読んでいるのでなんとなく分かっている状態ではあったが、ある一つの文献を完全に理解することで、その中で自分が肯定したい意見と否定したい意見を整理した。この効果は絶大だったと思う。自分の中でようやくどう議論を組み立てればいいかを決めることができた。エッセイのストラクチャーが今回は一度崩壊したが、なんとか持ち直せるかなと思う。
図書館に行った効果は他にもあった。図書館に行くと友人に会うので、お互いの進捗状況を話したり、励ましあったりできる。しかも休暇中の図書館は、それほど多くの人が来ているわけではないので、セメスター中のように会う人ごとにしゃべっているうちに数時間が過ぎてしまうようなこともない。
開発学専攻のマサが明日イラクに向けて出発すると聞いたので、急遽彼の寮を訪ねることに。ささやかな壮行会だ。Kirkstone Hallのいつもの仲間たちとイラクの現状や開発の意義について議論をした。自分が良いと思うことと他人にとって良いことは必ずしも一致しない。人道支援だからと言って「助けてあげている」という意識は被救済者からの反感を買うだろうし、プロジェクトに長期的な成功の見込みがあっても、短期的に成果を出せなければ現地の人は不満を持つだろう。難しいところだ。
クラスメートのミホと記者のマットも今日あたり国境を越えてイラクへ入ったと思われる。彼らの活動がイラクの人々にとってポジティブな方向に働くように祈ろう。

 

2004年3月24日

今日もエッセイの語数にはほとんど変化なし。嗚呼、停滞中。
昨日はあまりに分からず焦ってたのだけど、東京からの声援を受けて、気持ちが随分持ち直した。昨日は「分からない→集中できない→進まない」という感じだったが、今日は「分からない→少しずつ分かればいい→とにかくやっているのだから進んでる(はず)」という感じ。なのでかなり集中できたと思う。エッセイのトピックを変えようかと朝まで検討していたのだが、「分からないから変えちゃえ」という消極的な気持ちから生まれたアイデアでもあったので、変更はなしとすることにした。難しいし、よく分からないけど、やるしかない。
今日は全く外出しなかった。今日は一日穏やかな天気で、ここ数日のように嵐が吹いたり、雨が降ったり、燦燦と太陽が輝いたりという劇的な変化はなかった・・・と思ったら夕方雹が降っていた。ブラッドフォードの気候は分からない。

 

2004年3月23日

エッセイが完全に行き詰ってしまった。一日で100語ほどしか書けず。読めば読むほど分からない。嗚呼。同じテーマの似たトピック(よりフォーカスされている)に変更しようかと迷っている。エッセイの書き方を完全に忘れた。
昼過ぎ、CICS(Center for International Co-operation and Security)へ。Dr. Owen Greeneに前期のエッセイについての質問をしに行ったのだが、せっかく忙しい先生にアポが取れたので、ついでに修士論文についての話もしてみることにした。まだ僕自身テーマを全く絞りきれていないが、彼の専門分野の中から何か話をしてみようと思って「東アジア共同体」構想に興味があると伝えてみた。30分ほど、この広いテーマの中で何をフォーカスすれば面白いかディスカッションをしたのだが、話しているうちにますます興味がでてきた。修士論文のテーマにできるかどうか、しばらく考えてみたいと思う。スーパーバイザーは5月になるまで誰になるか分からないが、「いつでも助けるから相談に来なさい」と言ってくれた。

 

2004年3月22日

ラフテー・煮卵ラーメン今日から書き始めた。朝から構成を考え、書き始める。書いては全体の構成を練り直し、また書く。5日間で4000語以上書くには一日平均800語書かなくてはならないが、今日は500語強に留まった。
昼過ぎによくしゃべるマリコムから就職活動の書類を見て欲しいというメールが入った。こういう話は早いほうがいいだろうと思ったので、「じゃあ今日の二時半に」とメールを返すとあまりに早すぎるから焦ったらしい。そのお陰で彼女は短時間のうちに書類をまとめることができたんじゃないかと思っているが(僕にメールを出した時はまだ準備していなかったらしい)。日本の学部を卒業して直接留学しに来た人たちは就職活動の仕方等についてあれこれ思い悩んでいるらしい。僕は履歴書とエントリーシートを合わせて数千枚は読んだことがあるし、会社説明会や面接をしたこともあるので「悩める学生」には数多く会った。ここに留学している人は日本でのほほんと大学生活を送っている人よりも明らかに自分の夢や将来に対して考えていると思う。だからと言って就職がうまく決まるかどうかは別の話であるが、いろいろと悩みを解消してあげたいと思う。
マリコムからいろいろと質問を受けている最中、サバチカル中の教授ジム・ホイットマン氏が現れた。ヒマラヤで瞑想生活をしているという噂があったのだが、出発は4月とのことだった。彼は前期のコースディレクターでいろいろと親身になって相談に乗ってくれるということで評判がいいが、すべき仕事が多すぎるのか、いつも気を張り詰めすぎているように見えた。しかし、今日の彼の表情は非常にリラックスしていた。サバチカル中は日々の業務に追われる必要はないので、研究について客観的に捉えたり、本の執筆の準備をしたりもできるし、専門以外の書物を読む余裕が生まれるので視野が広くもてるのだとジムは言っていた。日本にいたときはサバチカルというのを知らなかったが、日本の大学もそういう制度はあるのだろうか。
サバチカルのような制度は大学教授のみならず、全ての人にあればいいと思う。単に休めるという意味ではなく、いつもいる場所を離れることで、だんだんと狭まっていた視野を広げたり、自分のしていることが自分にとってどのような意味を持っているかを捉えなおしたりできる。有給休暇を取れないと嘆いているサラリーマンやボスの言いなりにならざるをえない公務員にこのような機会を与えれば、日本の組織は劇的に変わるだろう。個々人も働き方や人生の価値について考え直すことができる。
休暇というものは現実逃避として捉えるか、現実認識の機会として捉えるかでその意義は大きく変わってくる。休暇を現実逃避のために費やす人は仕事について、つらいとかやらざるを得ないとか消極的に捉えている。休暇を現実認識の機会として利用する人は、その休暇中に新たな体験をしたりすることで、より幅広い視野を持つことができる。普段の仕事を複数の視点から見つめなおすことができるので、やり方を改善したり、よりよい解決策を自分の意思で選択することができる。その結果、自分のしていることをポジティブに捉えることができる。
こうした現実認識の機会を単に持つだけでなく積極的に取ろうとすることも価値あることだ。休暇をとるという作業は仕事への調整を必要とするから、そのために工夫すること自体が、仕事のやり方を効率よくしたり改善することにつながる。

 

2004年3月21日

午前中、不思議なぐらいやる気なし。ぱらぱらと本をめくるが、昨日までに読んだものを消化し切れてないからだろうか。身が入らなかった。
昼からTrinity Houseへ。学部に短期留学している小便小僧博士のTaroくんの所へ。数年後に平和学のMAへの留学を考えているTaroの友達がブラッドフォードを訪れているので話をしてほしいということで呼ばれたのである。報酬はTaro特製のバーモントカレー。ロンドンで買ったと言うコシヒカリを使っていて美味しかった。すぐに切り上げてエッセイ執筆に戻るつもりだったが、(やっぱり)あっという間に時間が過ぎてしまい、結局5時頃までTaroの寮にいた。
しかし、少しの間でも頭を休めたのは効果絶大だった。帰宅すると再びやる気が戻っており、エッセイの構成を考えながらどんどん読み進めることができた。けっきょく構成を仕上げることはできなかったが(途中から、今日読んだものに強く影響されすぎると思ったので、明日の朝一番に構成を組み立てることにした)、「そろそろ書けそうだな」という段階にまで来れたと思う。明日から5日間が勝負だ。
昨日のおでんは卵と大根、だし汁を残しておいたのだが、それに表面を軽く炒めた豚肉と八角などを加え、豚の角煮にアレンジしなおした。いやぁ、豚は美味しいなぁ。ハラルフードでも満足できるような気もしてたけど、やっぱりこの味を思い出すとムスリムにはなりたくないと思う。

 

2004年3月20日

ひたすら読み続けた。明日は出かける予定があるので、10時間計画を超える勢いで勉強した。結果、のべ約12時間読んだ。
食事の時間も惜しんだ。初めてエッセイを書いたときはやり方も分からず不安なまま毎日を過ごすのがイヤだったので、どんなときも食事の時間に休憩を2時間以上取ることにしていたが、今はそのときのような不安感はないので、やれるだけやってやろうと思ったのだ。朝9時から夜12時までの15時間中12時間。かなり集中してできた。やればできるものだ。
今日は手元にある本のエッセイに直接関係しそうな章を3つ読んだ(計70ページぐらい)。内容をよく理解するために辞書を引きながら読んだ。しかし、やっぱり難しい・・・。少しずつ断片的な知識はついてくるが全体を理解しているとは思えない。また、その他の時間は「核抑止」などでGoogle検索したものを読みまくり、とにかく少しでも関連しているものを頭に入れた。
昨日から20時間以上をNuclear Detterntの知識を得るために費やした。その結果、知識はついたがまだエッセイの構成が思い浮かばない。「核抑止政策はモラル的に正しいか、そうでないか」とか「核抑止は有効かどうか」などについてものすごいたくさんの学者が意見を展開しているが、正解のある問いではないため、各々が好き勝手なことを言っている。核抑止に関しては冷戦終結の前後でその意義が全く異なっているはずだが、文献のほとんどが冷戦前の状況について書かれており、現在の状況を解釈してエッセイに取り込む方法に関しても考えなくてはいけない。エッセイをまとめるのは難しい。
さて、勉強をしていない3時間は何をしていたかというと、昼食と夕食で1時間、ネット電話で2時間を過ごした。昼食と夕食は手抜きで昨日から煮込んだおでん(風)と野菜炒めなどを食べた。ご飯も昨日炊いたものをレンジでチンしただけなので時間のロスを防げた。おでん(風)の中身は「卵・牛スジ・大根・にんじん・こんにゃく」のみ。イギリスでおでん食材をそろえるのは至難の業だった。こんにゃくは先日ロンドンに行った明子さんからもらったもの(ありがとう!)。だしは五島あごじまん。ちくわがないのが残念だったが、かなり美味しい。
ネット電話では今日もロカ岬ウェディングツアーの打ち合わせをした。具体的な料金や日程についてなかなか見積もりが出て来なくてしばらく止まっていたのだが、それでも最近少しずつ詳細が決定してきた。ツアーの行き先は他にあるものに準じているので特別に変わったところに行くわけではないが、内容は参加するメンバーの特徴を存分に生かした驚くべきツアーになる予定。4月末までには詳細を発表できると思う。
このツアーは僕が今までにしてきた旅の総決算であると同時にこれから僕がしていこうと思う活動の重要なスタート地点として位置づけている。夏休み、ぜひ9月下旬に取ってください。ツアーに参加すれば人生が100倍ぐらい楽しくなります。

 

2004年3月19日

イースター休暇に入った。でも休む暇はない。終わる見込みの立っていないエッセイが5本残っている。しかし、終わらせないわけにはいかないので今日から一日10時間計画で進めることに決めた。
朝起きるとBBCラジオから「台湾の陳総統が銃撃を受けた」というニュースが聞こえた。ヨーロッパ中が衝撃を受けたスペインでの列車爆破テロや南アのマンデラ前大統領宅前での元将校発砲事件、開戦一年を前にして増え続けるイラクのテロなど、世界中で暴力で自分の目的を果たそうとする動きが急増している。それぞれが直接関連しているわけではもちろんないが、こうした悪行は連鎖しやすい。
ついついネットでニュースを見始めて、いつものように終わらないネットサーフィンにはまってしまうところだったが、10時間計画の初日でもあり、朝9時過ぎに勉強を始めることを決意した。午前・午後イチ・夕方・夜の4回に分けて約10時間英文を読みまくった。はじめに書こうとしている核抑止についてだが、基礎知識をつけるため、ネットで検索してよさそうな文献を8本ぐらい流し読みをした。一つの文献を理解することよりも少しでも多くのアイデアに触れようと思ったので、頭で理解できる以上のスピードで読んだ。ネットに乗っている文献は後でいくらでも検索できるので頭の中に初めから整理しなくても、おぼろげな記憶さえあれば取り出すことができるからだ。インターネットって本当に便利だと思う。
夜12時、勉強を終えた。今日はかなり集中できたと思う。これを1ヵ月半続けられればいいのだけれど。5本のエッセイを実質6週間で仕上げることになっている(というか、なってしまった!。

 

2004年3月18日

今日はイースター休暇前の最終日。明日から4月18日まで休みとなる。とは言っても、エッセイを5月中旬までに5本終わらせなければならず、「地獄のような日々」が待っているのだけれども・・・。
Arms Controlの授業がMissile Defence (ミサイル防衛=MD)のConferenceに振り替えられた。このConferenceはBritish American Security Information Council (BASIC)とブラッドフォードの平和学部が共催するものだ。朝から晩まで、6時間弱MDの話を聞き続けた。疲れたし、理解できないところもあったけれど、すごくいい経験になったと思う。冷戦中の歴史的な流れや冷戦後に復活したMDに関する構想についての説明を受けたり、弾道ミサイル提供国・所有国の話を聞いたりした。最後の部では宇宙がいかに戦争や平和に使われるかという話になり(やや飛躍し)、壮大で面白かった。この分野に関する関連知識を一気に得られたと言う点では非常に意義深かった。
MD賛成派と反対派の議論はよく分かったが、バランスオブパワーの中で自らの立場を決めるこの論点において、平和という希望を持つのは極めて難しいことなのだと感じた。このConferenceにおける話題のゴールは平和というよりも恐怖の均衡であるからそうなるのも仕方がないけれども。また、全ての議論が「俺たち」と「あいつら」(eg. ならずもの国家)という視点で述べられているのがすごく気になった。いくら賛成論と反対論を検証しているように見せかけても、もともとの視点を「こちら側」に限っている以上、見えるものは限られてくる。
いくつかのプレゼンで地図が出てきたのだが、全ての地図でミサイルが「ならずもの国家」からアメリカに向かっているのが面白い。そして、聞いている人たちもそれを見て笑う。この笑いの意味を真剣に考えていきたい。また、NATO等アメリカ以外のMDに関する考え方についても説明を受けたのだが、MDの歴史と照らし合わせてみると、各国の動きではなくアメリカへの脅威の度合いがMD構想の変化に完全に一致していることをよく記憶しておこうと思う。
日本についての話も何度か出てきたが、とくに印象に残ったのは日本が核兵器をすぐにでも持ちうる国だと認識されていること。「原子力発電所と技術がある国はどこでもそうだけど」という前提ではあるが「日本が核兵器を持ちうる」という話はいろいろな学者からよく聞く。それが世界から見たときの印象なのだと思う。日本にいたとき、僕は日本が核兵器を持つ国になる可能性があるなんて考えたことはなかったが、それは日本という国が国民にそういう思いを抱かせている結果なのだろうか。(最近の国会などの様子を見ていると10年後には核兵器保有国になっていても不思議ではないと思う。)
Conferenceが終わった後、一旦帰宅し、再び学校へ行き、Student Union主催の映画鑑賞会に行った。今日は『キル・ビル』。評判が結構よかったような気がしたので(ネットで少し調べた限り好意的な評価が多い?)期待していたが、はっきり言って最悪だと思った。ストーリーも演出もアホ過ぎる。あんなものに日本を舞台に使われたり、サムライ云々言われるのは嬉しくない。二部に分かれていて後半部分がゴールデンウィーク頃日本で上映するらしいが、見ないほうがいいと思う。
ちなみに一緒に見てたユミさんも否定派。「アホくさ過ぎて笑えた」などと言ってはいたものの・・・。二日後に日本に帰る彼女に「話題作だから見よう」と誘ったのだけど、誘った僕が全否定してしまった。ごめんね。

(キル・ビルを見て、よかった点が少しでもあった人は教えてくれませんか。今の僕は完全否定していますが、ここまで否定しているからこそ、肯定派の意見を聞いてみたいので)

 

2004年3月17日

Research Methodsの最後の授業。全く理解できず。抽象概念ばかりなので日本語でも理解は難しいだろう。この授業ではみんな「どのようにリサーチを進め、どのように修士論文を書けばいいか」を知りたくて来ているのだが、そのような話は一度もなかった。「結局どうすりゃいいんだよ」と言いながらみんなで教室を後にした。110人が必修のはずのこの授業は3月になってから20名ほどしか参加していない。
昼食をとり、図書館へ。ドイツ人のイェンツに1ヶ月ぶりぐらいに会う。ずっとエッセイに集中していてあまり授業に来てなかったのだと言っていた。僕が「ようやく始めたよ」と言うと、「時間ないのにどうしてリラックスしてるの?」と聞かれた。どうしてなんだろう。まだ実感が湧かない。
ちょっと机に向かいすぎなのか、彼は少し病んでいる感じがした。二階に上がってきたところをつかまえたのに、話し終わると部屋にも入らずに下に降りてしまった。「用が済んだからそろそろ帰るよ」と言い残して。きっとコンピューターとの対話に疲れて誰かと話すために図書館に来たのだろう。僕もエッセイで行き詰ったときは人との対話を求めて学校に行ったりしてた。
3時からConflict Resolutionsの授業に参加しCorrymeela Communityの講義を聴いた。この講義は取っていないのだが、アイルランドスタディーツアーに参加するので特別に聴講したのである。昨日夕方にも話をしたMichael Fryerが講師だった。この講義はAmazingだった。講師のプレゼン能力が極めて高かった。パワーポイントを効果的に使い、適切に冗談を言い、聴衆をひきつける素晴らしいものだった。Corrymeela Communityについての知識を得ただけでなく、平和を考える上で役に立つ考え方をたくさんもらった。
家に帰りしばらく細かい作業をしていると、電話がなった。ヨルダンのアンマンに滞在中の友人のマットだった。12日にイラク入りする予定だったが、テロ警戒情報と今日のバクダッドの爆弾テロで会社の上層部からイラク行きを止められているという。少なくとも20日の戦争開始一周年まではアンマンから進めないという。7日にドバイに着き、それからやる気マンマンだったのだけど、二週間近くも仕事をしないでただ時間を潰しているようだ。会社から連絡が入るかもしれないので遊びに行くわけにもいかず、退屈な時間を過ごすのに苦労しているようだ。マットの同僚などはあまりに暇すぎて「一人しりとり」などしていたという・・・。大丈夫か?
マットと話したのは2年ぶりぐらいだった。前に会ったのは東京の飲み屋だったと思う。記者として忙しすぎる時間を過ごしながらも充実した毎日を送っていて、今回のイラク行きのチャンスを手にした。イラクへの取材を前にして受けた戦場ジャーナリズム研修の話や近況について教えてもらった。彼はBEEMANを支えてくれた一番の功労者であり、最もアツイ男の一人であった。あれから6年以上経った今でも、彼のスピリットは全く衰えておらず、あらゆる状況に好奇心を抱いているようだった。
この春、マット以外にも3人の友人がイラクを訪れる予定をしている。状況が不透明なだけに心配であるが、彼らが自身の経験を活かし、意思を貫ける人たちであることはよく知っているので、とにかく彼らの活躍と無事を祈りたい。

 

2004年3月16日

今日はすることが多くてあっという間に一日が終わった。
午前中二つの講義(DemocracyとIntroduction to Peace Studies)があるのはいつも通りだが、その後昼食を食べるまもなく北アイルランドツアー関連としてBloody Sundayのドキュメンタリーフィルムを観た。図書館で今日中に返さなくてはいけない本の中から数ページをコピーして家に戻り、昼食をさっと食べる。すでに3時・・・。その後、ロカ岬ウェディングツアーの打ち合わせをして、アイルランドのCorrymeela Commuityに関する調べものをしたらあっという間に6時になったので再び学校へ。Corrymeela Communityでボランティアをしていた人にアイルランドの話とその人の経験を聞いた。
気がつくとアイルランドスタディツアーがあと10日後に迫っていた。今週は今日のように勉強をする機会がある。アイルランドに関してはスタディーツアーを申し込んで以来ようやく知識をつけ始めたのでほとんど何もしらないのであるが、進んだ国だというイメージを持っていた民主主義国家イギリスで起こっている紛争について学ぶのは今後のために大きな糧となるだろう。アイルランドに行くまでに一つ目のエッセイを終わらせたいので、正直それどころでもないのだが(と今気づいてみたりする)、集中力を意識的に高めて、欲張りにこなそうと思う。
Corrymeela Communityの人の話の中で特に印象に残った言葉。「北アイルランドに行ったら、とにかく話を聞くことに集中してほしい。紛争をどう解決するかを少ない事例から考えようとするのではなく、いろいろな人の話から、人によって異なる認識と異なる『現実』の存在をみてほしい」とのこと。現地の人も争いを続けたいわけではなく、平和の状態に暮らすことを願っている。どの立場にいる人も『現実』を見つめて平和を願っているけれども、それを解決するような行動をとりきれていない。少し勉強して解決方法を云々言うのではなく、それぞれが持つ異なる現実をしっかり理解したいと思う。どちらかが善でどちらかが悪だというそういうことではなく、それぞれがそれぞれの真実を持ちながら相手を尊重しきれないのだろう。おそらく世界中のどこにでもあるあらゆる争いに通じることだ。
その後、UJALAというカレー屋に行く。チキンビリヤーニとチキンローガンジョーシュ。油っこくてあまり美味しくない。チャパティとナンも味気ない。☆☆☆★★

 

2004年3月15日

映画『The mission』を観た。
1700年代の南米でキリスト教を布教しようとする連中と原住民を征服しようとするスペイン・ポルトガル軍がそれぞれの思惑の違いから対立し、戦争をする話。リアルな映像で映画としてはものすごい。しかし、観ていてため息のでる映画だった。
平穏無事に暮らしていたインディオが、まず布教活動により、その後侵略により、壊滅されていく。キリスト教の神父が征服軍に対して抵抗しないことが描かれていたが、その神父に従ってやられるがままのインディオたちの姿は痛々しかった。しかしこれは史実である。こうした征服の過程を経て、世界大戦が二度あって、現代の世界がある。そう思うともう一度ため息が出た。

 

2004年3月14日

『座頭市:Zatoichi』を観に行った。
ロンドンなどでは現在いくつかの映画館で上映中らしいが、ブラッドフォードではフィルムミュージアムで今日の午後8時から、一回だけ上映される。そのことを3週間ぐらい前に聞いて、ぜひ観に行こうと思っていた。勝新太郎の『座頭市』は友人のアレックスに勧められながらまだ見たことがない。彼に言わせるとたけしの『座頭市:Zatoichi』は「かわいらしすぎる」とのことだが、この機会にたけしの作品から観ることにした。
チケット売り場には20人ぐらいの人が並んでいた。この映画館に来るのは3回目。ブラッドフォードの映画館は話題作でもあまり混んでいないのがいい。やっぱり田舎なのだろう。列に並びながらたまたま出会った同級生たちとこの座頭市は昔の映画のリメイクであるとか、前に主演をしていたのは有名なカツシンタロウだとか、彼はパンツの中に麻薬を入れていたことでも有名だなどなどと話しながら期待をふくらませていたのだが、僕らの番が来る前になんとチケットは「Sold out」になってしまった・・・。
次にブラッドフォードで『座頭市:Zatoichi』を上映するのはいつか分からないし、上映しないかもしれないのでとても残念だった。映画館まで行ったのに見れないなんて・・・。同じ場所にいたアキコとエミとすごすごと帰ることにした。もうすでに晩ご飯も食べたし、やらなきゃいけないこともたくさんあるので家に帰ろうと思った矢先、アキコが「KirkstoneHallでイタリア人がピザ焼くってさ」と言った。正直、お腹が空いていたわけではなかったのだが、「イタリア人が」「ピザを焼く」と聞いて食べないわけに行かないと思い、やっぱり行くことにした。
そのイタリア人とは一瞬だけフラットメートだったリリーのことだった。3日だけ僕もKirkstoneに住んだことがあり、一番最初のオリエンテーションに行くときに教室まで一緒に行った人だ。その後、一度だけ会ったが専攻も違うのでほとんど顔を合わせることはなかった。久しぶりに話ができて嬉しい。他にもう一人イタリア人がいて、その子は韓国人の友人ムニのフラットメートだった。何度か顔を合わせて挨拶ぐらいはしていたが、ちゃんと話をするのは初めてだった。その他、僕がブラッドフォードで一番最初に知り合ったインド人のしゃべりすぎグルーとにこやかなパキスタン人シラーズや同じコースのフィリップや簡単ロールキャベツを作ってくれた雅文と日本から来ている彼の友人などをまじえ、愉快な夜を過ごした。
イタリア人が作るピザは美味しかった!パン生地を前の日から発行させた本格的なピザ。トマトとチーズ、そして自分で栽培しているというバジルが絶妙だ。やっぱりちゃんとしたピザはボ〜ノ!

 

2004年3月13日

3ヶ月ぶりに移動コリアンマーケットに行った。キムチと韓国米5kgを購入。しばらくエジプト米を食べない=ご飯を炊く前に石を取り除く作業がいらなくなる。
3時ごろよりNuclear Deterrentに関する本を読む。国家の政策決定と道徳・倫理観についての話はものすごく面白い。エッセイを書くのが楽しみになってきた(・・・と、いつもやり始めたときは思うんだよな)。
映画「Notting Hill」をDVDで観た。

 

2004年3月12日

今日こそエッセイを始めようと決意した。
クラスメートに話を聞くと、早い人は二本目が終わるとか言っている。まだ始めていないのは話を聞いた限り僕ぐらいだ。この週末で一本目のエッセイについて概要を学び、授業のある平日のうちに構成を考えて、来週末書き始めればいいだろう。来週末からイースター休暇に入るから、まじめにやれば北アイルランドに行く27日までに一本は終わると思う。
というわけで、朝から本を読み始めた・・・わけはなく、やらずに放置していたストックホルム旅行のページを一気に作ることにした。エッセイを書きながら気になるとよくないので、仕上げてしまうことにしたのだ。文章はほとんど載せず、写真中心にした(手抜きです)のだが、それでもけっこう時間がかかる。久しぶりに平和のためにできることにも記事を追加した。あっという間に夕方になった。
夕方からぱらぱら本をめくる。授業でもらったハンドアウトなどを見直す。今日は集中してない。しかし、とにかく始めたぞ。

 

2004年3月11日

ゲストスピーカーでコロンビアのANUCの話を聞いた。
スペイン語しか話さない人で、コロンビア出身の学生が通訳をしてくれていた。スペイン語の響きが心地よく、うとうとしまくってしまった。いかんいかん。ゲストスピーカーがしゃべっているときうとうとして、英語に訳されたのを聞いて目覚めるのの繰り返し・・・。集中できず、反省。
夕方より、ブラッドフォードにいるたくさんの日本人の会合があった。今回はほぼ全員に声をかけたらしく、20名ほどが集まる。平和学と開発学を勉強している人が多いが、考古学や英語を勉強している人などもいた。年齢層は19歳から30代後半まで。一人一品ずつ持ち寄りだったのだが、焼きうどんやらおひたしやら漬物やらカレーやらアンパンやら・・・魅力的な料理が並んだ。みんな料理うまい。さすが日本人だな。僕だけなぜか完成品でなく食材を持ち込み、オムレツを作った。

 

2004年3月10日

29歳になった。
友人たちからもらったお祝いのビデオレターや世界遺産「THE COLOR OF MEMORIES」のDVDを見たり、この一年間の出来事を振り返ったりしているうちにあっという間に時間が過ぎた。誕生日に一年間を見つめなおし、将来について思いをめぐらすという儀式を始めてから10年以上が過ぎた。結婚することを決め、ご両親にもご挨拶をし、その上彼女を残して渡英したこの一年は、それまでに経験したどの一年よりも多くの重要な出来事が起こった年だった。今日だけでなく、この一年は本当にあっという間に時間が過ぎた気がする。時間の過ぎる感覚は年を経るごとに早くなっていく。さまざまな経験を積み重ねることにより、夢や目標が大きくなり、かつ、具体的になるため、すべきこと・したいことがどんどん増えていくから、そのように感じるのだろう。
留学生活も半分が過ぎた。英語が飛躍的に上達したわけではないし、本を読んでも理解できないことが多々あるし、課題をこなそうとしてもなかなか進まない。一瞬一瞬を振り返ると、自分に進歩を感じられない瞬間が今までの人生の中で最もたくさんあった半年であった。しかし、僕の手元には唸りながらも書き上げた3本のアカデミックエッセイがあるし、まだまだ自信をもてないながらプレゼンでもきちんと評価されたことは、一定の進歩を遂げていることの証明であると思う。
友人からもらったメッセージの一つに「kyoの場合、年々パワーアップしているような気もするよ」というものがあった。そう言われることはとても嬉しい。同じ言葉を返したい友人が回りにたくさんいるからこそ、自分がそれを維持できるのだと思う。30歳までの一年、さらにパワーアップできるよう、最大限の努力をしよう。そして、いつまでもパワーアップしていきたい。

 

2004年3月9日

午前中二つの授業に出た後、BBC製作の北アイルランド関連のドキュメンタリー「Holy Cross」を観た。ピーススタディの北アイルランドスタディツアーにキャンセルが出たということで、急遽申し込みをしたのであるが、その関連でビデオ鑑賞会があったのだ。
内容はショッキングなものだった。僕は北アイルランドについて知らなさ過ぎた。それほど興味もなかったので知ろうとも思っていなかった。一部の過激派だけが爆弾の仕掛けあいや殺し合いをしているというイメージを勝手に持っていた。進んだイメージのあるヨーロッパの中にある小さな紛争なのだと思い込んでいた。
そのドキュメンタリーフィルムが扱った事件はたったの3年前に起こったものだった。地域の小さな対立が小さなきっかけをもって、子どもを巻き込み、石やレンガを投げ合うような大きな紛争に発展した。人々の心は荒廃し、仲の良い近所同士もプロテスタントとカトリックという「枠組」を当てはめられて不和になった。平凡な日常を送っていた人たちが(もちろん、平凡な中に不和を導きうる状態はひそんでいたのだが)、自分たちの意思に関わらず、対立を深めていく。イギリスはこんな問題を抱えたところだったのか。今日観たドキュメンタリーは想像を絶した。キャンセルが出たということを聞いて、知識もないのにほとんど衝動的にスタディーツアーを申し込んだのだが、身近な紛争を知ると言う意味では非常に有意義な旅になるかもしれない。この件について知識を身につける必要あり。またエッセイの開始が遠ざかりそうだな。
四時からプレゼン。日本語でプレゼンをした経験はたくさんあるし、プレゼンはどちらかというと好きだし、 得意だと思うけど、英語でのプレゼンはかなり緊張する。理解し切れてないまま準備をしているし、英語がうまく伝わるかに不安があるからだ。途中で脱線/混乱しないようにハンドアウトを配った。一応原稿も用意したが、緊張するとうまく読めないので、途中で使うのをやめた。原稿を使わないとボキャブラリーが一気に減ってしまうので少々冗長になったが、よりプレゼンっぽくはなった気がする。その他、プレゼンで気をつけたのはプレセッショナルコースで習ったサインポスティングを意識した。これをやるとより分かりやすくなるとともに、聞いている人も理解しやすいからだ。サインポスティングに関しては、半年間すっかり忘れていた気がする。今までに何度かやったプレゼンではとにかくこなすことばかり考えていたのだと思う。それに、他の人の発表もそういう意味であまり工夫されていない気がする。多くの発表とそれに伴うセミナーで今まで漠然と感じていたことではあるが、(僕が聞き取れないというのはさておくとして)まとめてきたものを読むだけで、きちんと組織立てている人は少ないかも。その結果、セミナーはおしゃべり会のようになっている。
セミナーの終わり際に「よく準備して、キーイシューを盛り込んでいる」とトムが評価してくれた。他のメンバーからも分かりやすかったとコメントをもらい嬉しかった。流暢さにはまったくかけたし、もっとスムーズなプレゼンを目指したいというのは本音だが、時間をかけてベストを尽くすのは大切なことだと思う。
プレゼンを終え図書館に行くと、アティとグレッグに会った。グレッグが今日のディビジョン1のブラッドフォード戦のチケットを持っているというので観戦しにいった。市がいくつかのサッカーチームを通して市民にチケットをプレゼントしてくれたということで、他にも平和学の15名ほどが一緒にいった。ビールは売店で売っているが、スタンドで飲むことは禁止されている。フーリガン防止かな。
ブラッドフォードのサッカーチームはものすごく弱くて、ほとんど勝つことがないらしい。しかし、今日は運良く2:0で快勝!今日はいろいろあってよかった。で、明日29歳。

 

2004年3月8日

朝からプレゼンの準備に励んだ。わからないからとうだうだしてないで、とにかくまとめる努力をしようと思った。エッセイ執筆の時もそうであるが、分からない部分があるからといってそこで作業を止めてしまうと先に進めない。締切が近づくと、進めざるを得なくなるから、とりあえずやってみる。やってみるということは完成の第一歩なのだ。プレゼン全体の構成を考えて、文章を流し読みしながら、思いついたことをどんどんパソコンに打ち込んでいった。午前中3時間ほどでA45枚分ほどの情報が蓄積された。
午後、Democracyの教授トムギャラガー氏のところを訪ねてみた。彼のセミナーは初めてであるため、彼のやり方を知りたかったからだ。トムはものすごくやさしい人だった。会話中に何度か聞き取れないことがあったのだが、聞き返す度に「僕の英語なまっててごめんね」などと言うのである。しかし、彼のアドバイスはあまり役に立たなかった。結局「好きなようになりなさい」としか言ってくれなかったので。好きなようにやりたいのはやまやまだが、英語でのプレゼンにはそんなに自信がないのに!
その後、ラテンアメリカの授業へ。前半はたくさんの写真を見せられ、グアテマラのhuehuetenangoという村の状況についての話を聞いた。景色はきれいだったのだが、見とれているうちに眠くなってしまった。後半はものすごく面白かった。前半に知った村の状況を踏まえて、世界銀行になったつもりで紛争後のこの村の開発について提案するというものだ。少人数でアイデアを出し合うのも面白いし、グループごとに全然異なるアイデアが出てくるのがまたいい。
夕方より再びプレゼンについて考えたが、一通り流れができているので、流れに関する周辺的な知識を得ることに専念した。しばらくやってみるも落ち着かなくなってきたので、まだ早いが寝ることにした。11時半。

 

2004年3月7日

日本イラク医学生会議の代表をしている喜多さんに会った。
最近、BEEMAN時代の友人で日経新聞の記者をしている友人マットと久しぶりに連絡を取った。彼がしばらくサマワに派遣されるということを聞いたので安全と健闘を祈るためと同じくイラク行きを控えている雅文と引き合わせるためにメールを送ったのだ。マットのメールに雅文と一緒にイラクへ行く喜多さんのことが書かれていたのだが、名前を見たとき「なんか知っているような・・・」と思った。
昨日、雅文からメールをもらい、イラク行きの打ち合わせのため喜多さんがブラッドフォードに来ていることを知った。これは何かの縁に違いないと思い、会いに行くことにした。
話をしていると、僕と彼の間に共通の知り合いが複数いることが判明した。おそらく以前にウェブサイト等で見たこともあった。彼は彼で僕の出している(休止中ですが・・・再開しなければ)メルマガを取ってくれてたりした。そんなわけで喜多さんのことを何となく知っているような気がしたのだろう。
午後から火曜日のプレゼンの準備をした。やっぱり分からない、まずいな、今日中に終わるかな、と不安になった頃、ユミさんから電話が入った。カークストンホールに住むアキコとマサに夕食に呼ばれたので一緒に来ないかとの誘いだった。さすがに今日は行けないと思い、「プレゼンの準備が進んでいないから」と断りかけながら、二秒後には「気分転換に行くことにする」と答えていた。
行ってよかった。ブラッドフォードに来たばかりのころは料理などほとんどしたことなかったマサの料理がかなり上達していた。前日から六時間かけて煮込んだと言うビーフシチューは絶品。彼の作ったタコスも美味かった。アキコはマルケットで豚耳を買ったとかで、これまたうまい中華料理を作っていた。同じ寮に住むケニア人・タンザニア人の仲良し3人組も一緒に食事をした。彼女らは開発学専攻なので何度も話したことがあるけれど、ご飯を一緒に食べるのは初めてだった。ケニアでは末っ子が両親の世話をするらしい。年上の兄や姉は妹や弟の面倒をずっと見ているから何もしていない末っ子が親の世話をするのは当然だという考え方だそうだ。なるほど。スワヒリ語を少し習ったので、お礼に僕の唯一知っているケニアの歌をインチキスワヒリ語で歌ってあげた。かなり喜んでくれたと思う。
その後、ユミさんの提案で折鶴をおることになった。広島出身の彼女はイースター休暇に日本に帰ることにしているのだが、そのときに地元の友人がやっているシアトルの破壊された貞子像に千羽鶴を送る活動に協力するため、少しでも多くの人に折ってもらいたいということだった。僕は鶴を折るのが他の人に比べて飛びぬけて早かったが、クオリティが低いと言われた。う〜ん、否定できないかも。一緒に折ったドイツ人のオスカルがかなり上手だったので驚いた。さすがドイツ人は几帳面だな。ユミさんがオスカルに教えているのを見ていて、僕はあることに気づいた。僕は鶴を折るときにいくつかのプロセスを省略していたようだ。そのプロセスはないとできないわけではないが、きれいに折るためには必要なプロセスなのだ。長年折っていないから、そのことを忘れてしまったのか、それとも、小さい頃からそのプロセスを飛ばしているのか・・・。幼稚園の頃、折り紙なんてしないで外で遊びたいと思い、先生の説明など聞かずに勝手にやってしまったような記憶がかすかにある。というわけで、後者かも。
早く帰るつもりが、結局12時過ぎまで居座ってしまった。

 

2004年3月6日

いい天気だった。気温はまだ低いけど、春らしくなってきた。日もだいぶ長くなってきている。
家にいて来週火曜日のDemocracyのセミナーの準備をする。与えられた課題を読んでもイマイチぴんと来ないし、リーディング課題をまとめるだけでなく、ディスカッショントピックの答えを導くようなプレゼンをする必要があるので、けっこう大変だ。ディスカッショントピックは、"What relevance, if any, does the failure of democracy during the inter-war years of the early 20th century have for today?"基礎知識もあまりないし、難しい・・・。エッセイを書くのと同じぐらいの労力を必要とする。明日一日取り組んでなんとかまとめたいものだ。
東京の彼女とネット電話をした。設定を変えたりしたわけではないのだが、今までに比べて格段に画質が向上し、声もほとんどとぎれることがなかった。コマ送りだった映像がスムーズになった。また、Yahooメッセンジャーの「らくがき」というサービスを利用してみたのだが、これがかなり面白かった。ネットを介して一枚のホワイトボードを共有でき、そこにマウスで書き込むことができる(13色使える)。話をしながら絵を描いたり、ベタに○×ゲームや七五三棒消しゲームをした。ちょっとした変化なのだが、東京とブラッドフォードの距離がまた縮まったような気がした。

 

2004年3月5日

郵便局でようやく荷物を受け取ることができた。3週間・・・。長かった。荷物を受け取ろうとすると50ペンスを請求された。その郵便局まで転送するための料金だと言う。配達してもらう代わりに、こっちが取りに来たんだからどちらかというと僕のほうがリファンドをもらいたいぐらいだ。配達も大幅に遅れたし、損害賠償を請求してもいいぐらいかもしれない。しかし、ここは顧客でなくサービス提供者中心のイギリスである。この3週間の「保管料」を請求されなかっただけでもよかったと思ったほうがいい。
夕方、明日帰国するトシのところで食事をした。去年MAをやっていた友人を中心に9名が集まり、楽しい夜を過ごした。印象的だったのはトシが随分おいしいカレーを作れるようになっていたこと(もちろんスパイスを自ら調合している)、そして大勢が帰った後、トシに国際法の話を聞いたことだ。最近、イラク派遣違憲訴訟の話がいろいろな方面からメールで送られてくるのだが、その意義についていろいろと考えていたのだが、国際法を専攻している彼の話は明快で分かりやすかった。「平和のためにできること」に近々まとめたい。

 

2004年3月4日

荷物を取りにレセプションへ行った。受け取るべき二つの荷物は両方ともアマゾンで注文した本だった・・・。
EMSは何処へ・・・。本格的に探さないとまずいな、と思い、まずはロイヤルメールのウェブサイトで検索。すると先週まであったはずの荷物が「見つかりません」とのこと。どうなってるんだ。
メールを出そうかとも思ったが、どうせ返事が来ないか、来るまでに10年ぐらいかかるだろうから、電話をしてみた。かけた先はやっぱり自動音声だった。しかし、自動応答機の後ろに人間が控えていることは先日学んでいるので、機械の声など無視し、叫び続けた。「お〜い、そこにいるんだろう。出て来い」
しばらくして機械みたいな口調の男が電話に出てきた(初めのうち、本当に機械かと思った)。Parcel番号や住所・氏名・電話番号などを聞かれたので順に答え、これでようやく受け取れるかなと思っていたのだが、「今から言う番号にかけてくれ」と言われた。おい、何のために僕にいろいろ聞いたんだよと文句を言っている途中で一方的に電話が切れた。
仕方がないので言われた番号にかけた。こんどはおばちゃんが出た。Parcel番号で検索してもらうとないと言われた。住所と名前でも探せると言われたので告げると、やっぱりそんな荷物はないと言われた。その後「日本からの荷物だったら日本の郵便局に聞かないと分からないわよ」などとまたふざけたことを言って電話を切ろうとするので、さんざん盥回しにされていることとロイヤルメールのウェブサイトで2/14にリーズに届いていることを確認した旨を伝えると、またしばらく待たされた。
「あなたの荷物はこちらにございます。明日配達しますね」「・・・」やっぱりあるじゃないか。さっきないと言っていた同じ人物が悪びれもせずそんなことを言ってのけるのだ。なんともまぁ図太い神経をしていること。呆れているとすぐに電話を切ろうとするので、もう一度確認させた。そしてレセプションが閉まっていてまた持って帰られると困るので、近くの郵便局で受け取りたいと伝えた。明日の14時以降、大学近くの郵便局で受け取ることになった。明日こそは・・・。
夕方よりTiziano Terzaniの『Letters against the war』を読み始める。とても興味深く、一気に読み終えようと思ったのだが、夜中に火災報知器がなり、中断された。うちのキッチンが燃えていた。ナイジェリア人のカップルが燃やしたようだ。迷惑をかけたのに一言も謝らない。フラットメートのエドに聞くところによると、先週の土曜日もこのカップルは鍋を燃やして火災報知器を鳴らしたらしい。『Letters against the war』は74ページまで読んだところで寝ることにする。

 

2004年3月3日

2月14日にはリーズに届いていた荷物をまだ受け取っていない。ストックホルムに行っている間にようやくロイヤルメールから僕の住むワードリーハウスのレセプションに届いた。EMSのネット追跡によると、ロイヤルメールは2月16日と17日に配達してくれたようだが、レセプションは契約に反して常に不在なので、持ち帰ってしまったらしい。二度不在だとロイヤルメールは配達をやめてしまうのか、その後、追跡記録の更新がなかった。その後電話やメールで何度も問い合わせた。レセプションが少しの時間しか空いていないことを懸命に伝えた。その成果か、昨日ストックホルムから帰ってみるとレセプションから「荷物が届いてますよ。取りに来てください」という旨の手紙がポストに入れられていた。
レセプションが空くはずの10時に行ってみたが、レセプショニストの「仕事をしない女」レイチェルは案の定来ていなかった。今日も遅刻だ。その後、12時頃再訪すると、ドアに張り紙が・・・。「建物内にいます。御用の方は電話を」。いてくれないと困るんだよなぁと思いながら部屋に戻ると部屋の前にレイチェルはいた。「荷物受け取りたいんだけど」と伝えると、彼女は不機嫌な顔で「1時ごろレセプションに戻るからその頃来なさい」答えた。
1時きっかりにレセプションに行った。不在だった。張り紙がまだ張られていた。20分以上待ったのだが来ないので、一旦部屋に戻り、図書館へ行く準備だけして再び下へ降りると・・・。張り紙は消えていた。レイチェルはすでに帰ったようだ。てなわけで、荷物の受け取りは明日に延期。明日こそは!
図書館に行くと何人かの友人に遭遇した。リーディングウィークなのに図書館に来るなんてみんな偉いなぁ(リーディングウィークだから、か)。会う人会う人、エッセイについての心配ばかりしていた。多い人で6本、少ない人で4本のエッセイを課せられている。第一次締め切り(2本)が4月26日で、最終締め切り(残り)が5月15日だ。まだまだ時間があると思うのだが、みんなけっこう気にかけているようだ。アメリカ人やイギリス人など英語を母国語とする人たちも、かなり焦っているようだ。英語のハンデがなければすぐにできそうだけどそうではないのだろうか。同じエッセイを日本語でやるとすればリサーチ期間含めて3日もかけないと僕は思うが。
夕食の調理をしていると、化学テロリストの香港人とかちあってしまった。僕が調理しているのだから少し待てばいいのに、テロリストはそんなことは決してしない。フライパンに信じられない量の油をしき、色の悪いモリソンズのステーキを投げ込み、油を撒き散らし、最後に秘密兵器を投入した。同じ場所にいたため僕はもろに被害を受けた。鼻がイタイ!食後2時間を過ぎてもいまだに後遺症は続いている。冷たい水で鼻を洗ったがあまり効果はなかった。

 

2004年3月2日

ストックホルムに行ってきた。
5泊6日の短い旅であったが、得るものは多かった。世界青年の船で6年前に知り合った友人フレドリックの家にずっとお世話になったため、いつもの旅とは違うものであったが、彼のお陰でスウェーデンの文化により深く関わることができた。
久しぶりに何人かの友人と会った。フレドリックの友人で2000年に来日したミュージックバンドCC Campersのマルコス+カレンに4年ぶりに会い、世界船の友人ヴィクトルとも6年ぶりの再会を果たした。
約200人の「引越しパーティ」に参加をし、多くのスウェーデン人と話をすることができた。このパーティは昨年末にフレドリックが友人アッバースとアパートを購入し、そのアパートの一部屋を借りているヘネットと3人で企画したものだ。アパートの共有スペースを利用したパーティーだったが、すでにホームパーティーの域を大きく超えていた。そんなパーティーの準備から片づけまでを手伝ったことも貴重な経験になった。
フレドリックはスウェーデンの若者の活動をまとめた本の著者でもあり、彼の周りには非常に個性的でクリエイティブな人たちが多かった。フレドリックとヴィクトルは数年前に会社を興して自らのビジネスを手がけているし、芸術やNPO活動に自らを捧げている人にも多くあった。彼らが仕事や人生に持つ価値観について話を聞くことは僕にとって非常に刺激的だった。

家に戻り、この一週間で溜まったたくさんのメールを読んだ。自らの夢を追い、転職に成功した友人がいた。ロンドンで戦場ジャーナリズム研修を終えイラクへの派遣を待っている記者の友人がいた。数ヶ月前に僕が何気なく出したメールにより進路を決めた友人がいた。オウム真理教の麻原が死刑を宣告され、来日中の国連のアナン事務総長の東郷神社参拝の予定が取り消された。
この一週間でいろいろなことが起こったような気がする。しかし、いろいろなことは常に起こっているはずだ。それはこの一週間だけの話ではない。自分には関係のないものとして聞き流すか、自分に関わる問題としてしっかり受け止めるかで随分変わってくる。
なにげない一言や無意識に行ったことでも、他(者)になんらかの影響を及ぼす。その影響というのは報道されていることに比べれば、とるにたりないような規模でしかないかもしれない。しかし、だからこそ常に動くべきだと思う。レイジーなままでいてはいけない。自分の影響力が小さいからこそ、意識的に行動し、大きな動きと関連付けて考えていかなければならない。

 

 

2月

1月

12月

11月

10月

9月(14日〜)

ロンドン滞在中の日記はこちら

渡英前の日記はこちら

トップページへ


Copyright (c) 2000-2004 BEEMANet All Right Reserved.