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ブラッドフォード大学大学院 体験記
(MA in Peace Studies, University of Bradford)
<<Diary>>
サマータイムになりました。しかし、イギリスでは雹や雪が降っています(4月)
2004年4月29日
やってしまった。気合を入れて早起きするつもりでベッドに入ってから5時間後に目覚ましをかけたのだが、起きれず、結局いつもより長く寝てしまった。しかも7時間寝たにも関わらず眠気は覚めず、布団の上で本を読んだらやっぱり寝てしまった・・・。午前を潰す。
正午からArms Control and Proliferation(ACP)の授業に行った。出席率かなり低い。25名ほどしかいない。今日の講師サイモン・ホイットビー氏は、スウェーデンの友人マルコスにそっくり。顔も背格好も話し方も全く同じだった。そんな彼が生物兵器の歴史と現状を解説してくれた。ACPの授業は正午から1時間あった後、1時間休憩し、2時から再開する。2時からの方はサボってしまおうかと思ったのだが、図書館に行ってから家に戻ろうとするとちょうど授業が始まるところだったのでやっぱり参加することにした。出席率はさらに減って15名を切った・・・。天然痘とか炭疽菌などなど。サイモンは講師としてはなれていないため、ペースがゆっくり。したがって分かりやすかった。
さぁ、すぐに家に帰ってエッセイに取り組もうと思ったが、インド人のReddyに呼び止められコーヒーを飲むことにした。イースター休暇中のことやこれから数ヶ月のこと(卒論など)について話したり、格安航空券の取り方について教えたりした。なんと彼はブラッドフォードにばかりいるのもなんだから来週オランダかノルウェーにでも行きたいという。エッセイが大変なはずなのに・・・。すごいな。いいな。それから家に向かったが、途中で何人も友人に会ったのでなかなか進むことができなかった。たくさんの課題に追われているので、みんな人と会うといつもよりも余計にしゃべりたくなるらしい。結局家に着いたのは授業が終わってから2時間後だった。
帰ってだらだらと本を読んだ。なんだか今やっているエッセイはあまり難しくないような気がして、それがさらに僕を怠惰にする。直前にまたいい加減に仕上げるのは避けたいはずなのに・・・。というわけで、今書いているエッセイのとりあえずのデッドラインを設けることにした。月曜日、午後3時。この目標をどれだけ真剣に捉えることができるかな。
2004年4月28日
Research Methodsの授業(最終回)に行った。今日はKazu Sasakiさんという年配の日本人(PhD candidate)がMAディサテーションについて自分の経験を踏まえながら話してくれた。彼のことは今まで全く知らなかった。ブラッドフォードの平和学部にはたくさんの日本人がいるんだなと改めて思った。修士論文の締切まであと4ヶ月強である。そう考えるとあまり時間がない。4000語のエッセイを大急ぎで書いても述べ10日かかるから、その約4倍のディサテーションは「終わらせる」ことだけを目標にしても1ヵ月半はかかるだろう。1年の集大成として納得の行くものをもちろん書きたいと思うので、やはり三ヶ月はじっくりやることになるのだろうか。5月中旬に授業が終わった後はしばらくノンビリしてしまいそうだが、あまりノンビリしすぎると後で痛い目を見そうだ。
その後シティセンターに行き、モリソンズとその裏のマーケットで大量に買い物をした。腕が引きちぎれそうなぐらい。海老を買えたのが大きな収穫だ。白菜や人参を加えてスープを作った。魚介類はいいのぉ。
夕方より真面目に勉強。1996年の核兵器裁判とその背景についての文献を読んだ。「核兵器は合法とは言えない」という結論を導くための論理を組み立てようと思っているが、合法とも違法とも結果の出ていない件だけに、なかなか難しい。平和学部のエッセイタイトルは全てそのような形になっているので、よく考えてから書かないとはまってしまう(今まではまらなかったことはほとんどない)。
夕食後、トシから電話があったのでいつものウエザースプーンに軽く飲みに行った。一ヶ月半の日本滞在を終えてブラッドフォードに戻ってきた。イギリスに戻って早速交通手段のトラブルがあり、ブラッドフォードにつくまでにものすごい時間がかかったらしい。食事はまずいし、バスは動かないし、全くイギリスは・・・と早くも日本を恋しがっていた。Welcome
back to the UK!
2004年4月27日
今日はデモクラシーと平和学の授業。両方とも出席率は30%を切っている。全然人がいない。デモクラシーの授業の教授Tom Gallagherは一生懸命だけどレクチャラーとしてはあまりよくない。ほとんど原稿を読んでいるだけという感じ。講義だけど文語調だ。日本の大学の教授によくいそうなタイプ。平和学の授業は今日はスリランカの話で仏教と平和に関するもの。仏教用語など日本語で馴染みのある単語は、英語で説明を受けるとなんだか違和感を感じる。その言葉の持つ表面的な意味を訳しただけだからだろう。たとえば今日出てきた中では「八正道」。英語で言うと「Eight
Path」らしい。前期には「第五福竜丸」を「5th Lucky Dragon」と説明され、理解するのにしばらく時間を要したのを思い出した。
午後から部屋に戻り、エッセイに取り組み始めた。次に書こうと思っているのはArms Control and Proliferationの授業のもの。選んだタイトルは「Are
nuclear weapons legal?」。問題文が短くて分かりやすいので質問の意図を誤ることはないと思うが、きちんと論理を組み立てないととんでもないものが出来上がりそうだ。まずは関連する知識を身につけようとネットで文献を探す。「核兵器の法的位置づけ」という日本語で書かれた文章がとくに分かりやすく、ためになった。
その後、学校近くのAwkright Hallへ。先日ロンドンに行ったエミが納豆を買ってきたのでそれを食べさせてもらった。僕はストックホルム帰りに買って以来だから約一ヵ月半ぶりで久しぶりだなぁと思っていたけど、一緒によばれたBinと宗は日本を離れてから初めて食べたとのこと。納豆だけでなく、トリ汁や酢の物まで頂いた。おいしかった。ごちそうさま。4人でしばらく寛ぎ、BBCでやっていたプラトーンを見て帰宅した。
勉強もし、リラックスもし、エッセイ再開初日としてはいいスタートを切った(かな?)。
ロカ岬結婚式までちょうど5ヶ月。旅程を掲載しました。
2004年4月26日
提出締め切りの3時間前に書き上げた。今日出した2本は今までのに比べて出来が良くない。エッセイタイトルを理解しきれてないまま本を読んで、本を理解しきれていないままストラクチャーを決めて、自分の書いている内容を理解しきれていないまま提出した。時間に追われてステップを先に進めざるを得ず、そのまま締め切り直前に完成ということだ。最後のほうはどうしようもなかった。前半で民主主義の強化に関する理論的な説明を書いたまではよかったが、それを近年のチリの現状に当てはめて説明するのが難しく、適当な文献も見つからず、ラテンアメリカ全般の傾向から、チリの様子を「推測して」書いてしまった。チリの歴史を創った(というか捏造?)感じ。しかし、ベストを尽くしたのは確かだ。その上で一応完成させたものだからよしとしよう(と思えるところが僕の性格のいいところだな)。この2本のことはすっかり忘れて、残り3本も全力投球したい。
エッセイを提出した後は とても気分がいい。良すぎる。頭と心の中のもやもやが一気に解消される。近くにいる友人たちと「課題が難しすぎるんだよ、適当に出したもんがちだよな」なんていいながら久しぶりにバカ笑いした。そのまま学内のパブに行き、ひと時のインターミッションを祝う。今日はギネスでなく、ビターを飲んだ。うまい。
一旦家に帰って部屋を掃除。一ヶ月以上掃除してないし、紙類が散乱しててひどい状態だったので、一気にすっきりさせた。これで次なる闘いに準備万端??
夜、Kirkstone Hallの詩人アキコと雅文に呼ばれ、鶏団子鍋を頂いた。久しぶりにリラックスできた。アキコがマンゴジュースからお酒を造っていて驚いた。彼女は本当にいろいろな技を見せてくれる。さ、明日は一日エッセイに取り組むぞ、と気合を入れたところでユミさんからするどい突込みが・・・。「明日授業あるよ」
そうだ、そうだった。今日はエッセイを出した喜びでみんなでパブに流れ込んだが、その間にも授業はあったのだった。サボっているつもりさえなかったが・・・。授業があるのもあと3週間だけなので、きちんと参加したいと思う。気分転換も兼ねながら、ラストスパートをしよう。
2004年4月25日
土壇場の逆転劇・・・にはまだ早いか。まだもがいている。
今日は熱中して昼食を食べないまま夕方になっていた。夜、フラットメートのナイジェリア人の彼女が誕生日とかで30人ぐらいアフリカ人が騒いでいた。うるさいから何度か注意するも、あまり効果なし。隣室のイギリス人エドは明日ディサテーションの締め切りだとか・・・。
キッチンは使えないし、あまりにうるさいので夜9時ごろ少し外出することに。イラク人の経営するケバブ屋へ行った。運良くクラスメートのデビッドとダンがいたので一緒に食べた。あまりに目が疲れていて初めの15分ぐらい焦点定まらず。しゃべっているうちに徐々に正常な精神状態に戻った。
帰宅して再開しようとしたら、すぐに火災報知器が・・・。おいおい。20分ほど外に出された。さすがに集中力が切れてきた。明日朝、ラストスパートをすることにしよう。
2004年4月24日
700語弱書いた。非常事態宣言。
2004年4月23日
今日はかろうじて250語書いた。夜10時の時点で50語に満たなかったのでさすがに焦った。あと2日だ。
図書館から連絡が来たので予約していた本を取りに行った。ラテンアメリカ関係の本がさらに5冊ようやく手に入った。しかし、今から読むにしても時間が・・・。図書館に行く途中で今週ブラッドフォードに来たという日本人の女の子に会った。夏までブラッドフォードカレッジで英語を勉強し、秋から平和学部で一年間の短期留学生になるプログラムに参加しているそうだ。他にも数人いるらしい。
図書館に行くと必ず誰かに会うためなかなか勉強できないと図書館を利用する誰もが言うのだが、今日はさすがにそれを避けるため、誰に会っても脇目もふらず本を取って帰るつもりだった。しかし、やっぱりそんなことはできず、10人ぐらいとおしゃべりしてから帰ることになった。エッセイという現実から逃避したい気持ちがやはり出てしまう。会話の中に自然と今エッセイがどういう段階であるかということが出てくるので、人に語ることで自分が抱えている問題点が見えるというメリットもあるが、最後には「自分でやらなければ何もならない」ということを自覚して帰るのであった。
家を出てから2時間後に帰宅。出かけている間に火災報知器が鳴ったらしいから、学校に少し長く留まったのは正解だったようだ。ラッキー!
2004年4月22日
朝からエッセイに取り組む。授業のため昼過ぎに一度出かけ、再び机に戻った。
うんうん唸りながら、単語をひねり出している。一日で終わる予定だったところまで、ようやく3日目にして到達した。あと3日で、仕上げねば!
あまりに進まないので、過去の日記を読み返したら、今までの経験からすらすら書けたことはないことを思い出した。仕上げにたくさんの語数を一気に書いたことはあるが、それはその直前の数日に苦しみぬいた結果である。朝起きたときより夜寝るときのほうが、PCに並ぶ単語数が多いのであれば、それでいいのだ。語数よりも、考え抜くことに集中したい。最低限それだけやって、後は締め切り前に帳尻を合わせればよい。
毎日、こうして自分を盛り立てているが、たまに友人がメールをくれるのが、また、励みになる。先日オーストラリアで働きながらMBAにチャレンジしている名門秦野高校時代の友人からありがたいメッセージをもらった。
Don't give up submitting all your assignments. Even if your works are
far below your satisfaction, it is worth finishing anyway. Probably, in
next three weeks, you will come up with thousands of reasons not to finish
all your assignments. But finishing with low marks is far more precious
than quitting, I think.
その通りだよ!しょっちゅう言い訳考えたくなる。でも、とにかく終わらせます。ありがとう。この場を借りてお礼を言っておくよ!
2004年4月21日
今日はResearch Methodsの最後の授業。
いつものレクチャラーの哲学的な講義ではなく、コースディレクターのTom Woodhouseによる実用的な講義。修士論文の要件(語数や製本の仕方)からトピックの選び方やスーパーバイザーとのコミュニケーションについての説明を受けた。いよいよという感じがする。エッセイがたくさん残ってまだまだその段階ではないのだが・・・。
来週の頭までにどのようなことを書きたいか決め、提出しなくてはならない。なんとなく頭に思い描いていることはあるが、実際に論文としてまとめうる内容なのか等、検討できていない。内容にふさわしそうなスーパーバイザーもよく分からないし・・・。
昼過ぎに学校から戻り、今日もエッセイに取り組む。ほんの少しずつ進んではいるはずだが、やはりスローペースだなぁ。書けない自分がもどかしい。ふと、最近食事を手抜きしているなと思い、今日はしっかり食べることにした。野菜たっぷりチキンカレー、ほうれん草の胡麻和え、オクラの味噌汁。美味いぞ〜。やる気出た。
2004年4月20日
睡眠時間を少し削ったら、一日中眠かった。もしかして逆効果?
今日はDemocracyとIntroduction Peace Studiesの授業があったが、出席率はかなり低かった。久しぶりに何人かの友人に会った。髪型の変化に随分驚いていた。面白かったのは僕より若いけど禿げているドイツ人のJが「よう、兄弟」みたいなことを言ってきたので、僕は禿げてるんじゃなくて短いだけだぞと思いながら会話をしばらく続けたところであることに気づいた。彼が禿げているのは頭のてっぺんだけだったのに、よく見ると全体的に髪の毛がやけに短い。聞いてい見ると一週間前に剃りあげたとのこと。そういう意味で彼は僕に「兄弟」と言ったようだった。しかし、僕を含め周りの友人たちはしばらく誰もJの髪が短くなっていることに気づかなかった。ま、金髪と言うのもあるのだけど・・・僕が「Kyoだとは思わなかったよ」と言われたのと対照的。
夕方から本格的にエッセイを書き始めることにした。ゆっくりと進み始めた。頭にイメージがあるつもりだけど、なかなか進まないものだ。「分かったつもり」になっていることが、エッセイを書く作業により「分かっていない」ことに気づく。そして、それでも「分かったふり」をして文章をまとめあげる。今日は語数は稼げなかったけど、エッセイを書くという行為がなぜか途中から滑稽なものに思えてきた。少し頭が壊れてきたかも。
2004年4月19日
明け方に目が覚めた。寝つきのいい僕としては珍しい。そして、その後なぜか頭の中にエッセイのことが浮かび、その後ほとんど寝付けなかった。こんなことは初めてかも。エッセイの遅れに予想以上に焦っているようだ。
午前中、根気よくConsolidation of democracyについての文献を読み、考えた。ほんの少しだけ展望が開けた気がする。完全に理解するにはあと3年ぐらいかかるだろうけど、強引にでもまとめ切れそうなアイデアが思いついた。
昼からラテンアメリカの講義に行った。イースター休暇は昨日で終わったのだ。今日の講義はラテンアメリカの政治体制について。イースター前はマイノリティーや経済に関する講義が多かったが、ここへきてようやく僕のエッセイタイトルに近いものになった。パラグアイの独裁政権のビデオを観た。その後セミナーで発表。自分のエッセイについての発表だったので、とくに準備をしていかなかった。まだストラクチャーすら決めていないのだが、現段階で頭にあることとエッセイを書く上で疑問が残る点について発表した。僕の説明で足りない点(つまり、エッセイを書く上で補強したほうがよい点)を解説してもらったのは有意義だった。また、孤独な作業で得た知識をみんなの前で話すことにより、自分の中でも曖昧なままだった知識が少しクリアーになったと思う。
今日のセミナーは非常にリラックスした感じで、議論と議論の間に出身国の民主主義観や市民社会についてなどの考え方をシェアした。アカウンタビリティの話になったとき、スペイン語にはそれに相当する語がないという話を聞いたので、日本語にもそうした概念がなく、一応の訳語(説明責任)はあるが本来の意味を十分に表していないという話をした。それゆえアカウンタビリティーを果たす政治家は皆無であると言う話もした。ついでに今日本で流行っている「自己責任」について解説した。イラクで拘束されていた日本人がイラクに行ったことは自分の都合だろうだと責められ、政府から謝罪を強要され、マスコミがその流れを強めていること、そして救出のための費用を政府が請求しようとしていることを話すと、全員でいっせいにクレイジーだと声が上がった。コロンビアで誘拐されて生還したイギリス人などは帰国後英雄扱いだったぞと言っていた。
今回拘束された人たちはイラク人を助けたいとかイラクの現状を知りたい・知らせたいという意思を持って行動した人たちだ。彼らにとってはイラクは危険地帯だから行かない場所ではなく、だからこそ行く場所だった。自衛隊が「危険だから」できない人道支援を自分の身の危険を承知で行っていた。そういう意思ある市民の活動を評価しないばかりか、自己責任だと非難を集中させる政府のやり方は異常だ。国民の生命と安全を守るべきはずの政府が責任を完全に放棄しているとしか思えない。そうした意思ある人の行動を身勝手だと決め付けることで復興支援は自衛隊にしかできないと印象付けようとしているのだろう。個人を非難することで自衛隊派兵を正当化しようとしているとも言える。
特に異常なのは謝罪を強要していることだ。日本人の特質として、事件後に帰国したときに「心配かけて申し訳ない」という謝罪はありうると思う。それは自発的なものだ。他人を気遣うこの行為は僕は日本人の美徳だと思う。しかし、家族は自衛隊撤退の要求を出したことに対して謝罪を「要求」され、拘束されていた人たちは政府の止めるのを聞かずにイラクに行ったという「身勝手な行動」に対して謝罪を「要求」された。帰国後、精神的なショックにより会話や食事がまともにできないと報道されているのを見たが、この原因を「拘束されていたこと」だけに求めるのは間違っている。解放後に政府に要求された謝罪や制約された行動が、彼らの精神をさらに痛めつけているに違いない。
日本が国際協力や人道支援をするのは何のためなのであろうか。 それを進めるために世界から異常だと思われる行為を続けるのはなぜなのだろうか。今回の事件では政府の論理・マスコミの報道・国民の反応は外国から全く受け入れられないものである。このことを真剣に捉えないと国家として役に立つ協力や支援はできるわけがない。政府は他国のやり方を学び、マスコミは他国の情報を伝え、個人は幅広く情報収集して政府・マスコミの嘘を見破らなければならない。それをしないのはあまりに怠慢すぎる。
2004年4月18日
朝からいくつかの文献を読む。今までに読んだのと似たようなことを言っているのは分かった。しかし、まだ理解しきれない。時間がどんどん過ぎる。
今日は昼過ぎから広島に帰った彼女とそのご両親とテレビ電話をした。久しぶりにお顔を拝見した。僕の髪型がドラスティックに変わっていることに驚いていた(というか、それを見るためにテレビ電話かも 笑)。元気そうでなによりだった。
夜はアンゴラ人のフランシスコの誕生日会に呼ばれ、Great Horton Rd.沿いのカレー屋Anam'sへ。ビュッフェ形式で£14。量には満足だが、値段の割りには味は評価できない。15種類ほどカレーがあって一応すべて味を見たが、美味しいと言えるのは一つだけだった。よかったのはデザートが豊富で、その中にファルデーがあったこと。イランのように冷やしてあるわけではないのだが、懐かしくて思わずお代わりした(これも実は味はイマイチ)。★☆☆☆☆
追記(4/19): 翌朝、お腹を壊して4回もトイレに行きました。Anam'sに行った人のほとんどが現在胃痛または腹痛を訴えています。
2004年4月17日
書こうと思って書けない状態3日目。難しい。48時間ぐらい全く進歩がないような気がしたので、気分転換に図書館へ。返却期限が迫っているものがあったのでそれを持って行き、2nd
floorへ。
同じテーマでエッセイを書いているイギリス人のPと少し話すことにした。探すまでもなく、いつもいる場所にいた。Consolidation of
democracyの定義をし、それをラテンアメリカ一般論に当てはめ、さらにケーススタディを論じなければならないが、その流れがうまくできず、この数日進歩がない。Pならそろそろ書き始めているんじゃないかと思い、流れに関してアドバイスでももらおうと思った。
話をしてみると彼はまだ書き始めてなかった。そして、ストラクチャーに関して考えてはいるけれど、まだ決めかねていて、しかもラテンアメリカは多様すぎて一般論を論じるのが非常に難しいという僕と同じ思いを抱いていた。頭に入っている少しのアイデアをお互いに交換した(というよりほとんど一方的にもらったかな?)。まだまだ考え続ける必要がありそうだ。
本を読みながら彼が書いているメモを見た。小さい字でA4の紙にびっしりと書き込んでいた。 「一つのエッセイを書くのにどのぐらいメモを取るの?」と聞くと大体20枚ぐらいだと言う。文献を読みながら得たアイデアをどんどん書き込んでいるそうだ。「頭悪いから読んでも覚えられないから書かなきゃできないんだよ」なんて言っていたが、それだけの量を記述するのはすごい。しかし、だからこそ、彼は想像を絶するような点数を取るのだろう。とにかく時間をかけてアイデアをたくさん吸収している。
その話を聞いて僕は少し考え直した。英語力の差があるので同じ時間読んでも僕が吸収できる量は彼に比べてはるかに少ないだろう。しかし、とにかく書き始めることばかり考えている。僕だけでなく、誰もが苦労しているのだ。あまり焦りすぎず、分からないときはとにかくじっくり読むしかないもんなぁ。
2004年4月16日
昨日はとうごのカレー大会に行った。毎日気分転換してるので精神状態は健康なり。しかし、進まない。
今日は一日家にこもった。昨日電気ポットをもらいお茶をくみにキッチンに行く必要もなくなったので、朝昼夕食のため三度キッチンに行った以外はずっと部屋にいた。
ストラクチャーを考えて書き出すのが今日の目標だったのだが、ストラクチャーがなかなか決められない。なんとなくは思い描いているのだが、それぞれどんなことを書こうかと具体的に考えようとするとうまくいかない。とりあえず書き始めるという作戦もないことはないのだが、先日IPSのエッセイでとりあえずのまま最後まで行ってしまったので、やっぱり理解してから書きたいと思うのである。IPSのエッセイはこのままだと結果が恐い・・・やり直す時間は・・・ないだろうし・・・。オーマイブッダ!
2nd Semesterのエッセイを始めてから、前よりも書けなくなっている気がする。1st Semesterよりも課題が難しくなっているのかもしれない。文献を読んで内容を理解し切れなかったり、たくさんの情報を整理しきれず読み終わっても頭に何も残っていないような気がしたりというのは相変わらずだが、内容を理解したらしたで、学者によって説が違いすぎて、結局誰が何を言ってたのか分からなくなってしまう。明日もじっくり考えてとにかく続けるか。締め切りの前にさっさと終わらせて次に進みたいのだけど、これではギリギリまでかかるかも知れない。
頭と目が疲れた。あと二日で学校が始まることに気づいた。さて、これからどうやってこなしていくのでしょう!
2004年4月14日
北野武の『座頭市』を観た。「斬りすぎ」の感はあるが、ところどころ散りばめられたユーモアとストーリーの流れはよかった。時代劇と金髪の武がどうマッチするのかと思っていたが、不思議と違和感がなかった。時代劇の新しいスタイルを提示するのに成功したということなのだろう。最後の町の衆がみんなでタップダンスを踊るシーンに象徴されているが、軽快なリズムと音がこれまたいい映画だと思った。
夕方から明日でブラッドフォードを去る博士課程の学生の送別会に行った。パレスチナ自治区の人の支援を長いことしていて、その間いろいろと大変な目にあったということのだが、そういうことも含めてすべて笑い飛ばせる彼女のエネルギーはすごい。大阪のおばちゃんの(失礼!)ポジティブな部分を見事に持ち合わせた尊敬すべき人だと思う。彼女を慕う他の数人の学生と夜遅くまで語った。
家に帰ってメールを開くと、記者としてイラクに行っていた友人マットから無事出国のお知らせが届いた。これで僕の友人たちはみな何事もなくイラクで立派に仕事を終えたことになる。メールを見て、すごくホッとした。エッセイも手につかず(という言い訳にはしたくないが)、流されるニュースやいろいろの人の意見をずっとウォッチしているのだが、この一週間は、そんな作業をしているだけでも、精神的に疲れてしまっていた。友人たちの苦労を思うとなんてことないのだけれど。
いろいろな意見が出るのは当たり前で、僕は平和のためにできることに綴っているような意見を持つけれども、三人の拉致を自業自得という人や自衛隊の撤退を支持しない人たちの意見にも耳を傾けるべきだと思っている。しかし、論調は日に日に極端になっていて、一方が他方をバカだとかアホだとかアカだとか非難するものもよく目にする。中傷合戦にもなっている。そんな議論を見て、疲れてしまっている。彼らの目的は状況をきちんと分析することよりも、他人を論破することにおかれている。立川談志のストリーミング寄席は特にひどかった。異なる意見を受け入れず、他人の立場を理解しようともしない。発言によって何かを生み出さないだけでなく、見る人を不快にさせる。こういう人たちこそ、テロリストと呼ぶべきではないのか。少なくとも僕は、あまりに閉鎖的な意見を聞いて、脅威を受けた。
2004年4月13日
早起き計画失敗。朝6時半に起きて取り組もう・・・などと考えていたけど、目覚ましを無意識に消していた。起きたら9時過ぎ。目覚ましがなくても8時頃起きる習慣がついてきてるのに、なんでこんな結果?
朝ご飯を食べていると気分はウルグアイだった。なぜかは分からないが、去年の8月に会ったウルグアイ人のタンゴが頭の中を流れていた。ラテンアメリカのエッセイのケーススタディーを何にするかを昨晩考えた結果だろうか。というわけで、ケーススタディはウルグアイに決定。ウルグアイのことなんて全然知らないし、パラグアイと混同してしまうぐらいだから学ぶには最適だ。10日後ぐらいにエッセイを書き上げたときにはウルグアイについて少しは語れるようになっているかな。
さて、朝からずっと文献に目を通すものの、内容が高度過ぎるのか一向に頭に入ってこない。なので昼過ぎに図書館に出かけ、同じトピックで書いている英人フィリップと話をしに行った。アフガン人のハリッドとも久しぶりに会ったので、北アイルランド訪問の話をしているとカトリック・プロテスタントの話からオーソドックス(正教会)の話、そして預言者の話になる。僕から話し始めたはずなのだが、最後のほうは聞き役に。預言者に関するストーリーはキリスト教徒やイスラム教徒はそれぞれの宗教の中で「共通の話題(常識)」として持っているらしい。そして、宗教は異なるものの預言者の伝説の話をしていると「キリスト教ではこうだぞ」とか「イスラムではそれはこう伝えられてる」とか、それなりに共通点を持ちながら話をしていた。さすが「啓典の民」と言えるのだろうか。
夕方、一旦自分のアパートに戻り、図書館でコピーしてきた文献を読んだ。そしてまた出かけた。今日はエミの誕生会(誕生日は先週)。シティセンターの向こうにあるメキシコ料理屋「Cocina」へ。しばらくぶりに会う友人たちと語った。休暇中の話や旧ソ連、そしてなぜか風雲たけし城の話になり、明日はたけしが監督の『座頭市』を南アフリカのエルシャとノリコと3人で観にいくことにした。
ちょっとだけ顔を出して帰ろうかなと思ったりもしてたのだが、しゃべったり飲んだりしていると楽しくて、あっという間に12時半になっていた。酒の席はつくづく面白い。途中で切り上げるのは難しいものだ。(つづく)
2004年4月12日
ラテンアメリカ関連のエッセイ、難しい!
本をめくったり、ネットで検索したりしているのだけれども、なかなか糸口がつかめない。トピックはConsolidation of Democracyについて具体的な国のことをTheoretical
Literatureとの関連で述べる、というものなのだけど、CofDに関しての英文を読んでも内容的によく理解できないし(1ページ読むのに30分近くかけて、それでも理解不能だったりする!)、約20ヶ国あるラテンアメリカ諸国のうちからどれを選ぶかで迷っているので(どの国も名前と有名な遺跡ぐらいは知っているけど、それ以外のイメージが「ラテン」ぐらいしかないのだ・・・)。
漫然と読んでいてもなかなか頭に入ってこないので、まずは地域を選ぶことにした。その結果、南米しかもSouthern Coneと呼ばれる国々(アルゼンチン・チリ・パラグアイ・ウルグアイ)の中から選ぼうと決めた。この地域にしようと思った理由はSouthern
Coneという響きがなかなか気に入ったため。なんと安易な選択だろう!
今日は気分転換にシティセンターに行ってみたが、ほとんどの店が閉まっていた。イースターは昨日で終わったかと思ったけど、まだ続いているみたいだ。いつまでだろう?目当ての郵便局も閉まっていて、切手を買うことができなかった。唯一開いていたモリソンズでグレープフルーツを購入。かつてグレープフルーツキングと呼ばれたこともあったけれども、最近あまり食べていなかった。ジューシーでうまかった!
2004年4月11日
イースター(復活祭)など僕には関係ないと思っていたが、友人からメールで一緒に来てみないかと誘われ、教会をのぞいてみることにした。
僕はなんとなく、厳粛な雰囲気の中で行われる式典のようなものをイメージしていたのだが、導かれるままに到着した会場はまるでコンサートホールのような感じだった。ピンクを基調とした照明に照らされたステージではノリノリのミュージシャンが派手に演奏をし、客席にも頭を縦に激しく振っている若者や音楽に合わせて両手を天に仰ぐ年配の夫婦などがいた。音楽の後は、司会者のような人が聖書に基づいて長い長いスピーチをした。
行った感想は正直ネガティブなものだった。しかし、人の価値観を否定したくはないので詳しくは述べないでおく。自分の頭の中には全く存在しない思考方法を持った人が世界にはたくさん存在し、しかし、そうした人たちと同じところで生きているのだから、思考の違いを排除でなく受容できるよう、今日の出来事を記憶しておこうと思う。
2004年4月10日
昨日決めた目標どおり、午前中に一応書き上げた。4012語。こんないい加減でいいのだろうかとも思うが、こなすべきは5本のエッセイであるので、ひとまず完成ということにする。
昼食後 、二本目のエッセイに取り組み始めた。ラテンアメリカ関連。手元に図書館から借りた5冊の本があるが、設問文の意図が掴みづらく、何から初めてよいか分からなかった。とりあえず、ネットで検索したりもしたが、埒が明かないので気分転換と誰かへの相談をかねて図書館に行くことにした。
図書館はずいぶん空いていた。イースターのためガードマン以外の職員は休みだったので、欲しいと思ったスタッフファイルは手に入らず。学生もほとんどおらず、エッセイの相談もできなかった。前に寮で隣の部屋だったネパール人のウッパンドラと詩人のアキコに会ったので少しだけ話をして帰る。
アキコからイラクで誘拐された18歳の今井さんが「ブラッドフォード大学の平和学部に留学する予定である」という噂を聞いたので、家に帰ってネットを見て確認した。彼の高校時代の担任の先生はどうやら2年前に平和学の修士課程にいたらしい。平和への志は人から人へとつながって行くんだなとしみじみ感じた。
誘拐された3名が24時間以内に解放されるとのニュースが入った。実現してほしい。そして、自衛隊は勇気ある撤退をしてほしい。
2004年4月9日
状態は改善せず。しかし、突っ走ることに決めたのでとにかく埋めることに集中。書けそうなことを無理矢理出し切って、3500語に達した。しかし、4000語以上書かなければならない。イントロダクションとコンクルージョンで500語稼ぐか?と思い、そのあたりをちょろっと書いてみると3776語となった。富士山だ、と思って今日はここでやめることにした。今、午前3時。
今までの三本のエッセイ以上に無理矢理進めた感がある。文章内に論理的に矛盾があり、少し論点が題名からずれていることにも気づいている。しかし、明日の午前、とりあえず仕上げよう。次に進むためにも。
2004年4月8日
書き進めるほどに理解していないことに気づく。今までもエッセイを書くときは何かと苦しんできたけど、今回はまた格別だ。核抑止の議論は難しい。
分かっているつもりでいるのだけど、微妙な主張を理解して、それを英語に置き換えることがなかなかできない。頭の中に漠然とアイデアがあるような気がするのだけど、書いてみると稚拙だ。エッセイの中に同じようなことを繰り返し書いてしまっていることにも気づいた。ちとこれはまずいかな?
イラクで日本人の誘拐事件が起こった。いつかは起こるだろうと思っていたことだけど、今現在二人の友人がイラク国内に滞在していることもあって、すごく気になった。エッセイで頭が混乱しているけれど、日本という国が急激な変化を遂げるかもしれない今において、象徴的な事件であるからいろいろ考えてみた。「平和のためにできること」に考えを書き出してみた。思ったことを表現するのは難しかったし、読んだ人に意図が伝わるか少し心配だけど。
2004年4月7日
完全にハマった。書いているエッセイの構成に無理がある気がしてきた。無理矢理書いて語数は1800に達したけど、やり直したほうがいい気もしている。このまま書いたらめちゃくちゃになるかもしれない――でも書き直したら時間ないだろうなぁ。
Just War TheoryをJust Deterrenceに応用した文献があったのでそれを中心にアメリカの対ソ核抑止戦略のjusticeについて検証しようと思っていたのだけど、使おうとしていた文献がそういう分析にそぐわないことが今頃判明。エッセイの核にしようとしていたものだっただけに途方に暮れている。核抑止のジレンマとエッセイのジレンマ。
今日は気分転換に・・・というか食料が尽きたから・・・久しぶりにアル・ハラルへ買い物に行った。野菜と肉を適当に買い込んだ。肉屋のおっさんがものすごくフレンドリーだったので話をしたのだが、彼はイラク出身ということだった。イラクと言えば現在バグダッドに友人が二人滞在しているけど、二人の活躍ぶりを聞いて友人としてとても嬉しい。同級生のミホは9日のテレ朝の報道ステーションの特集でレポーターをするらしいし、BEEMAN時代からの友人マットは日経に毎日署名入り記事を書いている。
今日は随分頭を使ったのでかなりの疲労感。おやすみなさい。
2004年4月6日
たまったメールの整理で午前中を費やした。
午後から思い腰を上げ、エッセイを書き始める。全体として書こうと思っていることは決まっているはずなのだが、単語が全然出て来ない。まぁ、今までの三本のエッセイと一緒だ。なかなか集中できないながらも、机の上にかじりつくことの重要さは意識しているつもりなので、とにかくパソコンの前で数時間を過ごした。
日が暮れたら集中できるかな、などと思いながら過ごしていたのだが、 薄暗くなったと思ったらすでに8時半になっていた!サマータイムで一時間ずれたとは言え、随分日が長くなったものだ。つい3ヶ月ほど前は3時半に日が沈んでいたのを考えるとものすごい差だ。さぁ、明日も引き続き頑張ろう。
2004年4月5日
北アイルランドスタディーツアーから帰ってきた。
北アイルランドのことを勉強したのは当然だが(まだ足りないけど)、ヨーロッパを主とする他の学生たちと10日間寝食を共にした結果、いろいろなことを知ることができた。近いうちにまとめておきたいが・・・これから六週間で5本のエッセイを書かなければならない。さて、どうなるでしょう?!
エッセイに集中するため(?)頭を丸めた。
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