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ブラッドフォード大学大学院 体験記
(MA in Peace Studies, University of Bradford)
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そろそろ春かな?(5月)
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2004年5月31日〜6月1日

2004年5月29日〜31日 Lake District

イギリスの自然の美しさに感動し、料理のまずさを認識した三日間。
2004年5月28日
コーチ(長距離バス)でヨークへ。バスも列車もあまり所要時間が変わらないと思い、イギリスのバスも両親に体験させてあげようと思ってバスを選んだが・・・結果はやや失敗。ブラッドフォードでヨーク行きのバスについて訪ねると「2分後に発車します」と言われたので急いで飛び乗ったのだが、ブラッドフォード⇔ヨーク間のバスは本数が少ないし(一日3本程度?)、途中リーズで1時間弱停車するので、待ち時間を含めて2時間以上かかってしまった。
ヨークでは城壁をめぐり、クリフォードタワーに行った後、昼食を食べ、ヨーク大聖堂とアートギャラリーを訪れた。空全体を薄く雲が覆っていて、青空は時々しか見えなかったが、暑過ぎずちょうどよかったのかもしれない。
昼食はBetty'sという有名なカフェでアフタヌーンティーに挑戦。この店はいつもいつもものすごい行列だったので、今日も全然行く気はなかったのだが、昼過ぎに通りかかってみると店の外に列は見えなかったので、行ってみた。5分ほど待ち、席に案内される。
「ものすごく長い時間をかける」、「食べきれないほどの量がでてくる」という噂を聞いていたので期待して座った。メニューはティールームブレンドティー、チキンorハムサンドイッチ、スコーンと卵バター&苺ジャム、デザート(ヨークシャーカードタルトorバニラスライスケーキorステムジンジャーケーキ)。味のほうはサンドイッチはイギリスで食べる他の一般的なサンドイッチよりは美味しいが、絶品というほどではない(パンが良質で具のボリュームは多い)。スコーンおよびデザートは僕たちには甘すぎた。甘すぎるのでお茶をどんどん飲むと言う感じ。量的にもそれほど多くはないと感じた。期待を持ちすぎたのが悪かったのだろうか。アフタヌーンティーという「夢」はもろくも破れた。それほど話題になるのはどうしてなのだろう。★★☆☆☆
夜8時前にブラッドフォードに戻り、両親を大学へ案内。平和学部と図書館を経由して、大学の反対側にあるイスラムエリアへ。ちょっと時間が遅かったのでアルハラルもボンベイストアも閉店してしまっていたのが残念。夕食はShimlaでチキンティッカ、ベジタブルマサラ、アールチャナを食べた。両親ははじめ「二日連続カレーは・・・」という感じだったのだが、外食の選択肢の少なさと僕の好きな店であるということで、結局この店に入ることになった。ま、3日でカレーを二度も食べたことは「ブラッドフォードならではの」経験をしたということになるだろう。
明日から列車での旅。「湖水地方の車窓から」です。
2004年5月27日
快晴だったので、朝9時に両親をホテルに迎えに行き、列車でイルクリーに向かった。
列車が走り出すとすぐにのどかな田園風景が広がる。それをみて両親はいたく満足してくれたようだ。ゴトゴト揺れる列車の中で父は山陰線(京都から母の実家亀岡へ向かう線)みたいだと言い、母は山北線みたいだと言っていた。
イルクリーに着くと近くのパン屋で昼食を買い、坂を登ってThe
Cow and Calfへ行き、そこで昼食。その後white
wellsまで山道を歩き、町へ戻った。なだらかな丘は歩きやすく、最近登山の頻度が減った父も母も、ゆっくりと楽しめたみたいだ。母は羊を見るたびに大喜びしていた。しかも、羊の鳴きまねがうまい。モンゴルで羊と長いこと会話した僕よりうまいのには驚いた(笑)。
3時ごろブラッドフォードに戻り、僕のアパートに案内した。お茶を飲んで寛いでもらおうと思ったが、3人も部屋に入ると狭くて、却って疲れたかも。母の希望で広島の彼女とテレビ電話を少しして、父が持っていた昨年9月に生まれた姪(まだ会ったことがない)のビデオを見たりした。かわいい。早く会いたい。
その後、アパートの向かいにあるOmar Khanというカレー屋でKing Fisherの生ビールを飲みながらブラッドフォード名物のカレーを食べる。スターターにシシケバブ、バニールロール、ミートサモサ。メインにベジタブルマサラ、チキンローガンジョーシュ、ラムダンサック。この店はいつも安定した美味しさなので安心だ。しかも店員の態度がよい。唯一の難点であるナンは今日も焼き方がイマイチだったが、お腹いっぱいインド料理を楽しんだ。★★★★☆
さて、お腹いっぱいのままアルハンブラシアターへ行き、ミュージカル『フットルース』を観た。イルクリーから早めに帰って来たため、急遽チケットを入手したのだが、食事をした後「けっこう歩いたし、眠くなりそうだね」と母。シアターに着くとその予感は的中。二人ともうつらうつらしながら時々音楽を楽しんでいた。まぁ、ニューヨークから来た本場のミュージカルを見ながら寝るなどという贅沢はそうそうできるものでもないし、いい経験だったろう。日本公演で寝てしまったら高すぎてもったいないけど。
「フットルース」には思い出がある。ミュージカルで観るのは初めてだし、映画を観たこともないが、踊ったことがある。高校2年の時の体育祭で創作ダンスみたいのを3年生の指示の下やったのだが、そのときにこの曲をメインに僕らは踊った。ダンスの練習をしたのはこのときが最初で最後である。結果は、僕らのチームはたしか、ダンス部門でダントツ最下位。その代わり運動部門で圧倒的な強さを発揮し、優勝した。
舞台挨拶後、前回アルハンブラシアターを訪れた12月に続き、またもや盛り上がる演出があった。これはNYのフットルースのいつものパターンなのか、ブラッドフォードだから何でもありなのか分からないが、挨拶の後、再び音楽がかかり、主人公が観客に向かって「みんな踊ろうぜ」と叫んだ。観客は総立ちになり、音楽に合わせて大盛り上がり。こういうのは楽しくてGood。
2004年5月26日
昼過ぎよりBA卒業間近のとうごくんとカレーを食べに行った。考古学のAyakoさんも加わり、三人でInternationalへ。Prawn
Vindalooを注文。海老が小さすぎるし、辛さも"Very hot"と書かれているわりに物足りない。結局マンゴラッシーが一番おいしかった。それもけっこう化学的な味がしたが・・・。★★☆☆☆
しゃべっててふとあることに気づいた。とうごは来週試験が終わると一ヶ月ノルウェーに行き、卒業式のために数日ブラッドフォードに戻った後、すぐに日本に帰国すると言う。僕は明後日から10日ほどイギリス国内旅行の予定。そうなるとブラッドフォードでこうして一緒に食事をするのも最後かもしれない。なんとなく授業がすべて終わり、エッセイの締切が続き、ぼぉっとして今に至るのだが、よく考えると、国に帰っている人も結構いるので、同じコースの人とももう数回しか会えないかも知れないし、もしかすると二度と顔を見ない人がいるかもしれない。そう思うと、本当にもう終わりつつあるのだなと実感する。
夕方、ふと久しぶりにMSメッセンジャーをつないで見ると、上海のイナがオンラインだったので話しかけた。すると彼はつくばにいる妻のいっちゃんとテレビ電話中で、思いがけず久しぶりに3人で会話をすることができた。イギリスに来てから何度も日本とテレビ電話をしてその便利さを痛感してはいたが、こうして思いがけず遠くにいる3人がつながり、なんだかいたく感動してしまった。しかも、イナ夫妻との会話を終えた直後、香港人の友人鐘くんが出張先の杭州からオンラインメッセージをくれたので感動はさらに広がった。うーん、面白いなぁ。
昨日今日と、9月に行うポルトガル・ロカ岬での結婚式と10月に行う長野・蓼科での結婚披露パーティーの招待状を出し始めた。それをきっかけに多くの友人から近況を聞くことができたのだが、僕がエッセイに追われてあっという間だと感じていた9ヶ月でいろいろと変化が起こっている。転職や社内異動もあるし、彼女ができ、結婚にこぎつけた人も・・・。その中で最も今応援したいと思う一人をここで紹介する。
彼の名は啓。ヤマト運輸に勤めていたが、社内ベンチャー制度を利用して先日社長になった男だ。イギリスに来る前、彼がその制度を利用して起業したいと言う事で、相談を持ちかけられた僕は彼にいろいろアドバイスをした(と言うと大げさに聞こえるかも知れないのでもっと分かりやすく言うと、思いついたアイデアを以ってその制度に応募しようとしていた彼が僕を飲みに誘ってくれたので、僕は役員向けのプレゼン等のときに役立ちそうな資料をあげ、彼のアイデアに対して好き放題言ってみたというだけであるが・・・)。その会社の名前は株式会社ドリームクリエイト。(通販雑誌でない)雑誌で見かけていいなと思った商品をすぐに注文でき、それをヤマト運輸が配達してくれると言うサービス。読者(顧客)は雑誌を見て、「ほしいけど手に入れる方法が分からない」「手間がかかるのであきらめる」などという理由で今まで手にできなかった商品を注文できるようになるし、雑誌に紹介された売り手はそれにより売り上げを伸ばすことができる。そして、(たぶん)雑誌もそれによりマージンを得ることができる。ヤマト運輸の持つ物流システムの強みを生かすサービスだ。これを読んだ人は雑誌でほしいと思った商品をどんどんドリームクリエイトに注文してください。(イギリスからはだめです)
夕方、昨日あれだけ恐怖を感じたパレスチナ人Hの車に今日も乗った。今日は秦野から飛行機で両親がリーズ空港に来る日だったのだが、たまたまEの両親もその1時間ほど前のフライトでリーズ空港に到着する予定となっており、それを迎えに行くHに、ついでに乗せてもらうことにしたのである。今日もなかなか危なっかしかった。が、昨日ほど恐怖を感じなかったのは彼が運転に慣れたのではなく、僕が彼の運転に慣れたのだろう。それから、危なっかしいなりに、Eが横で指示を出すと、Hはなんとか運転をこなすということにも気づいた。さすが、二人はちゃんと通じ合ってるんだね。
20時過ぎに両親と9ヶ月ぶりに再会した。元気そうでよかった。到着したらすぐにブラッドフォード名物のカレーを食べてもらおうと思ったのだが(そのつもりで僕はお腹を空かせて待っていたのだが)、機内食を3食も食べた両親はあまりお腹が空いていないということだった。というわけで、シティセンターにあるGooseというパブで軽くつまみながら飲むことにした。しかし、Gooseは今日は食べ物を提供しておらず(「シェフがいないのよ、私のせいじゃないわ」というのがその理由だった。ここの店員態度悪すぎ)、ビールを軽く1〜2杯飲み、久々に談笑し、ホテルに送った。
さて、明日からイングランド旅行ですよ。明日は晴れたらイルクリー、天気があまりよくなければ徒歩で周辺を散策する予定。
2004年5月25日
パレスチナ人Hの運転でマンチェスターエアポートへ行った。
エッセイ提出後に日本に一時帰国していたEの出迎えに行った。Hは運転があまりうまくなく、標識なども読めないので、一人で迎えにくるのは無理だから一緒に行ってあげてと2週間ほど前にEに頼まれ、行くことになった。
運転がヘタクソな人は世の中にたくさんいる。ま、たまにマンチェスターまでドライブに行くのもよかろうと思って行くことにした・・・彼の運転は怖ろしくヘタクソだった。運転に慣れてないのに慎重さに欠けるのがその根本的な原因だろうが、おそらくあまりセンスがよくないのだろう。運動神経はかなりいいと聞いているので、車の運転に関してだけ特に劣っているのだと思う。
車に乗り込んでまず驚いたのは、ナビをしてくれと頼んでおいて地図も何も持っていないこと。それでもマンチェスターは大きな町なので道端の標識に従えば辿り着くはずなのだが、何も書かれていないところで「このへんかな」と言いながら道を曲がってしまうことだった。ナビゲーターの話聞く気ないのか・・・。それから道があってるか心配なようでしょっちゅうあの看板はなんと書いてあるか見ろと言ってくる。彼の2.0以上ある視力は僕が見えるようになるはるか前にそれらを識別できるのだが・・・。高速道路では線をまたいで走るし、ハンドルの切り方が荒いのでしょっちゅう車内に無駄な力がかかる。一方通行を逆走しようとしたり、それに気づいてすごいスピードでバックしたりもする。Eが一緒に来てと言った理由がよく分かった。
ドライブ自体はたまに(頻繁に?)感じる恐怖を除けばとても楽しいものだった。新緑のきれいな道をまぶしい太陽に向かってマンチェスターへ。そして中華街の「長城」と言う店で夕食を食べた。Hは生まれて初めて中華料理を食べたとのこと。今まで食べずに避けていたそうだが(食べる前、ずっとscareyと繰り返し言ってた)、食べてみるとずいぶん気に入ったようだった。中華料理を知らないでおくのはもったいないよな。ちなみに「長城」は3日前に行った「東海」に比べると随分劣る味だった。イギリスのレストランらしく値段は結構高い。そして、マンチェスター空港でEを迎えた。空港ってのはいつ行ってもワクワクする。これからの旅に期待を抱く人、旅から帰って満足しているひと、見送る人、迎える人・・・。人を見ているだけでも飽きない。お土産に水戸納豆をもらい、さらに満足。いいドライブでした。
2004年5月24日
エッセイが返って来た。と言っても、先週出したものではなく、4月末に出し、先週返却されたもの。クラスメートのサイードに久しぶりに会い、預かってもらっていた二つのエッセイを受け取ったのだ。彼は一つのエッセイが締め切りに間に合わず、先週末ぐらいまで課題に取り組んでいたようだ。ようやく解放されたと喜んでいた。
締め切りは設定されている。でも、間に合わない場合延長することが可能だ。これが平和学部の悪しき習慣。一度ならず二度・三度と延長する人もいるようだ。締め切りを延ばしたからといって点数が下がるわけではない(下がるらしいと言っている人もいるが多分うそ)。終わらないものはしょうがないとは思うし、少しぐらい延長してもきちんと提出させることは悪いことだと思わない。締め切りを守らないと即アウトにしろとまでは言わない。しかし、評価基準を変えないというのはフェアでないと思う。他の人より時間をかけているということは考慮されてしかるべきだ。
さらに重要なことは、締め切りを守らない人というのは、締め切りの時点でゼロだったということである。営業マンなら顧客の信頼を失うことにつながるし、国家であればそのために制裁を受けることになるかもしれない。そういう意味でとにかくカタチを残したかどうかは極めて重要なことである。しかし、間に合わなくても救ってくれるという学部の悪しき習慣があるため、学生の何割かはそれに甘える。「どうせ延長できるから」と言ってラストスパートもせず、友達と遊びに行ったり、映画を観にいったりする人だっている。やればできるのにやらないのは見ていていい気持ちがしない。そういう人とは一緒に仕事したくないなと思う。
締め切りにルーズなのは学生だけではない。隣の開発学部では事務員の休暇の都合で締切が一日延ばされたという。課題を課せられていた学生にしてみたら少し期間が延びてホッとしたかもしれないが、全くいい加減だと思う。
夕方、カークストンホールに出かける。開発学部の人たちの試験の前半が今日終わるということだったので、お疲れさまということで広島風お好み焼きをごちそうしてあげることにした(というのは名目で、単に食べたかっただけなんだけど)。ストックホルムで焼いて以来久しぶりであったが、腕は落ちていない。モリソンズで売っていることに最近ようやく気づいた日本酒「白鶴」を片手に、夜3時ぐらいまで語った。
2004年5月23日
修士論文に関係しそうな文献をほんの少しだけ読む。ほとんど集中できず。
午後からは結婚式の招待状等について広島と連絡を取り合い、作業を進めた。心に余裕のあるうちにどんどん進めたい。近々届けるのでしばしお待ちください。
旅と平和についてネットの文献を読む。こんな一節を見つけた。
Successful travel development requires understanding of world cultures,
human psychology, religion, politics, energy resources, water and nature
conservation, waste management, cross-cultural mediation and more. Yet
somehow one of the world's largest industries seems virtually invisible
to leaders of the academic world.
学者には見えない領域。そうかもな。ま、少しずつ進めますよ。このサイトに当初から明記してあるとおり、僕は学者として平和学の修士を勉強しているのではなく、旅人として平和学を追求しているので、学者には見えないものを見てやろう。
それにしても友人たちから聞くスーパーバイザーについての評判が悪すぎて笑えてきた。
2004年5月22日
マンチェスターにノーム・チョムスキーの講演会に行く。University
of ManchesterのDepartment
of Governmentが主催。彼が昨年出版した『Hegemony
or Survival: America's Quest for Global Dominance』という著作に関連したものだった。同じ日にリバプールでも講演したとかで、彼の超多忙ぶりがうかがえる。
チョムスキーの名は大学のときに言語学関連の文献でよく見かけていた。当初は数多く出てくる学者の中で、友人たちの間で一番受ける名前と言うことで話題になり、その名を覚えた(なんとなくくすぐったい感じ)。その後、言語学だけでなくアメリカの覇権主義に異を唱える学者として有名なことを知り、平和学を志す前にも何度かその名に出会ったものだった。この講演のチケットは配り始めてすぐになくなってしまったようで、エッセイに追われてまともにメールを読んでいなかった僕は逃してしまっていたのだが、キャンセルが出た分をクラスメートのエミがもらってきてくれ、急遽行くことになった(彼女は自分の分だけ欲しかったらしいが、もらうときに「何枚いるの?」と聞かれ、ついつい「2枚!」と言ってしまったとか。ウケる)。というわけで、はじめてその名を聞いてから約10年後にしてようやくチョムスキーに会うことができた。(と言っても50mほど先にいて、かろうじて見えた程度・・・)
内容は難しかった。途中までついていっているつもりだったが、何言ってるかわからなかったり、眠くなったり・・・。終わってみるとあんまり頭に残っていない・・・。アメリカ政府の「意図」と「真実」についての「過激な」分析を展開した。宇宙の軍事化、BMD、イラク戦争などを通して達成しようとしている目的が、人類にとってどれほど危険かを力説していた。そうした破滅への道を進む人類は最高の知性を持つ存在などではなく、バクテリアほどもサバイバル能力のない無能な存在なのだと言っていた。その他、industrial
democracyとindustrial imperialismという言葉が僕には初耳で興味深かった。が、きちんと内容を理解していないので本を読み直して勉強しようと思う。
昼食はバスで一緒に行ったエミ、フィリップ、オラウと4人で中華街へ。「東海」という店。うまいけどちょっと塩味が濃かったなぁ。講演の後はプレミアリーグFAカップ決勝をマンチェスター中心部の広場のスクリーンで観戦。広場いっぱいにファンが詰め掛けていた。結果はマンチェスターUが3−0で余裕勝ち。ものすごく盛り上がるかな、と思いきや、意外とおとなしかった。イギリス人のフィリップに聞くと相手が格下だから勝って当然なんじゃないかなと言っていたが・・・。とりあえずもっと騒ぐもんだと思ってたのでやや拍子抜け。
中華街で豆腐を買って、帰る。
2004年5月21日
一日がなんとなく過ぎてしまっている。いろいろすることがこまごまとはありながらも、緊急性がないのであっちこっちに手をつけては何も進まない。
今日の成果は洗濯とようやく部屋を掃除したことだろうか。久しぶりに掃除機もかけ、すっきりした。
そしてまた火災報知器がなった。エッセイに追われていないときでも、この音を聞くと心臓に悪い。ここの居住者は精神的にかなり悪影響を受けているだろう。
2004年5月20日
修論のスーパーバイザーDavina Millerと初対面。彼女は英米の中東政策を専門にしている。
彼女はMAの授業を一つも受け持っていなかったので、友人たちに聞いたとき彼女について知る人は少なかったが、前評判は「very strict」「very
demanding person」「never smiles」「stubborn」というようなものだった。
部屋に入ると自己紹介や世間話もなく、突然「論文のテーマは?」と聞かれた。「Travel leads to Peace」と仮に定めた論題を、持参したレジュメとともに説明したのだが、開口一番「旅行は平和とは関係ないわ」と言われた。テーマがアカデミックな方法で証明できないのが一番の問題で、その他、3ヶ月という限られた時間で他の学者が論じたことのないようなテーマを論じるのは無理だと言われた。
僕は旅行というものを娯楽のためのものに限らず、ビジネストリップや留学はもちろんとして、亡命者や戦争や自然災害による難民など非自発的に移動を強制される人も含めた「国境を越えた人の移動」と定義した。その上でそうした「人の移動」が平和の概念に与える影響を考察するつもりである。
しかし、彼女にはそれが全く気に入らなかったようだ。「中東からアメリカに移動した人が911というテロを起こした」とか「私がイスラエルに出張することによって、平和が生まれるどころか敵意が増す」(平和学の教授としてだったらあなたの行動はなんなんだと僕は思ったが)ということを僕の仮題に対する反証として挙げ、「人の移動は平和をうむかも知れないけど、紛争も生むのよ」と言った。
僕はすでにそのことを認めていた。隣の村に行く方法がなければ隣の村と紛争が起こる可能性はゼロだが、行く方法ができればなんらかの衝突は起こるだろう。そして、現在、隣の村だけでなく、いろいろなところに行く方法がある。それは確かにその方法がなかった頃のことを考えると対立や紛争を作り上げた原因と言いうるかもしれない。しかし、そうした方法が確立し、しかも、そうした方法を否定し得ない現状で、その「移動」というものが対立の原因として働くだけでなく、文化の変容や融合、さらには平和に寄与しうるのではないか。そういうことを僕は論文で述べたい。
彼女は論文のタイトルを今まで書いたエッセイ等に関連することに変更することを勧めたが、僕は自分自身を平和学に結びつけた旅や人同士の相互作用について論じたいと強く感じているので、あくまでこの方向性を貫きたいと主張した。そして結局、とりあえず、Cultural
Globalisationが平和に与える影響についていくつか文献を当たってみるということで合意した。どうしても「旅」と「平和」は彼女の頭の中で結びつかないので(そして、確かにそれに関する文献はほとんどないのだと思う)、Globalisationにまで枠を広げて、考えてみろということだった。僕は僕の仮題に反する彼女の意見を聞いたとき、自分の考えと相容れないものを感じたが、MAのTaughtコースにいる学生として、スーパーバイザーの意見を尊重する気持ちはあるし、アカデミックな分野のことは何もしらないので、この彼女の提案を実行してみることにした。僕の旅行の定義からするとCultural
Globalisationは旅行そのものにより生まれるているものだと思うが、彼女は旅行をレジャーやバカンスのようなものだけと最後まで捉えているようだった。このあたりは僕がしっかり説明できなかった部分もあると思うので反省点だが。
彼女の僕に対する方向性転換のアドバイスは、実質的には僕の現在の漠然とした構想を完全に否定するものではなかったと思う。が、Travelという単語にこだわりのある僕としてはしばらくCultural
Globalisationのリサーチをしつつも、もともとの構想を維持できるようなかたちですすめていく必要がある。
スーパーバイザーと話をしながら、いろいろ考え事をしていた。スーパーバイザーの意見にしたがって論文を書いているうちに、初めに論じたかったことと違うことを論じることになったという体験談をいくつも聞いたことがある。アカデミックの世界のプロがその世界のことをほとんど知らない学生にアドバイスし、方向付けをすることはスーパーバイザーの大切な仕事なのだろう。しかし、それに従っていい成績を取れても、僕はきっと嬉しくないだろうと思う。大学を出てすぐに大学院に入っていたらそうではないかもしれないけれど、5年以上仕事をしたり旅をしたりした後で僕はブラッドフォードに来た。僕は現在アカデミックな世界の一部を体験しているが、今後アカデミックな世界に留まるわけではない。スーパーバイザーに従って論文を執筆することによって得るものも大きいと思うが、それは自分なりの平和学の追求と一年間の完成度にとってどういう意味を持つだろうか。
先生に異を唱えるのは高校生ぐらいから習慣化しているが(単に否定するという意味ではなく、先生の言っていることに対して常に「正しい」可能性と「間違っている」可能性を自分なりに検討するという意味で)、今回の論文に関してもこれから3ヶ月、スーパーバイザーとひたすらもめるかもしれないし、頑固だと思われるかもしれない。謙虚に指導を受けながら、自分が「面白い」と感じているか常に検証しながら進めていく必要がある。面白い論文書くぞ!
2004年5月19日
ヨークシャーデールの入り口、Skiptonに行った。
9時半に韓国人のムニと米国人デビッド、ゆみさんと待ち合わせた。前日、「日本人は時間に正確だから遅れないように」なんて冗談で言ってたのだけど、集合に遅れたのは日本人の二人・・・。ま、僕はゆみさんに比べたらだいぶ早かったけど。
SkiptonはBradford Foster Sq.駅から列車で35分の距離。列車が出発してまもなく、のどかな田園風景が広がる。怒涛のエッセイから解放された僕らはみんなリラックスして「羊になりたい」なんて言っていた。
Skiptonに着いたらBolton Abbeyまで歩こう(10km弱)などと漠然と話してはいたのだが、道は分からないわ、目の前にあるものに気をとられるわで、なかなか進むことができず、結局辿り着かなかった。SkiptonのシティセンターとSkipton
Castle周辺、そして隣の村ぐらいまでノンビリと歩いた。牛や馬、羊と話したり、パブでビールを飲みながら持ち込んだおにぎりを食べて注意されたり、乗るはずの蒸気機関車がこの時期は土日しかやってなかったりだった。天気はそれほどよくなくたまに太陽が顔をのぞかせる程度だったが、涼しくていい気持ちだった。
3時過ぎごろSaltire経由でBradfordに戻ることにした。Saltireは僕は以前訪れたが、他の3人は初めてだった。いろいろ見たいという気持ちはあったようだが、みんな缶詰生活から出たばかりのためか、すっかり疲れており、公園の芝生を少しあるいてMillの中にあるミュージアムに行っただけで帰ることにした。6時過ぎ、帰宅。
部屋の掃除をしたかったが、今日もまたやる気がせず、たまっているメールに返信したり、久しぶりに平和のためにできることに加筆したりした。
明日は修士論文のスーパーバイザーと初めて会うので、そろそろ再び動き出そうと思う。とりあえずやろうと思うことは、修士論文の方向性を決め、資料を集めること、ロカ岬および日本での結婚式の準備をすること、もう一つのワールドカップを再び書き始めることぐらいかな。
2004年5月18日
エッセイは無事終了。最後の3日で5500語ほど書いて、締め切りの30分ぐらい前に提出した。ふぅ。よかった。
木曜に最後の授業を終えてから、一度も外出せず、完全引きこもり状態だった。一ヶ月半で書きなぐった(という表現が正しかろう)18187語。参考文献も全部で50種類ぐらい。修士論文と同じぐらいの分量だ。
どこの学部もエッセイの提出日が重なっているようで、試験が近いのもあり、図書館のプリンターは大混乱だった。中央の集中プリンターは印刷までに2時間半かかると言うことで(処理したプリントを手作業で振り分けているのでこんなに時間がかかるのである)、セルフサービスプリンターを利用したが、3台のプリンターに殺気立った30名以上が群がり、まさに戦争状態だった。自分の文章が出てこないと人のをどこかへ置いたり、数ページ抜き取ってしまう不届きな輩もいるようで、混乱はさらに深まる。僕はなんとか20分後ぐらいに自分の分を手にすることができたが、数ページ足りなくなっていたのでコピーして補った。
印刷を終えて提出をするとほっと一息・・・のつもりだったけど、もれなく4月末に提出したエッセイが返ってきた・・・。リラックスさせてくれないねぇ。すぐに見ないでおこと思ったのだが、結局気になって見てしまった。結果は今までほどよくはないけど、ぎりぎりで通過というわけでもないので、まぁ苦しんだ価値はあったのだろう。採点基準が同じであれば残りのエッセイも落とすことはないだろう。なんにせよ、意味不明なまま出した二つのエッセイが無事通過したことは嬉しい限りだ。
その後、大学のパンフレットにも載っている大学図書館横の芝生の上で、みんなで祝杯をあげた。計画的に終わっている人は昼前から飲み始めていたらしいが、ギリギリ組も3時過ぎから合流。受け取ったエッセイをなくすと困るので酒を飲まないムスリムの友人に預け、準備は万端。久しぶりに飲みまくった。
夜8時ごろまでその芝生で飲み(その頃までまだまだ明るい)、その後Shimlaでチキンビリヤーニを食べ(やっぱりこの店はうまい★★★★★)、パブ(The
Head)とクラブ(Reflex)をはしごした。久しぶりに飲みまくり、踊った。飲みすぎがたたったのか、夜2時ごろ突然気分が悪くなり、それで退散したが、精神的な疲れは一気に吹き飛んだ。
今朝はひどい頭痛!部屋の片づけをするつもりだったが、4時ごろまではほとんど動けず。机に座ったり、ベッドに寝転がったりを繰り返す、すっかりふぬけた時間を送ってしまった。夕方体調が回復してきたので牛乳を買いにモリソンズへ。道中でユミさんに会い、夕食に誘われた。ゆみさんと真梨子さんが作ったライスグラタン(ゆみさんがレシピをダウンロードし、真梨子さんが調理、という分担だったらしい)めちゃうま!鶏肉のコーラ煮というのも頂いた。昔友人がアメリカで肉じゃがを作ろうとしてみりんと砂糖の代わりにコーラを使ったと聞いて大笑いしたことがあるが、意外だったが美味しかった。試しもしないで否定するもんじゃないな。炭酸飲料で鶏肉を煮るとやわらかくなると聞いたこともあるし。まだ試験4つとレポートを残すトルコ人のトゥルハンの話を聞いて、《まだまだこれから苦しむ人もいるんだな》と思った。僕も3ヵ月後には論文を仕上げなくてはいけないのでぎりぎりにならないように計画的にやろうとは思っているけれど・・・。
その後シネワールドに『Van Helsing』を観に行った。吸血鬼誕生のシーンなど気持ち悪い部分も多かったが、不快な感じではなく、音と景色がきれいな映画だった。大スクリーンで見るから価値のある映画という感じ。たぶんパソコン付属のDVDで見たらそれほど興奮しなかったと思う。トランシルバニアの風景にすっかり魅了された。ルーマニアにぜひ行ってみたいと思った。それからドラキュラ伝説についてはほとんど知識がなく、今までドラキュラ・フランケン・狼男と言えば『怪物くん』ぐらいでしか知らなかったが、ドラキュラ伝説を生んだ想像力の豊かさはものすごいなと思った。
この映画の影響力は大きかったようで、帰り道に蔦がはっている建物を見てはドラキュラ城を思い出すし、暗い洋館の屋上から狼男がいるような気はするし、HSBC銀行のマークはこうもりに見えた。明日、スキプトンに観光&ウォーキングに行くのだけど、森の中とかを駆け回ってしまいそうな気分。(あ、いつもそうか)
2004年5月15日
エッセイ漬けの日々を送り始めてから40日目だ。そう思うとすごいな・・・。
今日はハンガリーの民主主義(的体制)の崩壊〜共産主義の成立について主に書いた。資料が少なく、無理矢理まとめた。本を読みながらその他の部分も適当に(本当に適当に・・・)補強し、一気にコンクルージョンも書いてやった。4本目終了!ストラクチャーがうまく作れていないが、最後のほうはうまくまとめた気がする。
あと36時間強で締め切りだ。最後のMethodsのエッセイを明日一日で書き上げることができるか?明日は徹夜も覚悟か?明日徹夜になるかもしれないので今のうちに寝ておきます。
2004年5月14日
7時半起床。朝食をとり、8時からエッセイを開始した。昼食に作りおきのカレーを食べた30分と10分程度の小休止を除き、ぶっ通しで夜10時まで読んだり書いたりした。さすがにものすごい疲労感・・・。
今日は1200語書いた。といってももちろん余裕ができるわけではない。明日も同じかそれ以上進めなくては・・・。あと2日半で4000語。
なぜか今、ナイジェリア人が共有スペースの廊下を掃除している・・・。なんでこんな時間に・・・(午前1時前)。
2004年5月13日
今日ですべての授業が終了した。終わっちゃったなぁ。どれだけ僕は進歩しただろうか・・・?
最後の授業はポールロジャースによる「War on Terror: Iraq」のセミナーだった。2月に3回シリーズでアフガニスタン・イラク・アルカイダの話を聞いたのだが、今日は最新のニュースも含めた総集編という感じだった。スペインやウズベキスタンで最近起こったテロの話や戦地に増えるアメリカの民間軍事会社の話、そしてファルージャでの虐殺やアブグレイブ刑務所等での虐待について・・・。毎日のニュースで多かれ少なかれ聞いている話である。
しかし、2ヶ月の出来事を改めてポールの口から聞いてみて愕然とした。短い期間にいろいろなことが起こりすぎている。ニュースで伝えられているだけの話でも聞くだけでゾッとする。とくにこの一ヶ月は課題に追われながらもちょっとだけニュースを見て、「またかよ」「おいおい」などと思いながらも読み流していた気がする。この一年間で恐怖におびえる人がどれだけ増えたことか。未だに無関心な人もいるし、僕だってさまざまな要因から無関心になることがあるけれども、世界のどこかで起こっていることを自分の問題として捉える必要性を改めて感じた。
平和学部という場所で授業を8ヶ月(22週)受けた。教室で教わることはもう終わりだが、この期間を通じて得た知識をさらに発展させ、この期間で感じたものを忘れずにとっておく、そしてそれを具体化していくという作業を通して、引き続き平和学を追求していきたい。ポールの話を聞いていて、そんなことを感じた。
さて、話は変わるが、最近再び物騒になってきたブラッドフォードの話を。
昨日ワードリーハウス内に「駐車場で強盗事件発生」という貼り紙がはられているのを見たのだが、ワードリーハウス横の駐車場で住人が車から降りようとしたところ、ナイフを顔面に突き出され、携帯電話と現金を取られたらしい。それからこれは又聞きなのだが、今日、友人が平和学部の建物の前で立ち話をしているときに、突然女性がすごい勢いで走っているのをみたのだが、教授の一人から「そいつをつかまえてくれ」と言われ、取り押さえたらしい。その女性は教授のノートパソコンを盗もうとしたらしいのだが、後で警察に引き渡したときに殺人事件の指名手配反だということが判明したという。どちらの事件も白昼堂々と行われたものだ。明るい時間は大丈夫だと思っていたが、気をつけなくては。
2004年5月12日
予定通り6時に起床も、朝食後再び睡魔に襲われベッドに戻ってしまった。内容の難しさに参ってしまったというのも正直なところ。いかんいかん。
今日は久しぶりに広島の彼女と電話で話した。広島で家族と楽しく過ごしている様子を聞き、精神的に疲労が蓄積していた僕も癒された。あと5日、全力を尽くそう。その後やっぱり完全に停滞してしまっていたが、6時間ほど本にかじりついてようやく次の一語を書き出すことができ、結局総ワード数は1000語を超えた。今回読んでいる本はまたしてもムズカシ過ぎる。だからと言って午前中のようにベッドに入ってしまっても何もならない。一語もかけない数時間というのはものすごく辛いけれど、数時間後に(ある程度割り切った上で)理解の範囲内で文章を捻り出せたときは、それはそれで嬉しいものだ。とにかく進めなきゃあ。
今日はその他、メキシコに赴任の決まった友人Hiroから電話をもらった。9月のロカ岬にも参加を約束してくれた。ナイス!
2004年5月11日
朝8時半に火災報知器が鳴る。ええ加減にせえよ!
今日はDemocracyとIntroduction to Peace Studiesの最後の授業。最後だから特に変わったことはない。なんだかあっけなく終わった。
ただ、終わった後の教室にはいつもすぐ帰るはずの学生がいつまでもたまって授業の余韻を楽しんでいる・・・のではなくて、「やばい、エッセイ終わらない!どうしよう」と相談しあっていた。僕もその一人。同じテーマで書いている人と話したり、これから起こる奇跡について期待を込めたりした。もちろん、そこには努力と根性が伴わねばならないが。帰り際にある友人から「残り6日だから一日1000語以上書かなきゃ終わらないね」と言われ、少し焦る。
というわけで、帰宅後すぐに机に向かってDemocracyのエッセイを書き始めた。構成を何となく決め、とりあえず書いてはみたが・・・。ノルマの1000語にはもちろん満たず。明日からさらに重荷になる。でも前進している・・・よな!
明日は朝6時に起きます。
2004年5月10日
ラテンアメリカの最後の授業に行く。もう今週で授業は全部終わり。早いなぁ。最初の頃よりは慣れたけど、どれだけのものが身についたのだろうか。
今日はディスカッションが中心の授業。ラテンアメリカのCivil SocietyとSocial movementなどについて意見を述べ合う。エッセイを書くときに少し勉強したから小規模なディスカッションにはなんとかついていける。その後、最後に「ラテンアメリカの問題は民主的な方法で解決できるか、それとも暴力が必要か」というテーマで話し合い、代表4人がパネルディスカッションをするという形式で締めくくった。
家に帰り、また机に向かった。今日も文献に目を通すが、昨日までと同じぐらいの理解しかできず。そろそろストラクチャーを決めて、具体的に書きながら進めたほうがいいかもしれない。明日の授業終了後に書き始めることにしよう。
夜9時過ぎ、夕食を作り終わってさぁ食べようと言うその瞬間、火災報知器が鳴り、お預け。上着をはおって外に出ると、J階のある部屋から煙がもくもくと出ていた。鍋を焦がしたらしい。このアパートに住んでから火災報知器が鳴った回数は数え切れないが、実際に煙を見たのは3回目。一体どうなっているんだろう。
一時間弱外で待機したのだが、ただ待っているのは時間の無駄だと思い、図書館へ向かった。さすがに夜10時を過ぎているだけあって空いていたが、しゃべっている人が多すぎてうるさかった。携帯電話で話をしている人も多い。何考えて図書館にいるんだろう。1時間ほどしてアパートに戻った。僕がその場を去ってからまもなく部屋に戻れたという話を聞いたが、まぁいいだろう。キッチンで数時間前に作ったマトンカレーを温め、ようやくお腹を満たすとすでに12時を回っていた。Research
Methodsの課題について少し考えた。
2004年5月9日
テロ最新情報。
【布拉福徳九日恭同】1月11日と2月9日にそれぞれ生物テロと化学テロの脅威に関して記したが、本日、テロとの戦争に大きな動きが見られた。
テロリストたちの動きはその後収束するどころか悪化しており、数多くの仲間を呼ぶことにより(4月26日の日記参照)騒音という新たな手法で平和に暮らしたい一般市民を苦しめている。地理的に中間地点に領域を持つわが国はテロリストに対し、継続して警告を与えてきたが効果はなく、同様に被害を受けている二国家は沈黙を守り続けていた。
本日、最も多くの財産を持つドイツが戦いが始まって以来初めてテロリストに対して制裁を加えた。自らの所有物を勝手に利用され、使用したまま放置される現状に怒りを感じたドイツは一切の警告もなしに共有地よりすべての財産を引き上げ、テロリストたちの武器使用を予防する策に出た。現在共有地にはわが国の武器が残されているが、それを撤去することにより、テロリストたちは戦闘の手段を失うことになる。
注: 領域=部屋、 財産=調理器具(ボールや皿の他、まな板と包丁を含む)、 共有地=キッチン、 武器=包丁、戦闘=調理
2004年5月8日 ゴーヤの日
昨夜予約していた本の返却があったとメールがあったので、朝から図書館へ向かった。書架から必要そうな本をさらに数冊借り、カウンターへ行った。「昨日メールもらったんだけど・・・」と伝えるとカウンターの奥に行って予約された本をすぐに取ってきてくれる・・・はずなのだが、手ぶらで戻ってきて、「ないわよ」と言う。ないじゃないだろう、そっちから取りに来いと言っておいて・・・。よく探すように頼んだのだが、結局見つからず、「分からないから明日来て」などと無責任な発言をもらう。こっちはあと一週間で仕上げたいんだぞ!!
それから韓国移動マーケットへ向かおうとしたときに、アメリカ人のおっさんリチャードに会った。「エッセイどう?」と聞くと「昨日全部終わったよ」との返事。さすがだ・・・。彼はものすごい計画的で1月からエッセイのための文献を探してたからな。彼に言わせると「直前になってからやろうとするとパニックになるから」というが、まぁ普通の人は直前にならないとやらないか、直前になってもやらないのである。
今日も小雨が降りしきっていたが、韓国マーケットの来る場所に向かった。日本人の友人が何人か来ると聞いていたが、誰もいなかった。雨だからきっとみんなやめたのだろう。雨ニモ負ケズ、食は大切にしなきゃいけないぞ(>ブラッドフォードのみなさんへ)。今日は客数も少なく、常連の韓国人と僕だけだった。適当に挨拶して米とキムチを買う。米は5kgのを買うつもりだったのだが、今日はそれがなく、10kgのものを買うことになった。雨の中、10kgの米袋を担いで帰るのはけっこうタイヘン・・・。
昼から真面目に机に向かうも、何度もうつらうつらする。まぁ今日はエッセイのコアとして使えそうな部分を読んだので、かなりゆっくりとしたペースで読んだものの、成果はあったと言えるだろう。
夕方よりDennis Bellamy Hallで行われるPeace Studiesのパーティに行った。こんな切羽詰った時期にパーティを企画するなんてどうかしている。と言っても僕は参加しているし、BA、MA、PhD合わせて100名以上来ていたのだが。参加している中でほんの数パーセントはエッセイが終わって余裕の人(インド人のReddyは昨日全部提出したので来週はオスロに遊びにいくらしい・・・「一緒に行こうぜ」と言われたけど、行けるか!)とストレス発散を理由に集まった人。エッセイに関してはBAは10日が締め切り、MAは17日が締め切りとなっている。
今日のパーティはちゃんと椅子が用意してあったので、久しぶりに会った友人たちともゆっくりしゃべることができた。企画としては歌や詩の朗読を披露されたり、民族衣装のファッションショーがあった。食事も持ち寄り(または参加費一人£2)で、いろいろな国の料理が並んでいた。気合の入った料理が多く、美味しかった。いやぁ行ってよかった。
少し早めに会場を離れ、10時半ごろ帰宅した。いやぁ我ながら真面目な学生だ。しかも帰宅後も読書したぞ。
2004年5月7日
目覚ましをかけずに起きると9時過ぎだった。さて4本目スタート。
今手元にある本をぱらぱらとめくり、エッセイに関係のありそうなところを拾い読み。ヒトラーがどのように民衆を動員していったかが書かれた文献と同時期のドイツの政治・経済の状況について書かれた章を読んだ。今回のエッセイタイトルとは完全にマッチしているわけではないが、まぁ背景的な知識として何かに役立つだろう。初日だし、こんなものか?まだまだ方針は全く決まらないが。
夕方よりユミさんの誕生日パーティーに出かける。ユミさんのフラットメートや平和学の12人でポルトガル発祥のチェーン店のチキン屋Nandosに行った。コロンビアのアレクサンドラ(すごい美人だけどugにそっくり)と修士論文のテーマ(仮題:
Travel leads to peace)とポルトガルでの結婚式についてなどの話をしたのだが、めちゃくちゃ面白がってくれた。修士論文に関しては、しかし、方向性をきちんと決めていないので、Research
Methodsのエッセイを書きつつ、10日後にはまとめなければならない。面白くなりそうな予感はするのだけれど、アカデミックな論文として仕上げられるように作戦を練らなくては・・・。
あと一週間でエッセイ提出&授業終了ということもあり、みんな論文をどこでどのように書くか考え始めているようだ。僕も早く自分のスケジュールを決定したいが、結局まだスーパーバイザーが決定しない。学生110人に対してスーパーバイザーとなるべき教授は20人。それでいて一人のスーパーバイザーにつき3〜5名以下の学生しかつかないことになっているとガイドラインには書いてあるから、決められないのだろう。大学のしようとしていることには矛盾がある。有名になり、世界中から優秀な学生がたくさん集まっているのは平和学部のいいところだけど、受け皿を持たないままなので、学生はなおざりにされているのは否めない。イギリスの大学院ではTaught
CourseとResearch Courseという、大きく分けて二つのコースがあるが、どちらのコースに所属しても、「自分でやる」のがメインになる。エッセイの執筆などは「自分でやる」しかないので別に構わないのだが、修士論文に関しては自分でリサーチを進めつつも的確なアドバイスをもらい、納得性の高い論文を仕上げたいと思うが、どうなるのだろう。今のコースの真価が問われることになる。
2004年5月6日
Arms Controlの講義とゲストスピーカーの話を聞きに学校へ行く。その間に図書館でエッセイに関係ありそうな本を適当にピックアップした。どちらの授業も参加者は極めて少ない。20名に満たない。
Arms Controlは北朝鮮の核問題について。今日も講師はポールロジャースではなくNick Ritchieという人だった。淡々と講義は進む。「北朝鮮の核の脅威が高まると同時にここ数年で日本が核兵器を持つ可能性が高まった」と今日も言っていた。世界はそのように日本を見ている。ゲストスピーカーはイスラムと法について。紛争解決の方法としてイスラム世界が従来から取り組んできたやり方は興味深い。先日JMMという村上龍編集のメルマガで『カブール・ノート』の著者山本芳幸氏が書いていた記事でアフガニスタンのジルガについて書かれた記事を読んだが、これもとても興味深かった。暇ができたらこのあたりの勉強をしてみようと思う。
その後はアルハラルへ買い物に行き、夕食にツナとトマトのスパゲッティを食べ、映画「Pirates
of the caribbean」を観たらあっという間に夜10時になっていた。今日は結局エッセイの休憩日になったなぁ。
2004年5月5日
昨日と今日は続いていた。雨が多く、雷も鳴った。
使っていた本の中で核となるものの返却日が5月4日になっていた。次に予約者がいるようで更新できなかったので、返却期限までに一気に書き上げようと思って、4日の晩は作業を続けることにしたからだ。しかし、結局エッセイは終わらず、いったん4時に中断して8時まで睡眠、それから図書館に本を返しに行った。5日にカウンターが開く8時45分までは「返却期限内」ということになる。
図書館から帰り、2時間眠り、また机に向かった。うんうん唸りながら読んだり、打ち込んだり・・・。少しずつ理解は深まっているような気もするのだけれど、目の前に現れる英文は言いたいことを十分に言い表せていない。しかも、思いつきで打ち込んでいるので論理構成も?だ。あぁ、こんなんでいいのだろうか。しかし、今日終わらせないと後がマズイので、根性で打ち込んだ。夜12時に、一応終了。計3317語にもなった。二日間で1800語も書いたようだ。
4月以降、3つのエッセイを完成させた。その3つはすべて時間に追われ、力づくで完成させたものだ。前期に書いた3つに比べて進歩しているのかどうか・・・。納得性は低い。通るかどうかも正直心配だ。どうして前期はパスするだけでなく、いい点が取れたのだろう。うぉ〜。
と言っててもしょうがないので、明日から4本目やるぞ!終わったものはもうしょうがない。結果によって対策を考えればいいだけだ。それよりも今までの6本の経験を活かして、今度こそ納得の行くエッセイを書きたい。今度はHuman
Rights & Democracyのエッセイ(4000語以上)。タイトルは「Why was democracy vulnerable
to the challenge from communism and fascism in the first half of 20th
century?」。最後の一本のResearch Methodのエッセイ(修士論文の研究計画みたいの、2500語以上) と合わせて、締切まであと11日半。
修士論文といえば、今日は修論のスーパーバイザーが決まるはずの日だったのに何の連絡もない。先週の月曜日に希望を出して、火曜日に「明日決まります」とメールが来たのでイギリスにしては仕事が早いなと思っていたが、翌日の連絡で決定が一週間後に延ばされた。その期限も過ぎてしまった・・・。Research
Methodのエッセイを書く前に一言ぐらい相談しておきたいのだけど・・・。どうなるのでしょう。
2004年5月3日
朝からずっと核兵器のことを考えていた。96年に判決の出た核兵器裁判は、44ヶ国の代表と14人すべての判事が意見を出したもの。核兵器が合法であるか違法であるかは断定することは難しい。判決は出たけれども、どちらともいえない。たくさんある意見をさばくことができず、頭の中は混乱状態。こういうのをうまく分析して、結論を導くにはどうすればよいのだろうか。まぁたぶん近道はないのだろう。そういう分析になんどもチャレンジすることできっと洞察力は上がっていく。
頭が疲れてきた頃、小津安二郎の「東京物語」を観にいった。平和学で一緒の学生が誘ってくれたもので、日本の映画を観て、その後日本について語ろうというもの。なんと40人ほどが参加。平和学の学生より、主催者の教会仲間や語学コース仲間が多かった。映画を観ているときは誰がその企画に乗ってるか分からなかったけど、同じスクリーンを観ていた人の半分以上は彼女の企画により映画を観に来たことになる。映画館から少しマージンをもらってもいいぐらいだな。この映画はNational
Museum and Photography, Film & Televisionで一週間も上映しているのだが、他の日はどれほど客が入っているのだろう。
映画を観たらすぐに家に帰ろうと思ったのだが、他の友人に誘われてやっぱり茶話会へ。フィンランド人の夫婦に(趣旨どおり)日本について聞かれたのだが、語っているうちにいつしか「いかにイギリスはおかしいか」を主張していたら、その夫婦も同意した。ヨーロッパの中でもイギリスは特殊だと二人は言う。緑茶や胡麻団子を食べ、早めに帰宅した。
夜はコツコツエッセイに取り組む。たくさんの主張があるので、読めば読むほど分からなくなり、自分が何を書いたのか、何を書きたいのか、何をしているのか分からなくなる。フラットメーツのアフリカ人がまた友人を何人も連れてきて叫んでいた。何度かクールに注意する。何度言っても改善しないのはどうしたことだろう。
気を取り直して何度も集中を試みるが、一日に10時間も頭を使っていると、頭の動きはかなり鈍くなるらしい。それでも一応机にかじりついてはみたけれども、11時頃、ワードリーハウス名物の火災報知器が鳴り、ノックダウン。他人のことを全く考えないアフリカ人や火災報知器になんて負けてられないのだが、疲れているときにはこういうものがすごく心に重くのしかかる。ええ加減にせえよ!
2004年5月2日
今日もテニスに行く。2日連続テニスで顔は真っ赤に日焼けし、全身が筋肉痛になった。
エッセイ、ものすごくゆっくり進んでいる。今日は500語ほど書いた。やっぱり早くは書けないけど、じっくりと書いているときは今までの経験から納得できるレベルのものを書けていると思う。内容には自信あり。今回は最後にいい加減にならないようにしたいなぁ。とは言え、あと15日間で3本か!やばいやばい。
友人たちにエッセイの進捗を聞くと、順調な人と停滞している人が半々ぐらいずつだ。次の最終締め切りは2〜4本のエッセイを出すのであるが、3本以上のエッセイを抱えている人はペースが掴めずにだらだらしてしまっている人が多いようだ。僕もその一人。
2004年5月1日
今日は11時からテニスをしに出かけた。コートは1時間しか取っていないとのことだったが、時間後も空いていたので続けた。結局2時間ほど。本格的に運動するのは何ヶ月ぶりだろう。よく晴れていて気持ちよかった。日にも焼け、かなり健康的。八重桜も満開で5月に入り、ようやくブラッドフォードにも本格的な春が来たようだ。
テニスをしたらすぐに帰るつもりだったが、みんなで一緒にランチを食べにShimlaへ行った。昨秋行って美味しいと思った店だが、改装していたのでしばらく来ていなかった。前回は確かベジターリーを注文したが、今日はその味をもう一度と思い、ベジタブルマサラを頼んだ。期待通りの味。★★★★★
おしゃべりなんかをしているうちに結局家に着いたのは3時を過ぎていた。お腹がいっぱいだったのでそのまま昼寝してしまった!なんと起きると7時半!どうもいかん。エッセイに取り組むことができない。「分かったつもり」になっている今の段階が一番楽だから、次のステップに進むことを無意識に嫌がっているのかもしれない。書き始めるとまたすぐに壁にぶち当たるからな・・・。
というわけで夕食後に思い切って書き始めることにした。いざ単語を置いてみるとやっぱり「こんなんでいいのかな」という感じ。とりあえず大まかにストラクチャーを考え、いくつかセクションを作ってみた。あっという間に4時間以上過ぎたけど、結局まだ1ページ目も埋まっていない。さて、2日前に月曜日に終了させるという目標を立てたけど、どうなる??どうする??
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