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ブラッドフォード大学大学院 体験記
(MA in Peace Studies, University of Bradford)
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さて(6月)
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2004年6月30日
雅文と彼女Mさんを連れてロンドンにミュージカルを観に行った。なんやかんやでイギリスに来て8本目。イギリスに来るまでには全く観たことはなかったし、それほど興味もなかったけど、今は機会があれば何度でも行きたいと思っている。
今日観たのは『Chitty Chitty Bang Bang』。映画で何度も見たことがある、お気に入りの作品の一つ。ミュージカルではストーリーをアレンジして少し変えてあったが、舞台ならではの見所や演出が存分に表現されていた。3人で大興奮!車が観客の上を飛びまわるシーンなどでは子どもたちは大騒ぎ。この作品は子どもが大勢いる環境で見ると楽しいかも。木曜のマチネを選んで大正解だった。
その後、2人にお土産を買うのに付き合ってもらった。いわゆるお土産屋ではしょうもないものしか売ってないし、紅茶やショートブレッドは目新しくないしで、何を買うべきか難しい。イギリスならではで、あげると喜ばれて、なかなか日本で手に入らないものというのは少ない。今まで旅行した国の中で、イギリスが最もお土産選びに苦労するかもしれない。しかも、迷っているうちに6時とか6時半とかで店は閉まるし・・・。
夜は雅文とMさんが雅文の寮でディナーを作ってくれた。ターキーの丸焼きに鶏汁、卵とトマト炒め、ベーコンとアスパラ・インゲンのガーリック炒め。泊めてもらったうえ、ごちそうまでしてもらった。美味しかった。ありがとう。
イギリス最後の夜も、こうしてあっという間に過ぎた。
2004年6月29日
ブラッドフォードから雅文が住んでいるギルフォードへ。イギリスの列車が順調に行くはずもなく、LeedsからReading行きの列車はBirminghamでサービス中止になるし、その後もものすごく遅いスピードでしか進まない列車を4回も乗り継ぎGuildfordへ行った。この日の夜から翌日まではロンドンの地下鉄はストだし、イギリスの交通機関には最後まで悩まされた!
雅文の家に荷物を置かせてもらった後、ロンドンへ。QMUL時代の友人たちに会い、再会を誓った。途中でQMULプレセッショナルコースのコーディネーターのアフリカ人女性ナターシャに遭遇。彼女は今年のプレセッショナルコースの学生を連れてウォーキングツアーをしていた。心を躍らせながら、そして少しドキドキしながら、今年もイギリスで勉強を始める人たちがいるのだなぁ。
2004年6月28日
部屋を片付けた。調味料などもほとんど友人にあげてしまったため、ふと晩ご飯を食べようと思ったとき醤油がなくて困った。卵と鶏肉、玉葱を残してあったので親子丼(最近頻度高し)を作ろうと思っていたのに・・・。しかし、この食材ではやっぱり親子丼しかない。まだ手元にあった香辛料を使ってチャレンジすることにした。玉葱にほんの少しだけクミンシードを混ぜて炒め、微量のターメリックをまぶした鶏肉を加えた。塩とコンソメで味を調えて、蜂蜜で軽く甘みをつけた。最後に卵をたっぷりかけて出来上がり。おいしい。これをブラッドフォード親子丼と名づけることにした。
さて、ブラッドフォード最後の日ということでフェアウェルパーティーをした。イギリス来る前のパーティーと同じで、テーマは「自分で企画」「ギネス」「占領」。授業がないので告知が難しかったが、ビラを作って図書館や学部に勝手にはるという強攻策で告知することにした。D-dayをもじったGuinness-dayというパーティのタイトルはなかなか評判も上々。平和学部の同級生を中心に30名強が集まり、Wetherspoonの禁煙ルームを占領した。ビラの効果もあり、いつもはギネスを飲まないとか嫌いとか言っている友人たちもみんなギネスを飲んでた(笑)。
10パイントを飲んだらお開きにするつもりだったが、Reflexや友人宅に移動したあとも次々と酒が用意され、最終的にどのぐらい飲んだか分からない。ゲラゲラ笑っているうちに朝6時になっていた。ブラッドフォード最後の夜はこうしてあっという間に過ぎた。かなり眠かったが、まだ終わっていなかったパッキングを完了させ、ブラッドフォードを出発した。朝から手伝ってくれ、見送ってくれたヨシ、トシ、えみ、ありがとう。
2004年6月27日
人の紹介でブラッドフォードのビジネスマンとミーティングをした。パキスタン系ブリティッシュで、車のディーラーをしている。日本の中古車の輸入ビジネスを展開したいとかで、日本で社会経験のある日本人と話をしたかったらしい。僕は車の売買についての知識はないし、車種などにもうといのでそういう話はちんぷんかんぷんだったが、日本の(商)習慣や日本の廃車ディーラーの話をすると、向こうの二人は満足そうにしていた。リサイクルワン時代に聞いた話がこんなところで役に立った。「とにかくあなたの友達や親戚で僕たちと一緒にビジネスできそうな人がいれば紹介してください」と初対面の僕に懇願してくるあたり、シルクロードを旅しているときに会ったかの地のビジネスマンと共通点が見られる。
その後広島の彼女とテレビ電話をした。明日は片付けなどで忙しそうなので、日本⇔イギリスでチャットするのは最後になるかもしれない。最後だと思うと少し寂しい感じもしたが、チャットをしなくてもいいというのは会えるということだからな。ワクワクする。
夕方、カレンやフィル主催のBBQパーティーへ。カンブリア地方のソーセージがなかなか美味しかった。よく晴れていたのだが直射日光に当たっていてもけっこう寒かった。イギリスのBBQは日本の花見みたいな感じだな。けっこう寒いということをしている途中で感じる。ケーキをつまんだり水たばこをくゆらせたりしているうちに夜は更けた。
2004年6月26日
また一日中雨。まるで梅雨だ!しかも寒い。暖房をつけ、服を3枚重ね着すると、快適。
朝から買い物に出かけた。日本に持ち帰るお土産を検討した。久しぶりにTESCOのあるCity Center Southの方へ行ったり、Morisons裏のマーケットに行ったり。Morisons裏のマーケットはアジアのマーケットに近い。雑然としていて、店員が必要以上にフレンドリーで、粗悪品とまともな商品が並び、交渉次第で値段が変わる。このマーケットにはたまに訪れていたが、大抵は買うものを決めて来ていたため、うろうろと歩き回ったのは久しぶりだった。マーケット歩きの楽しさを思い出した。
商品を買った店で店主と話をした。ムンバイ出身でブラッドフォードにも随分長く住んでいるおっさん。ブラッドフォード大学の平和学部で勉強していると言うと、そんな学問があるのかと驚いていた。地元民知らんのか!世界的に有名でも足元でこれでは・・・?「これまで10ヶ月滞在して、来週帰るんだよ」というと、「Next
time you come, visit me to say hello」と言われる。次に来たら挨拶しに来いか!来てやるよ。
その後、韓国人のムニの引越しを手伝う。彼女は来年もブラッドフォードでPhDをやる予定だが、夏休みは友人のいるシェフィールドで過ごすらしい。途中でメキシコ人のルースにも会う。彼女も今日からしばらくケニヤに行くという。
図書館経由でのぶさん&ときこさんの家へ。途上国で多くの実務経験を持つ2人からは、これまでいろいろ話を聞いたり、アドバイスを受けたりしてお世話になった。そのお礼も兼ねて帰国前に訪れようと思ったのだが、北アフリカ料理クスクスやフルーツなどをごちそうになり、またまたお世話になった。ありがとうございます!特にときこさん作のクスクスは絶品で、8年ほど前に京都木屋町のアフリカ料理店クスクスで食べて以来まずくてトラウマとなっていたアフリカ料理に魅力を感じた。魚やタコなども食すチュニジアなどでは魚介類ベースのクスクスもあるとかで、近いうちにぜひトライしてみたい。
2004年6月25日
一週間以上天気の悪い日が続いていた。日本の梅雨みたい。しかし、今日は晴れた、ラッキー。
以前からとしとどこかへ車で出かけようという話をしていた。日にちだけ決めて行き先を決めてなかったのだが、昨日ようやく予定の日の直前になって行き先を話し合った。車を借りる時間もないということで近場の名所Hebden
Bridgeに列車で行くことにした。
8時過ぎに起き、うきうきしながら約束の時間を待った。空気が澄んでいて空が青いぜ。9時半を過ぎ、としから連絡がないので電話してみると・・・。寝てた!おいおい!
Hebden
bridgeまでは列車でマンチェスター方向に30分。何があるのかよくわからないけれど、地図を見てHardcastle
Cragsというところに向かうことにした。親切な(!)地元の人に道を聞きながら20分ほどで辿り着く。どうやらその周辺は軽いトレッキングコースになっているようなので、置いてあった地図を頼りに山道を歩く。空気が澄んでいて気持ちよかった・・・しかし、こんなに歩いたのは久しぶりだからきっと明日は筋肉痛だろう。川が流れ、木が生い茂っていた。ごつごつした岩も多く、感じとしては昨年7月に訪れた帝釈峡のトレッキングコースに似ていた。丘の上の方に登ったときは羊が遠くに見え、イギリスっぽいところが垣間見られたけど、Hardcastle
Cragsは森林地帯で、日本の自然を彷彿させた。
下山後、遅めの昼食にフィッシュ&チップスを食べ(これで最後かな?)、Flower Originalというエールを飲んだ。まだ5時を過ぎたばかりだったが、歩いた後のビールは眠気を誘ったので、それから帰宅することにした。
駅へ向かう途中、平和学の同級生のフランス人エミリーに偶然会った。授業が終わってからHebden Bridgeに引っ越したという。こんなところに住むなんていいなぁと思いつつも、こんなに優雅なところにいたら毎日ごろごろしてしまいそうだとも思う。
2004年6月24日
アルハンブラシアターに『The
Full Monty』を観に行った。劇場の一番後ろの席は一人£1。激安である。
友人と待ち合わせ中に入ると「今日はUpper Circleには15人しかお客さんがいないからどこでも好きなところに座りなさい」とのこと。平日のマチネということもあり、ほとんど客が入っていない。こんなんで採算取れるわけがない。インターミッション後は「間違えて」Dress
Circleに入って観賞した。とても観やすいいい席だった。ラッキー。£1でこれだけ楽しめるのはブラッドフォードの利点だろう。
さて、内容。面白い+アホ。失業した労働者たちがお金を稼ぐためにストリッパーとして働くというストーリーなのだが、素人がダンスにトライするところの演技やよく通る声はさすがだと思う。そしてメインのフル・モンティをどう演じるのかというのが舞台の完成度としては重要だが、これはすごかった。最後のシーンで6人のおっさんたちが本当にフル・モンティ(笑)。そこまでやるから"Britain's
most successful screen comedy"と言われるのだろうか。照明と小道具を巧みに使うので「見えない」んだけど、こりゃあ犯罪すれすれだねと友人と話しながら帰った。
その後近くのパブでエールを飲み、帰宅。DVDを観ようと思ったが眠くなって10分ほどで断念。今日はフル・モンティだけの一日でした。
2004年6月23日
スーパーバイザーに会った。気分屋のDavina先生は今日はものすごく機嫌が悪いようだった。今後のスケジュールについて確認すると、「提出期限が9月10日だから、8月13日までに出しなさい。私がチェックするのに一月かかるわ」とのこと・・・。他の国の多くのMAと違い、イギリスは修士論文の執筆を含めて一年でコースが終わる。コースの課題が終わった5月から3ヶ月強で論文を仕上げることになっており、「時間がない」とはよく言われることだ。それなのに、さらに一ヶ月期限を短縮されて・・・。
とは言え、いつもぎりぎりまでやらない僕は締切まで一ヶ月になった頃から真剣に取り組むじゃないかと思う。そういう意味では突然設定されたデッドラインに向けて一気にリサーチを進めるのがいいのではないかと思うので、彼女の提案を了承した。というわけで、修論執筆は8月13日に終わります(I
hope)。
帰りに図書館により、何人かの友人たちと別れの挨拶をした。明日からシエラレオネのスタディートリップが始まるので、それに行く人にはしばらく会えないだろう。
この数日、梅雨のように雨が降り続いていた。しかし、前々から予定していたBBQを決行!少し寒かったが、肉を食べ続けるうちに温まった。焼肉最高!みんなが帰った後、NとKと3人で朝6時近くまで語った。
2004年6月22日
京都教育大からサバチカルで来ているM先生の発表会を見にいった。平和教育が専門のこの先生は80年代にブラッドフォードのMAに在籍したことがあり、現在サバチカルの一年間を利用して以前のスーパーバイザーであったピーター・バンデンダンゲンのところで研究員をしている。当時に比べて日本人が随分増えていたので(その年はM先生一人だった)、MAの学生にアンケートを取ったり、平和学部設立以来の学生数などをまとめて分析していた。こういう研究もあるのか。岡本三夫氏の『平和学―その軌跡と展開
』を読んだときと同じようなことを感じた。
日本人の数が14人というのは当時の14倍だからかなり増えていることになるが、MA全体でも25〜6人から110人にまで膨れ上がっているので。しかし、この5年ぐらいは日本人数は横ばいで、MAの学生数は激増しているので(約2倍)、全体の中の日本人の割合は減りつつある(ちなみに授業料は毎年確実に上がり、教授数は変わっていないので大学の収入はうなぎのぼりに上がっているはずだ)。
面白かったのは、アンケートの内容。一応名前は伏せてあるが、10ヶ月ともに学んだ仲間なので、文を読めば誰の回答かが分かる。アンケートの内容はどうして平和学を選んだか、なぜブラッドフォードか、などなど簡単なものだったが、それぞれ平和に行き着いた思いは全然違うものなので、面白い。今までも個別に話をしたことはあるけど、参加した5人で好き勝手にコメントをするのはさらに面白かった。
その後、数名加えて近くのパブThe
Headで飲み(M先生ごちそうさまでした)、Omar'sでバルチを食べた。Omar'sはSimlaについで好きなカレー屋だったのだが、久しぶり(半年ぶり?)に食べてがっかりした。Balti
Meat Jalfreziを注文したのだが、highly spicedと書いているわりには味気なく、Omar'sのカレーはうまいという思い込みはもろくも崩れ去った。★★☆☆☆ 友人が頼んだRogan
Josh系のバルチは悪くないが、自分で作ればもっとうまいのができるなと思う。
10時ごろ解散した後、PhilipとSayeedに会うため、宗宗と一緒に彼らの引越し先のアパートに行った。少し古い家だが、広いリビングとキッチンのあるいい家だった。家賃は週£40程度。安いなぁ。もっと早く住居事情を知っていれば高い高い寮や学校関連のアコモデーションになど入らず、より快適な生活を送れただろうなと思う。これからブラッドフォードに住む人にはぜひこのことを知っておいてもらいたい。
Sayeedがくれたアフガン式チャイーがうまかった。茶葉をほんの少しだけとカルダモンを入れて一時間ぐらい置いてから飲む。こりゃ絶品だぞ!いろいろ話をしているうちに夜中の2時になった。珍しく降り続いている雨に打たれながら帰宅。風邪治れ!
2004年6月21日
ヨークシャー風邪、こじれる。クラスメートのカレンにBBQに誘われたのでぜひ行きたかったが、咳がよく出るのでやめておいた。
仕方ないので部屋の中で読書。2月に遊びに来たハラクミが持ってきてくれたアーサー・ヘイリーの『ストロング・メディスン』を上下巻一気に読んだ。企業倫理と個人の信念の貫き方がよく描かれた面白い作品だった。
夜、風邪薬を飲んだ。上述の本を読んだこともあって飲むのを少しためらったが・・・。
2004年6月20日
「旅と平和」について考えながらなんとなく過ごす。安静にしていたので風邪も治りそう?今日は驚くことに雹が降った。しかもかなり激しい勢いで。目の前の屋根の上は数分のうちに真っ白になる。6月とは思えない。『The
day after tomorrow』を思い出してしまった。
生物テロリストのアフリカ人(たち)がフラットを去った。簡単に挨拶をした。あと残すは化学テロリストの香港人のみ。彼女ら明日出て行くらしい。ここ数週間アフリカ人の部屋には4人ほど住んでいた模様。日によっては台所に寝ている人もいたし、共有スペースにもものが散らかりひどい状態だった。片付くのだろうかと思っていたが、昨日あたりより少しずつものが減り、今日の昼過ぎにはすっかり片付いていた。
いなくなると寂しいものだ、なんて思いながら晩ご飯を作ろうとしたとき、とんどもないことに気づいた。共有スペースに置いていた小鍋とフライパンがない。中鍋と大鍋はいつも自分で使えるように部屋に確保していたのだが、小鍋とフライパンはいつも使うわけではないし、部屋に置くところもないしということで共有スペースに置き、誰が使ってもいいようにしていた。アフリカ人がよく使っていて、いつも洗わずに置きっぱなしにするのでそのたびに「使ってもいいけど、他人のものを使った後は洗ってね」と注意していた。そのときはいつも「Sorry
about that」などと言うのだが、洗ったことはほとんどない。
なぜいつも洗わないのだろうと思っていた。言われたら気まずそうな顔をするので、それなら洗えよと思うのだが、次の日には忘れているらしい。しかし今日「もしかして」のあることに気づいた。彼らは自分のものと他人のものの区別があまりついていなかったのかも・・・。使われていたのは僕のものだけではなかった。ドイツ人もイギリス人もいつも不満を言っていた。僕は小鍋とフライパンに関しては別に使ってもらってもいいと思っておいていたので使われることに不満はなかったが、「人のものを使ったら、ちゃんと洗って返す」ということを彼らに教育しようとして置いていた(教育は失敗に終わったが)。しかし、誰のものか区別のつかない彼らは、自分の引越しとともに僕のフライパンと小鍋も持っていってしまった・・・。包丁も栓抜きもコップもない・・・。夕食を作ろうと思い台所でそのことに気づいたときに愕然とした・・・。
仕方がないので部屋に確保していた果物包丁で調理をする。このナイフはグレープフルーツを切るのにも苦労するような刃の具合なので、玉葱を切るのにどれだけ苦労したか。茄子さえまっすぐ切れない。しかも、缶詰を開けようとしたときに缶切りもないことに気づき、同じナイフで無理矢理缶詰を開ける・・・ますます刃が傷んだな。
夕食後、としから電話があり、「ワインの栓抜きを貸してくれ」と言われた。としのフラットでは栓抜きがなくなったとか・・・。僕のところの栓抜きもすでにどこかへ行ったのだが、必殺押し込み開栓法であけてあげた。せっかくだから一緒に飲むかということになり、ワインの後ビールも数本飲み、気づいたら4時間が経過。日も変わった頃に帰った。やばい、また咳が出てきたぞ!
2004年6月19日
風邪が悪化。昨日からついに声が出なくなった。それほどしんどくはないのだが、咳がよくでる。今日は家でおとなしくすることにした。昼はトムヤンクン、夜はタイ風おかゆ。昨年9月にロンドンでタイ人にもらった即席タイ料理に救われた。油断は禁物だが、体調は回復している模様。
2004年6月18日
詩人明子のHouse
Warming Partyへ。開発学専攻の人を中心に10人ほど。
彼女の新しいフラットメートはバルバドス人・セントルシアビンセント人・インドネシア人。開発学はアジア・アフリカやカリブから来ている人が多く、英米日が多数派の平和学とは構成が全く異なる。カリブの2人は英語が第一言語だと言っていた。訛りが強いけど僕にとっては聞きやすい英語だった。その他は日本人とスペイン人。スペイン人の英語も聞きやすいなぁ。やはり僕は英米人のモゴモゴ発音よりもインド人を筆頭とする強すぎるアクセントのほうを得意とするようだ。
ミミガーや小魚の煮物、鳥の唐揚など、美味しい料理を頂いた。ごちそうさま。
2004年6月17日
始発の列車でウェールズへ。列車の無料チケットが余っていたのと、この10ヶ月でいろいろ旅行したもののウェールズには足を踏み入れていなかったのとで、イギリス最後の(?)国内旅行ということでバンゴールへ行った。このチケットは3名まで使えるので、同じくウェールズに行きたいと言うemiを連れて行った。
超朝方の彼女は5時半から元気元気!僕は3時間半ぐらいしか寝ていなかったのでけっこう眠かったのだけど、つられてテンションをあげざるをえなかった。全部調べてくれるというので彼女に全部任せていたが、肝心の乗り換え場所を印刷した紙を忘れ(笑)、ちょっと行き過ぎたりしたが、5時間でバンゴールに到着した。
出発時からずっと雨が降っていたが、バンゴール駅に着いた瞬間に強く陽が差してきたので、晴れ男パワー満開かと思ったが、残念ながら一日曇りがちの天気だった。まぁ、けっこう歩いたので、暑すぎずよかったともいえる。バスでアングルジー島まで行き、世界で最も長い名前を持つ駅「Llanfairpwllgwyngyllgogerychwyrndrobwllllantysiliogogogoch」(ティシリオ洞窟前の渦巻く早瀬のそばにある白いハシバミの木の近くの窪みにある聖メアリ教会という意味らしい)へ行った。現在は使われていないようで、駅名が書かれたプラットホームが残されいるだけ。すぐ近くに土産物屋があり、観光客がたくさん訪れていた。イギリス各地から老人が大挙して押し寄せてきており、ぱっと見、老人率95%以上。
その後メナイ橋まで自然の中をトレッキングし、カーナヴォン城を見学した。ウェールズ名産の木彫りのスプーンを購入したかったのだが、ご飯を食べているうちに店が全部閉まってしまう。観光地なのに、なんで5時半で閉まるんよ・・・。
ウェールズは人々が穏やかで時間もゆっくり流れているような気がした。パブでサッカーを見ている人も不思議なほど穏やかだった。4時間かけてブラッドフォードへ戻る。そこには酩酊状態の酔っ払いが溢れ、警官が取り締まりのため(?)酔っ払いに暴力をふるっていた。
2004年6月16日
明日帰国するDavidに親子丼を作った。彼はアメリカ人だが、彼の周りにはアジアっぽい雰囲気が流れている。旅行嫌いの彼も、ブラッドフォード生活を名残惜しむかのように、この一週間で2〜3箇所訪れたらしい。今日はヨークへ行ったとか言っていた。
ブラッドフォードを離れる感想を聞くと、やっぱり感傷的になるよなぁ・・・とつぶやいた。こういう気分になるのがイヤだから「旅行は嫌い」なのだそうだ。出会いがあり、別れがある。
「いつでも会えるだろう」と僕は言った。実際そうだと思う。今までたくさんの国を旅し、いろいろな人と別れを惜しんだ。結局あいつには会ってないなぁ・・・などと思い出せる人はまだよくて、一生懸命考えても思い出せない人もたくさんいる。会えるかどうかは偶然の力ではなくて、会おうと思うかどうかだけだと思う。今は幸せな時代で行こうと思えばどこでも行ける。行きたいところには必ずいけるし、会いたい人には必ず会える。すべては意思の問題だ。
僕は運命というものを強くは信じないが、会うべき人には必ずいつかどこかで会うのだと思っている。会うべき人というのは後から振り返ってみて、その人に会ったことにより人生の方向性が変わったと思える人。自分が意思を持って行動をしていれば、同じ目的を持つ人や協力できる人には必ずどこかでぶつかるのだと思う。世界が狭いと感じるかどうかは自分がどれだけ動いているかによる。
数年以内にDavidの自宅のプールに飛び込んでやろうと思う。
2004年6月15日
映画『The
day after tomorrow』を観に行った。中国のXinとの待ち合わせ場所に向かう途中、トシに会った。「これから映画観に行くよ」というと、「いいねぇ、楽しんでるねぇ、修論は?」なんて言われたけれど、一緒に行こうと誘うと彼もすぐになびいた。遊びまわっている人も、あまり遊ばずに勉強を進めようという人も、こうして時間は過ぎていくんだよ(笑)。
全体として期待はずれだった。環境問題が一気に噴出し、地球規模で壊滅的な影響を受けるというのが主な趣旨である。南極の氷が割れるシーンやNYの洪水の様子はけっこうリアルで、大きなスクリーンで見る価値があると思うが、細部はおおざっぱで、ストーリーは極めて平凡。北半球の大部分が氷河に覆われてしまい、アメリカ人がメキシコに難民として流れるシーンがあるが、メキシコ政府が国境を閉鎖するシーンでは失笑がもれた。
学者の忠告を無視して環境問題に目もくれないアメリカ政府高官が、目の前で起こった壊滅的打撃を目の当たりにして「俺たちは間違っていた」と認めるシーンがある。大統領のカッコイイ判断によりアメリカ全体を救うというありがちな話ではなく、政策判断の誤りをストーリーのメインにおいているという意味ではよくあるアメリカ映画とは異なるのかもしれないが、大統領を代行した元副大統領が最後にアメリカ国民に向かって語りかけるスピーチはくさすぎる。なんだそれは!
マンハッタンが壊滅的な状況に陥り、多くの建物が崩壊しているのに、自由の女神像だけは全く問題なく堂々と立っていた。さすが自由の女神。もっと他の演出はないのか。
テーマの中心である環境問題。映画の冒頭でもわざわざ確認しているけれど、現実でもアメリカは絶えざる経済発展を環境問題より優先する政策を取っている。映画のように突然北半球が氷河に覆われるようなことが起こるとは想像しにくいが、人間の手に負えない自然災害が増えているのは確かである。映画に出てくるような急激な環境の変化をありえない話と笑い飛ばすのは簡単だが、壊滅的な状況が来ないように見えない努力をしていくことは非常に難しい。
2004年6月14日
今日もインターネットつながらず。
朝から学校へ行き、約一ヶ月前に提出したエッセイを返却してもらう。結果は最初のエッセイほどよくはない。セメスター1のエッセイのほうが点数がいいというのは後期怠慢だったのだろうか。それともセメスター1の採点が甘かった?友人と比較するとみんな点数には不服な様子。まぁ、短期間でやっつけたわりにはまずまずの結果ということにしておこう。とにかく、エッセイはすべて合格したので、MAの180単位中120単位は取得。Dissertationを書かなくても(というようなことをするつもりはないが)、Postgraduate
Diploma in Peace Studiesという資格はすでにもらえる状態になった。
さて、風邪はよくも悪くもなっていないが、結構多くの人が同じような症状に悩まされていることが判明した。二週間近く苦しんでいる人もいる。3日前のCooking
Clubのメンバーはみんな風邪引いていた。学校には行くとけっこう多くの友人がなにをするでもなく、歩いていた。みんなまだDissertationは手についていないようだが、とくにすることもないので、ふらふら歩き回っている。学期中と同じぐらい友人にあったのではないか。結局3時間近くいろいろな人としゃべった。
トシにお茶でも飲みに行こうと誘われ出かけることにした。ゆみさんとMさん、明子が加わることになり、図書館前で待ち合わせをするとこのときもいろいろな友人が行き来しており、話などしているうちに結局お茶を飲みに行くまでに一時間以上が過ぎた。それからシティセンターに向かったのだが、お茶だけもなんだからとブラッドフォード老舗のパブGooseでビールを飲み、そのまま(日本)カレー&ハヤシライス大会に流れ込んだ。サザンのCDなどを聞き、いかにも夏の雰囲気だった。暑いぜ。最近頭を使っていない割りに常にお腹いっぱい食べている。
平岡敬著『希望のヒロシマ―市長はうったえる―
』を読んだ。
2004年6月13日
朝からインターネットつながらず。またボロが出始めたアパート。
しかもなんだか風邪気味だ。熱はないけれど、朝晩喉が痛くて咳がです。本日は安静にしてようと家で少しずつ部屋の片づけをしてみた。本箱をあさってみると、日本から持ってきたけど、結局今まで余裕がなく読めなかった本が出てきたので、それを読むことにした。今日読んだ本は久江雅彦著『9・11と日本外交
』、三宅明正編『九人の語る戦争と人間』、中西輝政著『日本の「敵」
』、野村旗守編『北朝鮮利権の真相
』。日本語の本って驚くほど理解しやすいし、一気に知識が身につくなぁ。英語の本もこれぐらい読めるようになればねぇ。
2004年6月12日
だらだらだらだらする。
昨日から上の階からいろいろなものが降ってくる。シャンプーの容器、ペットボトル、スーパーの袋に入ったごみ、新聞・雑誌など・・・。引越しの準備をしているのだろう、きっと。ごみぐらいきちんと捨てろ。なんてモラルの低い住人だろう。どこの階から落ちてくるかは見えないが、どさっと落ちるおとが聞こえたり、ときには僕の部屋の窓に当たったりもするので、そのたびに「コラっ」と上のほうに向かって叫ぶも一向に効果がない。誰なのかはよくわからないが、その人はいつも窓からごみを捨てているようだ。以前から何度か落ちてくるのを見たことがある。とくに、机の前に一日10数時間座っていた4月以降は週に一度はごみが降ってくるのを目撃した。ごみ捨て場は何度か片付けているうちに、散らかる頻度が低くなった。状況が改善していったことが嬉しかった。しかし、昨日今日で僕が目撃しただけで50種類以上のものが落ちてきた。窓からごみを投げ捨てるという行為をする人と言うのはどういう神経の持ち主なのだろうか。大学を出るほどの教育を受けておいて、何を学んでいるのだ。自分勝手にもほどがある。
夕方、図書館に行ってみたが、閉まっていた。学校内はひっそりと静まり返っていた。今日は大学の寮の退寮日らしい。ほとんどの学部生は家を引き払い、大学院生も多くは自分の国に帰ったり秋までの住居を学外に求める。その結果、ほとんど人がいなくなってしまったらしい。その様子はまるで廃墟のようだった。今日国へ帰るという友人に別れを告げ、その直後に会った友人に連れられ一つの寮を訪れたが、今までいつも賑やかだった学生寮もものすごく寂しくなっていた。
夜9時過ぎに突然ディサテーションについて調べようと言う気になり、「旅と平和」に関係のありそうなジャーナルからタイトルと要約を頼りに文献探しをした。300個ぐらいのタイトルを一気に見た。面白そうな文献が世の中にはたくさんあるなぁ。明日は朝から取り組もうか?
2004年6月11日
Cooking Clubに出かけた。
コロンビア人のFernandoが企画したもので、それぞれの国の自慢の料理を食べようという会。ドイツ・日本から各2名、ブラジル・コロンビア・イギリス・アメリカから各1名の計8名が集った。説明をしながら調理し、メモを取る人までいる・・・熱心だな。
メニューは
Starter: "Patacon Pisao con Ogao". Impossible to traslate.
Fried plantains in Colombian style. By Fernando.
Main Course: "Lagman". Noddle dish from Xinjiang Uyghur Province
in Western China. By Kyo.
Desert: "Cocnuts Caremel" Sweets from Brazil. By Juliana.
SPECIAL: Jens's advices about wines
となかなか豪華なものだった。Fernandoは大学のときに文化人類学を専攻していて、フィールドワークの際にその土地の料理を学ぶことを通してコミュニティーを学ぶのが最も効果的でおいしいことに気づいたという。Julianaもよく料理をしているようで女の子らしく、ここで○○をスプーン一杯などと細かく解説してくれる。二人とも凝った料理を作ってくれた。
僕は世界で一番美味しいといわれる麺料理ラグマンを作った。Cooking
Clubらしく小麦粉をこねて麺をうち、野菜と羊肉を豪快に炒めてスープを作った。麺を粉から作るというのはかなり興味深かったようだ。こねたり、のばしたり、切ったりする過程を楽しんでくれた。2日前に偶然麺うちを体験しておいてよかった。麺作りは今後しばらくはまりそうだ。ラグマンは予想通り大好評。やっぱり偉大な料理である。
夜中に帰ってきたら、エレベーターが途中で故障した・・・。一分ほど閉じ込められた。怖い。一分でよかったけど。
2004年6月10日
Dumping Sessionに出かけた。
イギリスにはリサイクルという考え方が浸透していないどころか、ごみの捨て方などにもかなりの問題があるが、平和学専攻でカリフォルニア出身のDavidと雅文がその状況に耐え切れず、このセッションを企画した。DavidはBradfordに来て以来、少しずつこの問題に取り組んでいた。雅文も4月初旬頃から活動を始めた。エッセイの提出間際ごろ、同じ活動をしている二人をようやく会わすことができたのだが、それからの約一ヶ月で二人はいろいろと環境関連スタッフに働きかけてきた。二人ともあと一週間以内にBradford
を離れるのだが、その前に大学に問題を投げかけようというのがこのセッションの趣旨だった。
二人が作ったビラを図書館前で小一時間ほど配ったあと、持ち寄ったごみを持って、学内のEnvironmental
Officerの部屋へ向かった。ブラッドフォード大学にはDepartment of Environmental Scienceという学部があり、その中にイギリス全体の大学のwaste
managementについて研究している人がいる。その人が学内の環境マネージャーという役職も背負っているらしいが、学内では何の取り組みにもしていない。Davidが約9ヶ月話し続けてもほとんど聞く耳を持たず、言い訳をするばかりで現実的に役に立つ仕事は何もしない。アカデミックな世界での知識を現実に活かさない典型的な例と言える。つまり、実際の社会に役立たずな教授ということだ。
彼に対する抗議行動ということで、僕たちはごみを彼の部屋の前まで運んだ。ごみの上に環境問題やリサイクルに関するポスターを貼り付け、「HEEPI(Higher
Education Environmental Performance Improvement、Department of Environmental
Scienceが組織しているはずの環境団体でその教授がヘッドをつとめている)has done nothing for recyling and
environment」などと書き付けて、部屋の前に(不法)投棄してきた。半分いたずらのようなものである。しかし、自分の部屋にごみを置かれたら、環境マネージャーも少しは環境について考え始めるだろうということで、僕らは大笑いしながら退散した。ちなみに、この抗議行動を起こした団体名はWaste
Yorkshire。ブラッドフォード市があるWest
Yorkshireをもじって詩人明子がつけたものだ。
ビラ配りのときには通りかかったいろいろな国の人がこの発想に同意してくれた。しかし、Waste Yorkshireを結成し、実際に抗議行動に参加したのはDavidのほか日本人5人だった。このセッションに関しては事前に開発学部と平和学部のメーリングリストに二度ほど流れているが、こうした問題に関する関心はまだまだ低い。ヨーロッパ人の参加者がいなかったのは残念である。
その後、まもなく帰国するDavidの送別会という名目で広島風お好み焼きパーティーをした。今日は最初の数枚だけ焼いて、あとは他の人に任せた。キャベツにしっかり熱を通すのが少し難しいようだが、意外と簡単に美味しいお好み焼きが食べられることが少しずつみんなに知れ渡っていると思う。かく言う僕も、広島風お好み焼き歴たったの2年強。
2004年6月9日
昼前に起きて友人宅へ。
7人ほどでランチを食べる約束。前日のボールの際に聞いた話に便乗して参加することにした。ほぼ時間通り、正午すぎに待ち合わせ場所のアルハラルに行ってみるとほとんど誰も来ていない。みんな寝坊らしい・・・。食事会に便乗参加ということで、食べるだけのつもりで参加したのだけど、実は集まってから何をつくるか決める会だった。他の人が全然来そうにないので、「何を作るか」という話をしながら、ネタでチャパティでも焼くかなどと冗談で言ってたのだが、あまりに他の人たちが来ず、冗談がエスカレートしてうどんでもうってみようかという話になり、いつの間にか冗談が本気になり、気づいたら2時間後にはうどんをうっていた。うどんをうつのは生まれて初めてだった。
小麦粉に適当に塩とぬるま湯を混ぜ、こねてたたきつけた。中国を旅行しているときに見た風景と、少林サッカーでみた麺うちの風景をイメージしながら作ってみたら、こしのある美味しい麺ができた。切り方があまりうまくいかず、一部すいとんのようになってしまったが、うどん作りの楽しさを知ってしまった・・・。その他、ゴーヤチャンプルーや焼飯、タピオカとココナッツミルクのデザートなど。その他イタリア人自家製というオリーブオイルでトマトを味わったが、これが美味!!!オリーブオイルはピュアなものが格段に美味しい。
その後一旦家に戻り、Kirkstone Hallに出かけた。今週末にブラッドフォードを離れサセックスに引っ越す開発学専攻の雅文のフェアウェルパーティーに行った。中国人が中心になって豪華な料理がならんだ。先日までずっと旅行したので外食ばかりだったが、今日は随分しっかり食べたな。朝起きてから寝るまで、ずっと食事のことを考えるか、作るか、食べるかしていた。
2004年6月8日
暑い、暑すぎる・・・。午後、部屋の中が蒸し暑すぎた。数日前から気温がけっこう上がっている。
イギリスのほとんどのアパートにはクーラーがない。それほど暑くならないので気候的に必要ないのがその理由なのだが、もちろん暑い日もある。そして気候も変わっている。去年などは異常気象で35度以上ある日が続き、死者まででたと聞いている。
エアコンは必ずしも必要ないと僕は思っている。大学時代、蒸し暑いので有名な京都の僕のアパートにエアコンがあったことはない。少々暑くても耐えられると思う。しかし、イギリスの建物は作りがあまりよくない。風通しが悪く熱がこもる。数日前のロンドンの地下鉄での様子はひどいものだったし、僕が現在住むワードリーハウスはオフィスを無理矢理改造しており、風が通らない仕組みになっている。もしかすると真夏はけっこう悲惨かもしれない。
夕方、スーツを着て出かけた。ブラッドフォードに来てから、スーツを着るのは初めてだった。この町でスーツを着るのは少し気恥ずかしい。インドの田舎の村と一緒でドレスアップして歩いていると町の人の視線が痛い。アパートからピーススタディーズサマーボールの会場まで派手なドレスを着た友人たちと歩いた。
ボール(ball)には「舞踏会」という意味があると、会場のMidland
Hotelについてから知らされた。舞踏会かよ!イギリス人に聞いてみると大学のコースの終わりにこのような会が開かれるのだと言う。タキシードやすごいドレスを着て、続々と人が集まった。頭の中では映画でみたような中世の貴族がくるくる回りながらダンスを踊る姿が浮かんだ(実際はほとんど踊る人はおらず、音楽もクラブ風のものだったのだが)。オックスフォードやケンブリッジではタームごとにこのような会が開かれ、全員タキシードでなければならないとか・・・。
Midland Hotelの料理はとてもイギリスらしかった。硬いメロンサラダにうまみをすべて取り除いたパサパサの魚のステーキ、デザートは甘すぎるチーズケーキ。いや、それほど期待していたわけではないのでいいんだけど。で、全然量が足りなかったので魚のステーキの付け合せのポテトを大量に食すことになった。結局じゃがいもがメインだ。
学部生からPhD、そして教授たちを合わせた参加者は総勢130名。一年の思い出話やこれから書く論文の話をしたり、今頃になってはじめましての挨拶をしたりしているうちにあっという間に深夜2時を過ぎていた。いいパーティーだった。しかし、これでコースも終わり、もう一生会わない人もいるんだろうと思うと寂しいものだ。
2004年6月7日
久しぶりにブラッドフォードに帰って来た。
しばらく外でばかり食事をしていたので、外食にはすっかり飽きたなぁ。途中からイギリス料理は避けたのでそれなりに美味しいものを食べ続けたが、所詮は他人が作ったご飯。レストランは3日も続ければうんざりする。2ヶ月旅を続けてもアジアの食事はほとんど飽きることはなかったのになぁ。アジアの食の偉大さを感じる。
この10日で300枚ほど写真を撮った。明日以降、何枚かアップしようと思う。大きなトラブルもなく、久しぶりに両親と長い時間を過ごした。19歳のときに大学入学のため京都で一人暮らしをして以来、最長だ。移動距離が結構長かったのでくたびれたが、イギリスのよい面も悪い面もいろいろ見てもらえたと思う。今頃疲れて寝てるだろうか。
家に帰ってメールを見ると2000通・・・。その処理だけであっという間に夜になってしまった。明日は久しぶりにディサテーションのスーパーバイザーと会う。
2004年6月4日〜5日 Oaks & Derby

競馬場でBBQ。馬を見ないのもイギリス流。
2004年6月3日 Stonehenge

すごい・・・けど遠い!
2004年6月1日〜3日 London

衛兵は警備中に眠り、両親はミュージカルで眠る。
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