ブラッドフォード大学大学院 体験記
(MA in Peace Studies, University of Bradford)

<<親友からのメッセージ>>

大学時代にBEEMANで出会った友人からのメッセージを紹介します。


 火曜日の早朝、モルジブより帰国しました。
 ホテルの部屋の前はすぐに白い砂浜が広がる海。
午前中に2本、午後から1本ダイビング、その後さらに素潜りして、夕方には砂浜で美しい夕日には目もくれず綺麗な貝殻やウニ殻拾いという海三昧の毎日。調査は大変で連日ヘトヘトだったけれど、三食きっちり食って、好きな時にシャワー浴びて、実に贅沢な日々だった。

 船着き場に行けば膝位の深さの所にツマグロというサメの仲間が数匹〜十数匹泳いでいて、魚が一匹一匹でかくて、それが更に大きな群を作っていて、ダイビングすれば普通にウミガメがいて、それをとっ捕まえて…、最終日には泳いで島一周。果てしなく広がる青色と透明と生き物達の色彩の洪水…、夢のようだった。

 今回はシンガポール航空に乗って関空〜シンガポール・チャンギ空港〜モルジブ・マーレ空港を往復したんやけれど、奇しくも初めて海外一人旅に出かけた時に利用した航空会社もシンガポール航空だった。座席に座って微睡みながら、そして、調査の合間に水面を見上げながらふと、その時の事を色々と思い出していた。

 7年前の夏、行き先はトルコ。シンガポールを発って間もなく、隣の席に座っていた当時大学生で司法試験直後だった丸山氏に出会い意気投合(?)、イスタンブールで二日間、行動を供にした。

 トルコ旅行は、その後1ヶ月半近く続いたのであるが、帰国三日前にある不思議な風景に出会うことになる…。

 それは、夜の闇が茜色の空に浸透し始めていた夕暮れのイスタンブール。昼間の熱気がまだ冷めやらず、遠くにブルーモスクが見えていた。モスクのスピーカーから「アッラーフ・アクバル」とアザーンが流れ、ケバブを焼くいい香りと行き交う人々の中に、ある日本人の男女が立っていた。7年前の夏の終わりのことである…。

 大学2年だった僕にとって初めての海外一人旅だった。8月1日にイスタンブール入りし、2週間、ミラスという町でボランティアをやった後、3週間かけてエフェス、パムッカレ、マルマリス、タシュジュ、キプロス、カッパドキア、ネムルト山、ディヤルバクル、ワン湖等を巡り、イラン近くのトルコの東端から西端へ、30時間バスに揺られてイスタンブールに戻った。
 ちょうど昼頃にイスタンブールの長距離バスターミナルに到着し、安宿に荷物を放り込み、腹ごしらえにとケバブサンドを頬張りながらぼーっとしてると、声をかけてきた日本人がいた。

 彼は、当時、徳島大学の医学部5回生で、大阪からフェリーに乗って上海まで行き、南下してタイから飛行機でインドへ、そして、インド・パキスタン・イラン・トルコと通って、その日、ちょうどイスタンブールに入ったという。安宿を探していたため案内し、晩飯を供にした。「カスピ海で食ったキャビア巻きが旨かった」「トルコに入った途端、物価が跳ね上がって往生している」等という初海外旅行だった僕にとってはワクワクする話がどんどん出てきて壮大な旅行をしてきた人のように思えた。

 僕は、旅の最後に自分への御褒美として奮発した羊の脳味噌を頬張り、当時まだ慣れていなかったパクチーをツマミつつ色々な旅の話を聞いていた。ほろ酔いで翌日の再会を約束し、その日は分かれた…。

 翌日、旧市街のマーケット等で土産を買った僕は、夕刻、待ち合わせ場所のブルーモスク近くのバス停に向かった。雑踏の中から現れたのは昨日約束していた彼ともう一人、女性が立っていた。

 聞くと、二人は、二ヶ月前に大阪・上海間のフェリーの中で知り合った後、別々に旅行していたのだが、さっき道端で偶然再会したという…。

 こんな事があるのか!と本当に驚いた。
 彼女は当時、大阪外大(?)在学中で、上海の後、モンゴルからカザフスタンへと抜け、ロシアを通り、エストニアまで辿り着いた後、飛行機でイスタンブールに飛んで来たまさにその日だったらしい…。
 片や大阪〜上海の後、南周りでイスタンブールに辿り着き、片や北周りでイスタンブール。そして偶然の再会…。
 そんな有り得ない、しかし、今の僕にとっては何とも有りがちな偶然の再会に出くわした事に非常に興奮を覚え、実に楽しい晩餐となった。

 その時、彼女曰く、関西には旅好きの知り合いがたくさんいて、バックパッカー・サークルなる集団を作っている、京大の人もたくさんいて秋に飲むからおいで。との事だった。

 勘であったが突破口を見つけたような気がした。
 悶々とした京都での日常生活を打破する突破口。自分は、そこに行くしなかった。固く約束し、帰国の途へ着いた…。


 帰国して間もなく、心待ちにしていた謎のバックパッカー集団の飲み会が開かれた。7年前の9月末か10月初旬、確か、河原町四条か京阪三条(もしかして京阪四条か?)。関西の伝説的バックパッカー・サークル、『BEEMAN』との出会いであった。

 旅好きの人達とこの夏の旅について話しながら飲む時間は最高だった。
 飲み会がお開きとなり、余った大量のサラダが勿体なくて一人ガツガツ食っていると「そんな事してるとBEEMANの次の責任者にするぞ」、僕の肩を掴んで笑う男、この50人程の集団を統率する男がいた。

 『KYO』こと『佐谷恭』、その男と出会った瞬間だった。

 その後の事は書くまでもない…。
 日本にいながらにして旅をしている気分にさせてくれる友人を得、僕は、更に、旅に出るようになった。旅をしているようにワク
ワク生きる日常生活。これが目標となり、そして、何年か後に半分近く実現させれられるようになった(まだまだ欲張り)。光岡辰也、中西圭一、せっちゃん、シン、けよう…(忘れてる人、他にいたらごめん!)は、BEEMANで知り合った友人達である。
 ヒロ(東京来て3日目に六本木で徹夜させられた!)をはじめとする世界船の友人達。ヨルダンそしてiam-here。東京庚申堂…。

 あの夏、トルコに行ってなかったら…、カッパドキアで原チャで事故ってなかったら…、万一左膝がダメになってたら…、左足引きずったまま敢えて東進してなかったら…、カッパドキアのバス停で出会ったカナダ人に誘われてネムルト山に行ってなかったら…、ワン湖からの30時間バスが一日ずれてたら…、長時間バスに疲れてそのまま宿で眠ってたら…、この時間はなかった。
 それどころか、イスタンブールで出会った徳島大の友人や、大阪外大の友人、それぞれの旅程が、少しでもずれていたら…、この時間はなかった。

 旅に出ている時は、感覚が解放されているから(解放されていない人々も非常に多く存在するけれど…)、ある出会いを遡って考え、それぞれの人達と出会うまでの偶然に途方も無く驚き、不思議を感じるけれど、実は、日本で日常生活を送っている時だって、あちこちで偶然がリンクしている。ただ、その事に気付けている人は少ない。

 そんな事をKYOと語り合った京都での日々を、モルジブの海の中で思い出していた。
 そして、KYOは、ブラッドフォードでも出会いの偶然性と必然性や旅するように生きる日常について飲み語るのだろう…。

 『KYO』を思う時、必ず連想する風景がある。

 それは、夜の闇が茜色の空に浸透し始めていた夕暮れのイスタンブール。昼間の熱気がまだ冷めやらず、遠くにブルーモスクが見えていた。スピーカーから流れるアザーン、そしてケバブを焼くいい香りと行き交う人々の中に、ある日本人の男女が立っていた。
 1996年夏の終わり…。

 始まりはあの風景からだった。そして、本当はもっと前から始まっていた。偶然は必然になる。だから動いていなくてはいけない。気持ちは解放されている方が傷付きやすいけれど可能性は青空より高く広い。その事を気付かせてくれたKYOをはじめ皆に感謝する。

 遅くなったけれど、KYOの留学を祝福したい。
 おめでとう。気張って来いや。


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