「ふざけるな、20Rsしか払わんぞ。乗る前に交渉しただろうが」「ガソリン代があがった。40Rsで良いからよこせ」「乗る前にメーターの数字を1.5倍したのが料金だといったのはおまえだろう。見ろ、メーターは12だ。約束は守れよ」「なにをー。日本人のくせに。日本人なら払え」「日本人だからって脅せば払うとでも思っているのか? おまえなんかに負けるか。おい、20Rsでも高いくらいだ。それともいらねーのか?」
これはニューデリー駅の西側メインバザールからオールドデリー近くのデリー城へ向かうときに使ったリクシャーの運転手(リクシャーワーラー)とした喧嘩である。この手の喧嘩は、インドにいる時何回くらいしたかは数え切れないが、この時はその中でも最も激しい喧嘩であった。いつもは強気な外国人に弱いインド人なのだが、この時喧嘩したインド人は、自分の主張が理不尽にもかかわらず、強気で攻めてきた。周りにはたくさんのインド人が集まり、面白そうに見ていた。
インドに入ったばかりのとき、インド人としょっちゅう喧嘩していたのにはわけがあった。僕はインドに来る前にバンコクのカオサン通りにより、いろいろとインドについての情報を集めていた。今までに東南アジアなどを何度か一人旅してきたので一人で旅することにはもう慣れていたが、インドには何か怖さのようなものを感じていたからだ。僕は旅慣れた人に遭ってはインドについて聞いてみた。かなり多くの人に聞いたのだが、それらの意見の中で多かったのは、「インドは好きだけどインド人は好きになれない」というものだった。また、インドで睡眠薬を飲まされたという人、鞄を取られたという人にもあった。そして極めつけは、「インドではミネラルウォーターに気を付けろ。ほとんどが水道水だから」というものだった。情報を集めることで、却ってインドの恐いイメージが膨らんだ。
そんな思いを抱きながらデリー行きのSU54便に乗るとき、搭乗券引換所でまったく並ぼうとしないインド人を目の当たりにした。飛行機の中ではスチュワーデスにいくら言われても落ちつきなく機内をふらつくインド人に呆れてしまった。「僕らとはまったく違う」そのことを前提として眺めていればこうしたインド人達を暖かい目で見られたかもしれないが、「インド人は嫌いだ」という多くの人の言葉が「僕もインド人が嫌いだ」という気持ちを起こさせていたように思える。「とんでもないところに来てしまった」そう思いつつ空港から町に出ると、ミネラルウォーターはどのボトルも量が違っていた。 インド人に対する警戒心は「こいつらには騙されないぞ、こいつらには負けないぞ」という意地に変わり、各地で喧嘩してしまったのである。ツーリストインフォメーションの偽者に連れ込まれごっついインド人に囲まれて脅されたこともあり、僕も「インド人なんか嫌いだ」と叫びそうになった。
喧嘩ばかりしているととても疲れるものである。少し心を落ち着けようと、僕はヴァラナシから北上しネパールへ行くことにした。
ネパールに15日ほど滞在した後、今度はカカルビッタを通りダージリンに行った。その町にはりクシャーがなく、ほとんどはチベット系の人々である。顔つきは日本人に通じるものがあるためとても親しみが持てる。また、2000mの高地にあるため、「インドは暑い」というのが必ずしも正しくないことが分かる。そんなわけでインドの多様性を肌で感じ取り、「インド人」全てに「嫌い」というイメージを持つことがとても間抜けなことであるのに気付いた。どこの国に行ってもそうなのだが、自分の価値観から離れていればいるほど、偏見を持ってしまう。人から与えられたいい加減なイメージを、自分で確かめもせずに「当たり前のもの」だと思い込んでしまう。自分もまたそうした過ちを犯していた。自分でいくら見ても分からないことがあるのは当然だ。だからおなじものを見た人と意見を交換するのは大切だと思う。しかしそれ以上に大切なのは「感じる」ことにより自分なりの意見を持ち、そのうえで人の意見を解釈することである。よくよく考えたらいろいろな人間に触れるチャンスだ。そうだ、肩肘を張る必要はない。インド人を見てみよう。 い ん ど じ ん を み て み よ う。
そう思ったとたん、僕はカルカッタへと急いだ。インドでもっとも人口の多い都市カルカッタ。多くの旅人がショックを受けるといわれる町カルカッタ。そのカルカッタが僕を呼んでいるような気がしたのだ。
それ以降は変に警戒せずにいろいろなインド人にふれた。スラムに一人訪れたり、道端で寝ている人と話したり、物売りに「日本人の騙し方」を教わったり、子供たちとクリケットをしたり、ガンジス河で泳いだり、チャイを飲み語り合うインド人の仲間に加わったり…。時には必死になって僕を騙し込み、どこかへ連れて行こうとする奴とも話した。「騙される方が悪い」僕ら日本人はまずそんなことを考えないが、そのことに関して、「そうなのかもしれないなあ」などと思ってしまった。誰も彼もが必死に、精いっぱい生きている。一生懸命だから、みんな輝いている。そんな彼らを「面白い」と思った。「魅力的」だと思った。
「50Rsじゃあ足りない。100Rsだ」バンコクへ戻る飛行機に乗る日、最後のリクシャーがまた言ってきた。「50Rsって言っただろう。それ以上ないよ。もう帰るんだから」僕は笑ってそういった。リクシャーワーラーも笑い返してきた。彼が笑い返したのは意外だったが、もしかすると交渉の値段より高く言ってくるのは「社交辞令」のようなものかも知れない。日本の「お近くに来た時にはいつでもお立ち寄りください」みたいに…。「バイバイ!」僕は大きな声で彼に言った。「また来るよ。来いと言われなくても…」