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Essay    ヨルダンの1ページ(1)

 
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ロンドンの1ページ

生まれて初めてミュージカルというものを観にいった。
CATSを観た。

それはロンドンのなんとかという劇場だった。その日は、ロンドンについて3、4日目だったろうか。ロンドンは、ヨーロッパでも芸術に関する質が高いということを聴いており、また、街中でよく見かけるポスターに引かれ、一度くらい観てみようと思った。
そうだ、その日は4日目だ。
一昨日までシティにあるユースに2日泊まり、昨日の朝、ヴィクトリアステーション近くのB&Bに移ったのだった。その日もあちこちぶらぶらと歩き回り、夜になってミュージカルを観に行った。

ロンドンでは、ハイドパークとリーセスタースクエアにはよく行った。ハイドパークは、街の中を歩いて疲れると、しょうがなく、あるいは自然に足が向いた。リーセスタースクエアは、いろいろ歩き回った後に中心地に向かうと、よくそこに着いた。そこには、ミュージカルなどのチケットのブースやレストラン、いろんな店が集まっていた。真中に小さな公園があり、ストリートパフォーマーや似顔絵書きがどこからかやってきて、観光客達を相手にしていた。
いろいろ歩いたせいで、少しぎりぎりの時間になった。劇場に着いた時には、もうすでに開場していて、ゆっくり食事を取っているひまも無かったので、近くのスーパーでサンドイッチと飲み物を買い、劇場の入り口の所で食べた。半分ほど食べた所で、時間が気になって落ち着かなくなり、中へ入った。その時サンドイッチは、包んであったビニールに適当に丸めて、リュックの中に放り込んだ。

さて、チケットの番号を追って席に着くと、中はとても賑やかだった。混んでいる。ほぼ満員に近い。隣りは地元の人か観光客かわからないが、外国人だ。少し離れた所には日本人も何人か座っている。
ドキドキしてきた。
ドキドキして緊張してくると、トイレが心配になる。狭い所が苦手なので、席に着くと窮屈な感じがして、尚更落ち着かない。おっといけん、こんな調子じゃせっかくの劇が楽しめん。と気を取りなおす。一番安い席を取ったが、ステージまで結構近い。安い値段でも十分楽しめそうだ。

猫に扮した役者が、所狭しと動き回りとても迫力がある。しかし、劇中の英語が全くわからないということと、ここ数日ずっと歩きっぱなしで疲れていることから、うかつにも途中少し眠ってしまった。眠ってしまったのを差し引いても、十分楽しかった。

ふと気付くと、隣りの女の子達がひそひそとなにか話している。ちょっと気になったが、気が散らないよう劇に集中することにした。しばらく経っても、彼女達のひそひそは終わらない。鼻をくんくん鳴らしながら、ああでもないこうでもないとなにか言っているようだ。
そうか、なにか匂うんだな。
何を言っているのかよくわからないが、きっとそうだ。なにか匂いが気になるんだ。俺は、彼女達に気付かれないよう、靴を脱いでくつろいでいた足を靴の中に戻した。

その時から、俺の気はミュージカルから離れた。

しまった。と俺は思った。

今履いている靴下は、昨日と同じものだった。昨日まで、洗濯しようしようと思いつつ、疲れていたために、すぐに寝てしまったのだった。今朝シャワーを浴びた時、ようやく洗濯をした。しかしその時、もう次に履く替えの分は無かったので、しかたなしに昨日と同じ物を履いたのだった。毎日毎日、歩き回っているから、足もかなり蒸れているはずだ。俺は彼女達が気にしている匂いの原因が俺にあるのではないかと思い、気になりだした。

心当たりはそれだけではなかった。

朝の洗濯の時に、誤ってパンツを全て洗ってしまい、今日俺はパンツを履いていないのだった。さらに俺のズボンは、朝気付いたのだが、結構くたびれていて、トイレで座った時にちょうど股の部分の生地が薄くなっているのだった。無理な姿勢をとると穴があくのではないかと思われる状態になっていた。しまった、と思ったが、駅の売店で下着を売っている店があるのを思いだし、そこで買って履けばいいやと思って街へ出た。しかし外に出てみると、慣れればそれも平気なもので、途中、「なんで俺はロンドンまで来てパンツも履かずに歩いているんだろう。東京でだってそんなことしたことないのに。これでもしズボンが破けでもしたら捕まってしまうんじゃないか」と思いながらも、わりと気持ち良く、そのまま1日過ごしてきた所だった。

 気になりなり始めると気が気ではなかった。
 2日履いた靴下、履いてないパンツ、そして、先程の食いかけのサンドイッチも疑った。会場の熱気で悪くなったのだろうか。この頃には、もう気持ちをミュージカルに戻すのは不可能だった。

そうこうしてるうちに、休憩時間になった。先程までは、劇中なので遠慮していたとみえ、休憩時間になると、2人してあちこち鼻をくんくんさせながら、匂いの元をつきとめようとしている。俺は横で知らないふりをしながらも、心の中では、ごめんよ、君たちをそこまでさせているのはきっと俺なんだ。と彼女達に言っていた。
気になってしょうがないらしい。そんなに気になるものかと思って、周りを見渡すが、他になにか匂いが気になっているような人は見当たらない。

もしかしたら、俺じゃないんじゃないか

と思って見ていると、彼女達は自分達のチェックをし始めた。なんと1人は、靴を脱いで、自分の足を鼻に持っていき、匂いを嗅いでいる。なんてことだ。ミュージカルの劇場で、二十歳くらいの若い女の子が自分の足の匂いを嗅いでいるなんて!

彼女は安心したとみえ、連れの子に、ううん、私じゃない。などと言っている。この辺りまで来ると、会話が全く聞き取れなくとも、なぜか確信を持って言っていることがわかる。いや、しかし、海外に来てこんな思いをするとは思わなかった。

その後B&Bに帰って、全身くまなくチェックしてみると、案の定、原因は俺の靴下だった。。。

次の日。
洗った靴下がまだ乾いていなかったので、新しい靴下を買った。おもしろさを知ったのと、途中から集中できなかったことで、もう一度ミュージカルを観に行った。今度はレ・ミゼラブルを。

帰る日。
飛行機の中でまた同じ思いをするのが嫌だったので、靴を買った。

ロンドンの1ページ。


上野の1ページ

今日は上野にピカソ展を観にいった。いつもは、1人あるいは2人で行くのだが、今日は11人だった。
その中に、ブルースさんという人がいて、この鑑賞会自体、彼が言い出したものだが、彼は絵を見るのがとても好きらしく、とりわけピカソが好きなようで、一つ一つをじっくりと鑑賞していった。
本当にじっくり見たため、鑑賞は2時間以上になり、最初11人いた我々も、すべての絵を見終わった頃には、9人になっていた。

彼は鑑賞中、その一つ一つで、絵についての自分の意見を述べ、また、我々にも意見を求めるので、いちいち他の鑑賞客の流れが詰まる。
しかも声が大きい。
時折周りを見ると、こいつらうるさいなあ、早く進めよ。というような顔をしてる人がいたり、通りすがりに、ブルースさんの解説を聴いていったりする人がいたりで、周りの反応を見ているのもおもしろかった。英語だったため、それほど耳障りではなかったかもしれないが、やはり、自分が他の鑑賞客だったら、迷惑顔で通り過ぎたかもしれない。

しかし、それでも今日の鑑賞会はとても新鮮だった。
とても楽しかった。

ブルースさんとに限らず、同じものを見て人と意見を交換するのは、とても新鮮だった。今回は自分自身、それほど深い話をできなかったが、その時間は、とても充実した時間だった。
家に帰ってきて、ふと思ったのは、旅行に行くのにも、今日のように集っていくのもおもしろいんじゃないかということだ。ツアーで旅行に行くのもある意味でおもしろいのかもしれないな、と。それは、おなじ所へ行くのでも個人で行くのとでは過ごし方、得るものが全く変わるかもしれないけれど、もしかしたら、別な魅力があるのかもしれない。目的、場所などにもよるだろうけど。

そういえば。
森本哲郎の著書に、豊かさへの旅というインドへの旅行記があって、その冒頭で、彼にインド旅行を勧める友人の旅行代理店の若者は、インドへはツアーで行くのがいい。と言っていた。
私は、インドへ行ったことはないけれど、どんなものだろう。
一度は行ってみたいインド。
行くときは、どっちにするか迷いそうだ。


寮の1ページ

ジュンと一緒に話しをしていた。
夕食をとりながら、2人でとりとめもない話をしていた。
フィリピン人の彼は、職場は違うが、俺と同じ会社の従業員だ。フィリピンにいた頃は、大学で先生をしていて、今はそれを生かして、顧客へ製品の取り扱いについての講師をしている。

ケビンさんがやってきた。ケビンさんは外資系の会社で働くアメリカ人だ。会話が2人から3人になった。さっきのようにとりとめない会話だが、話しに盛り上がりと弾みが増した。
俺に合わせて、ゆっくりした英語で話していたジュンも、ケビンさんが来たことで、普通の速さで話しだした。だんだん俺は、聴くので精一杯になってきた。

ここは寮の食堂。
この寮には、60人程が住んでいる。学生、社会人、外国人などいろんな人がいて、そのなかで、会社の同僚は20人程だ。普段は、なかなか同僚以外と話す機会は少ない。せっかく同じ屋根の下、もっといろんな人と話をしたいが、朝晩の挨拶くらいで終わることが多い。ケビンさんと弾んだ会話ができたのも、今日を入れて数少ない。それは、同じ外国人同士である、ジュンとケビンさんの普段の下地があるので、そこに俺が加わっても、3人で楽しい会話ができたのではないかと思う。
何らかの共通項があって、そしてそれを互いが認識しあっていれば、会話は安心して楽しめるのではないかと思う。会話のきっかけもつかみやすい。なかにはほんのちょっとしたきっかけから、あるいは自分からきっかけを作って、どんどん会話に弾みをつけていく人もいるが、俺にはなかなかそうするのは難しい。

旅行の時も感じる。
言葉の壁に加え、きっかけがつかみづらいことがある。いや、きっかけは豊富にあっても共通項、認識の違いから、なかなか会話を楽しめるところまではいかないことがある。それを埋めるために言葉を積み重ねるということにもなるんだろうが。
気持ちの問題か。
もっと試してみればよいのだろうか。

そういえば、今日はこんなこともあった。夕食後に部屋に戻ってくると、隣に住む学生の部屋のドアに、カギが刺さったままだった。ちょうど、先程3人、食堂で話していたときの話題に、寮で物が盗まれるということがあった。それが頭にあったので、カギがドアに置き去りにされているのは無用心だと思い、部屋の学生に連絡したかった。あいにく部屋にはいなかったが、彼は食堂で食事をしていて、カギのことを伝えると、朝からドアのところに忘れて、そのままだったと言う。

一つきっかけができた。
試してみよう。
今まで彼とは、互いに挨拶もほとんどなかったが、明日からは、何かを少しずつ変えられるかな。そう思うと、遠くへ行かなくとも、玄関を出れば旅と同じじゃないかと思う。


渋谷の1ページ

空から見た地球。
今日は文化村へ写真展を見にいった。

写真展は、フランス人の写真家が、5年以上の時間をかけ、5大陸、66カ国を空の冒険旅行をして撮影したものだった。雄大な自然やその不思議、人間の営みを空撮している。会場には、撮影時の模様を撮ったビデオも映し出されていた。
その中で彼は言っていた。
高度5メートルから2000メートルまで、さまざまな高さから撮影し、世界中どこへでも出かけていった。

絵や写真を見に行くといつも感じることがある。それは、来ている人達の鑑賞の仕方。会場について最初のうちは、たいてい込んでいるから、すぐには、その展示物に集中できない。
でも、新鮮で一番インパクトがあるのは、見始めて最初のほう。
見ているうちに慣れてくると、そのうち人だかりが気にならなくなる。
でも同時に、展示物の方もだんだん気にならなくなってくる。
すると、いつのまにか、絵や写真を熱心に見る自分とは別に、周りにいる人達に目が奪われる自分がいる。人の前をちょろちょろと動き回る人や、がやがやと話している人がきっかけだ。
今日もそうだった。

外国人のお父さんが、小さな子供を肩車しながら見学していた。彼は学芸員に見咎められていたが、どうも納得がいかないようで、日本語交じりのどこかの言葉で、必死に注意の理由を問い、その注意が正しくないことを説明していた。

また、こんな人もいた。
人だかりの最前列に出て、写真にくっつくように見学してる女性。彼女の頭が前後左右に動くたびに、その後ろのたくさんの頭も順々に動いてゆく。これはずいぶん見づらかった。よっぽど言おうかと思ったが、目が悪いのだろうか、彼女には彼女なりの理由があるのだろう。
結局、俺はなにも言わなかった。

もちろん、自分が逆の立場になる時もある。
いくらでも。
以前にピカソ展を見にいった時は、ずいぶん周りに迷惑だったろうと思うし、そんなことに気づく時もあれば、そうでない時もあるだろう。
大英博物館で見学した時は、あちこちで記念写真を撮っている人がいたし、座り込んで話をしている人もいれば、熱心に見学してる人もいて様々だった。

一通り鑑賞してから、会場全体を、展示室の隅から斜めに見渡してみた。
所々、展示パネルの前に大きな人だかりができている。
大方の人は同じような見方をしているが、なかには、自分の見方があるのか、ちょっと違う見方をしている人もいて、それはそれでおもしろかった。一緒に行った連れが、「ここにも5メートルから2000メートルがあるね」と言っていた。

そう、5メートルから2000メートル。
満足と物足りなさ。
煩わしさと気軽さ。
見ず知らずの人とのその距離。
それが、親しい間柄だったらどんな感じだ?
似たような習慣、言葉を持つ人達とのその距離。

それが、全く異なる国籍、習慣、言葉を持つ人達だったら、どんな感じだろう?俺は5メートルに憧れるけど、いつも2000メートルの距離があるような気がするな。

次に旅行に行く時は、どんな感じかな。


富士山の1ページ

富士山へ行った。
新宿西口からバスで出発し富士山五合目へ。五合目からは、山頂でのご来光を目指し、夜通しひたすら歩き続ける。夜通し歩きつづけるとは言っても、そこは富士山、2ヶ月の開山期間中に30万人もの人が訪れるだけあって、その光景はさながら元旦の初詣のようだ。ぞろぞろと蟻の行列のように、登山者のヘッドライトや懐中電灯の明かりで、週末の夜の富士には、登山道に沿って光の筋ができる。

それぞれ食料、防寒着などの準備を整えて集合。暑さ、寒さや空腹には個人差があるので、その準備は難しいところ。あまり準備が過ぎると、背中の荷物が重くなる。その登山行を心配する気持ちと、自分の体力、気力の見切り方で背中の荷物の重さが決まる。それは同様に、登山の仕方にも言える。1つのパーティーとして登り始めても、体力、気力の差により、わずか15分程の6合目から、おのずと登り方にも差が出始める。

自分には二度目となる富士登山、興味がある人を誘い、今回は老若男女合わせて各地から25人が集まった。
天の川や流れ星を眺めながら砂利の道を歩いてゆく。岩場になれば、両手を使わなければ登れない。6合目を過ぎてからは、仲間はもう、体力の合ういくつかのグループに別れてしまった。
先頭はどのあたりを歩いているのだろうか。7号目や8合目で、体力の限界を感じてリタイヤする仲間もいる。酸素の薄さから高山病に襲われ、頭痛やめまい、なかには思わず胃の中のものを戻してしまうものもいる。
もう皆、必死だ。
朝5時、歩き始めてから約6時間、自分は8合目を過ぎたところでご来光を拝むことになった。目標の山頂でのご来光は叶わなかったが、天気にも恵まれ、素晴らしい日の出を見ることができた。
来て良かった。
このご来光によって、今までの疲れがいっとき和らぐ。
すでに山頂にたどり着いた仲間もいるのだろうか。日が昇るにつれ、次第に富士の赤い地肌が鮮やかになってくる。

今回のこのパーティーには、25人が集まった。
これだけ大勢を、自分から声をかけて組織するのは初めての経験だ。単に富士登山をするというだけでなく、既知の大切な仲間や初めて会う仲間と時間を共有することで、多くのことを学んだ。今回、このパーティーの中心にあったのは、登ってみたい、興味がある、という人ならば、誰が参加してもよいということ。参加したい人が友達を誘いあい、そうやって人が集まれば楽しいだろうな。そう思った。
そんなことから、友達と参加するものもいれば、兄弟で参加するものもおり、そして多くの若者にまざって自分の母親も参加した。母親が参加することは、自分にとって大きなポイントの1つだった。

元々知っている何かの集まりの仲間だけで過ごすのではなく、自分の知らないいろんな人が来る。
そして、そこで楽しむ。
自分の分は、自分で責任を持って楽しむ。
自分のペースで。
最近はそんなのが好きだ。だから俺は、友達を誘う際にも、いろんな人に声をかけた。なるべく、満遍なく。
このなるべく満遍なくというところが、俺が作った人工的なところ。

かつて英会話教室に通っていた。
そこは、教える人が1人、生徒が20人程の個人の英会話教室だった。全員が一緒に授業を受ける。そこで英語を教えてくれたFumikoは言っていた。

教室以外で他の人と会ったり、授業の後で一緒に帰ったりしないで。ここは英語を学ぶために私が作った人工的な空間。教室以外で関係ができてもここで英語を学ぶのにはなんの役にもたたないから。

そんなことを言っていたと思う。帰り道、一緒に帰れば、どうしても、生徒同士で授業の内容を復習してしまうだろう。それは互いに、疑問に思っていることを聞きあい、わかっていると"思う"ところを教えあうことになる。わからないことがあれば、授業のなかで質問すればいい。それができないなら、授業の前後にFumikoのところへ聴きにいけばいい。それ以外の方法をとれば、逆に誤った英語を身につけることになりかねない。授業以外で会えば、そこに人間関係ができ、肝心の授業では、相手を必要以上に思いはかりはじめ、遠慮や気遣いが生まれる。もともと自分を出すのが苦手な人は、自分はこういう性格だからと他者に依存してしまい、さらに自分を出さなくなるだろう。彼女が伝えたかったのは、自分のことは、自分ではっきり伝える。ここにはみな英語を学ぶために来ている。それぞれ貴重な時間とお金をかけて。そして、教えるほうにも責任がある。そんなことだったのではないだろうか。
教室は、そのための空間だった。

彼女のそのような、絶対的な目的を持って作った空間とは違い、今回自分が作った空間は、それぞれが興味を持って集まったもので、絶対的な目的はない。
だから、自分が作った空間とそれ以外でとくに仕切りはない。
多くの人が集まり、楽しく共有できる空間ができればよいと思っていた。

すべての集まりは、誰かが作った人工的な空間だ。
そして、そこに人が集まった時から、それはみんなの空間となり、作った人の手を離れる。目的があれば、作った人はその目的に合わせて、維持していくようにすれば良いし、目的が絶対的でなければ、自然に形が変わっていくその空間を、楽しめばよいと思う。
時々、自分とかけ離れたものにならないように注意しながら。
どちらにしても、人が関わる以上、自分が考えたものを、そのまま維持することはできないと思うけれど。その労力よりも、変わっていく形のなかで如何に楽しんで過ごすかのほうがおもしろい。そんななかで、楽しいと思って過ごせたら、その作った空間は最高だろうし、それが次につながれば、それはまたすばらしいと思う。

この夏、富士登山を通して多くのことを学んだ。共に過ごした仲間が、楽しい時間だったと思っていたらうれしい。


猿島の1ページ

夏が終わった。
といっても、9月に入った今も38度まで上がる日があったりと、昼間はまだ、夏が続いているような気にさせられることがある。さすがに夏のような暑さがあっても、時折吹く風はもう秋の風だし、空は高い。夕方になれば鈴虫も鳴いている。

今年の夏は十分に楽しんだ。
150%楽しんだ夏だった。
毎週、海に山にと外で遊びまわることができた。今年は天気にも恵まれた、夏らしい夏だったと思うし、仲間や遊び場にも恵まれたと思う。
この夏、遊び場として何度となく活躍してくれたのが猿島だ。

猿島は横須賀沖にある無人島で、縄文時代から人々が渡島したとされている。江戸時代から終戦までは、その時代ごとに軍事要塞としての役目を持っていた。そのためその小さな島内には、古代住居跡や露天掘りの幹道、弾薬庫跡や煉瓦造りのアーチトンネルなど、趣を感じさせるものが今も残っている。

そんな猿島での遊びは、もっぱら海水浴と磯遊び。
水の透明度は日によって違うけれど、大小の魚が飛び跳ねていたり、カニやヤドカリ、イソギンチャクや海綿などを観察できる。泳ぎに自信があれば、島を一周することだってできる。
1.7km。
島の周りはクラゲがたくさん。泳いでる体にやつが触れると、ビクっとする。ほとんどが水クラゲなので、刺されることはないということだが、それでも気持ちのいいものではない。
泳いだあとは、東郷ビールを飲んで疲れを癒す。

猿島は夕方5時までの遊び島。
5時になれば、遊びにきた人と一緒に海の家の人もみな帰る。
そして、その頃になると。
船着場近くの砂浜には、どこからかトンビがやってくる。人間が帰るのをみはからって。

週末、暑い一日になると思い出す。
何度となく飛込みをしたあの岩。
キティホークと戦った、スイカを使ったにわか仕込みのアメフト。

来年もまた、猿島に行くかな。
他の島にも行ってみようか。

猿島で、海に仰向けになって浮かんでいたら、頭の中で、カラカラと砂が落ちるような音がした。最初は気になったその音も、少しすると慣れてくる。そして今は、懐かしい。

さて、今年の秋は...


葛西の1ページ

最近読んだ本にこんなことが書いてあった。

人には、自分の周囲に幾層にも「気」がある。
その「気」の中に、内側の領域線と外側の領域線というのがあり、人が人と接する時、外側の領域線から外は、公共の領域で特に個人的な関心は持たない空間、外側から内側の領域線までの空間では親近感を覚え、心地よい。
さらに内側の領域線の中へ入られると、不快感を感じ本能的に警戒心を抱くという。もちろん、それは人によって異なり、自分からどのくらいの距離のところに、それらの領域線があるかは違う。しかし、誰にでも感じることができる。

そんなことが書いてあった。

学生時代、一緒にバイトをしている仲間の中に、心理学を学んでいるやつがいた。ある日、彼は講義の中で印象的だったことを話してくれたのだが、人と接す]る時は、心で聴いて心で応えることが大切だという。聞くと聴く。答えると応える。後者のほうには、漢字の一部に心という字が入っている。単に、聞いて答えるのではなく、相手の言わんとすることを聴き取ろうとし、それに、心をこめて返す。

その時、二人で達した結論は、気が合う人、気が合わない人というのは、自分が無意識のうちに、心で聴いて心で応える態度になるかどうかじゃないかということだった。

気の話は事実かもしれないが、心の話は考え方の問題だろう。
普段自分が過ごす時間の中で人に会う。
初めて会う人、再会する人、いろいろある。
もちろん、一度きりの人もいる。
その時自分は、一緒に過ごしている人と心で聴いて心で応える会話をしているだろうか。


恋愛はどうだろう。
はじまりは? 終わりは?
それはどんな形でやってくる?

このあいだ、葛西へ行ってきた。

片思いとはどんなもんだ? 


武蔵中原の1ページ

この秋、転職をした友人が何人かいる。
他にも身のまわりには、まだ踏み出すところまではいかずとも、転職を考えている友人もいる。

余儀なくされる、ということもあるだろうが、たいてい、転職は夢なり目標なりを持っている人が、自分の意志で進んでしていくものなのではないだろうか。

自分に置いて考えてみた時、夢?、目標?、うーん、どうなんだろう、と思う。ないわけではないが、しっかりした形があるわけでもない。しっかりした形になることなどあるのかと思うし、しっかりしてからでは、遅いのではとも思う。
転職をした人には、真剣に考える自分とは別に、まずやってみようという勢いもあるのではないだろうか。
経験がないので、想像でしかないのだが。

仕事に限った話ではないが、一つ自分が感じるのは慣れるということだ。

慣れてしまう。

初めての時は、ドキドキしながらとても緊張する。わからないことだらけ。どうしようかと混乱してしまうこともある。2回目になれば、まだまだ余裕はないが、初めてのときに比べれば格段に違う。そして、3回目、4回目と時間が過ぎていくと、そこに慣れ、楽しむようになってくる。そのうち、そこにふさわしい振舞い方も自然にできるようになり、仲間ができてくると、そこで過ごすことがとても居心地良くなってくる。

ある時、こんなことを考えだす。
「俺はこれでいいのだろうか」
そう思い始めた辺りから、他はどうだろう。どうなっているんだろう。そこで精一杯だった自分にも、他を気にする余裕が出てくる。そうは言っても一生懸命やってきたその状態を、せっかく居心地良くなったその場所を変えるという気にはならない。徐々に、少しずつ、気持ちが変わってくる。
ちょっと試してみようかな。
不満はあるが、まだ充実感もある。今のままでも自分で挑戦していくこともできる。

悪くないが、良くもない。
そう思ったら危険だと思う。慣れてくると動きづらくなる。そのままでも、取り立てて問題はないから。自分が作ってきたそれが、居心地がいいから。でも、そうなると次がなくなってしまうような気がする。

初めての時の感覚を大切にしたいと思う。
あの、下手くそで何も知らなかった時の感覚。いちいち、ドキドキして、緊張していた時の感覚。初めてなりの楽しみがあると思う。
上手になって、ベテランになったときもうれしいけど、新しくはじめた時の、あの感覚もたまらない。

最初の一歩を踏みだしてみるかどうかなのかな。
この秋、転職をした友人はどんなことを思ったのだろう。

今日は、中原でそんなことを考えた。


インターネットの1ページ

いつのまにか、インターネットがとても身近になった。
パソコンとモデムとプロバイダーを用意すれば、すぐにインターネットに接続できる。携帯電話でもいい。俺にしてみれば携帯からwebを見る気にはならないけどメールなら充分できる。でも日本では、パソコンからよりも携帯からのインターネットアクセスがとても多いそうだ。今はパソコンを使うにも、webを見たりメールを送ったりするのがほとんどだけど、今後、内外の通信事業者が光ファイバーを引いて、そんで格安料金でそのブロードバンドのインフラを利用させてくれれば、それこそ、テレビ番組や映画なんかもインターネット上で配信されるものからピックアップできるようになる。そしたら、テレビもビデオも要らなくなって部屋の中がすっきりしてくるかな。音楽なんかはダウンロードしてくるのが流行ってきてるようだし。また、近いうちにブルートゥースというのも一般的になりそうだ。そうしたら、携帯電話から自宅の家電にリモートアクセスできるようになる。
GPS機能がついた携帯端末を持ち歩けば、自分の現在位置がわかるからそれを地図代わりにして目的地へ辿り着けるようになるだろうし、逆に誰かから自分の居場所がわかるようにもなるんだろう。電波が届く範囲だったら。

あと数年たったら、自分の身のまわりの生活はどんな風になってんだ?
今でもいつも携帯持ち歩いてるのに、さらに手放せなくなるのかな。万能リモコンみたいになって。そんで家に帰れば、インターネットにパソコンつなぎっぱなしにして。そんなだろうか。

街へ出ると、携帯で電話してる人やパチパチとメールの文章打ってる人がいっぱいいる。いつもどこかで携帯の音がなってたり。携帯が身近になるまでは、親しい人やわざわざ話す用件がなければそれほど電
話もしなかった。だから、携帯のバッテリーの残量やアンテナが圏内に入ってるかとか、留守電や不在着信を気にすることもなかった。だって、電話は互いに家に居そうなときにしか使わなかったもんね。
今まで筆不精で手紙なんか書かなかったのに、メールなら書くということもある。メールなら簡単に書けるし、すぐ送ってすぐ届く。書き損じてもいくらでも書き直せる。今書いてるこの文章もそうだ。簡単にやりとりができる分、不本意な人からメールが来ることもあるけど、気に入らなければ、そのまますぐごみ箱へポイだ。でもたまに、ポイッとしたくなくともパソコンの不具合やウイルスだのにやられると、今までのやりとりやデジカメで記念に撮った写真、大切なデータなどが全部いっぺんにやられちゃってもう目にすることもできな
くなる。
そんなことがないように、常日頃からしっかりバックアップを取っておくか、大切なことは紙に残しておいたり、本当に伝えたいことは会って伝えるということになる。
そもそも、目で見て耳で聞いて自分の言葉で話すのが、そしてそれがライブなのが一番印象強いもんね。できれば、そうしたい。
手間ひまかけてないと、伝わる部分も薄い気がする。

距離があって離れていたりする場合には、とても便利かもしれないけど、これほどまでに限られた電波や電話線に情報のせて発信・受信して、そんなに必要なことなのかと時々思う。
テレビや雑誌だけの頃だって充分に情報が氾濫してたっていわれたのに、今はIT革命なんて言われて、これからも益々広がりを見せて氾濫してくるんだろうな。しっかり取捨選択してかないと情報に飲まれちゃって、多くの時間を情報の送受信に使うことになってしまいそうだ。
同じコンテンツを見ることができる点では差がないけど、利用者が少なければ環境が整わないようになってくるから、そんな意味では都市部と地方の差もさらに出てくるんだろう。

他の国の事情はどうなっているんだろう。
通信分野では日本は遅れている方だから、先進国の北欧や同じアジア地域の香港などではなにか成熟した形になっているのだろうか。
来年になれば、世界に先駆けてW-CDMAという規格の携帯電話が日本でスタートする。これが始まれば、日本以外の国からでも自分の端末で電話が可能になり、より一層、「いつでもどこでも誰とでも」に近づく。電話で話したいと思えばのことだけど。

さて、ITの行く末はどうなっていくのでしょう。


21世紀の1ページ

あけましておめでとうございます。
21世紀の1年目、今年もよろしくお願いします。
年末年始にかけて、友人と3人でアメリカへ行ってきました。
約1年ぶりの海外旅行です。
今回は、その旅行の話を書きます。

この旅行では、ラスベガスでカウントダウンを行い、そしてクルマを使って国立公園をまわろうというものでした。旅のルートはロスから入ってラスベガスへ行き、その後サンフランシスコから戻ってくるというものでした。3人のうち1人は初めてのアメリカ。もう1人はもう何度も来ていて国立公園も過去に周った経験あり。そして自分にとっては今回が2度目のアメリカでした。初めて行ったアメリカはニューヨーク。それは自分の初めての海外旅行でもあり、それ以来約7年ぶりです。

最初にロスへ入ったわけですが、東京の冬とは違いとても暖かい。たまたま暖かいのか、毎年、12月でもこんな調子なのか、ベニスビーチへ行くとビーチ沿いの遊歩道をTシャツにショートパンツ姿の人達がジョギングやらインラインスケート、マウンテンバイクを楽しんでいます。真っ青な青空と強い日ざし、これが今まで何度となく聞いたカリフォルニアの気候なのかと思いました。ロスでは空港に着いてすぐにクルマを借りて移動。このビーチへもレンタカーを使ってきたのですが、普段日本にいてもほとんどクルマを運転することは無いうえに、慣れない右車線の左ハンドル、最初は右へ左へ曲がるたびにワイパーが飛び出します。また初めのうちは左折に要注意。気を抜くとうっかり左側の対向車線へ入ってしまいます。前後にクルマがいたり、対向車がいれば間違うことも無いのだけど、クルマがいないと自分が気づくまでそのまま反対車線を
走りつづけることになります。さらにひどいのは、あとから気づいても、車線が中央分離帯で隔てられている場合。そんな時は流れるクルマを遮ってがんばってUターンするか、自分が曲がってきたところまでバックして、正しい車線へ出直すのみです。一度だけ左折の時に反対車線へ入ってしまいましたが、真ん
前から向かってきた白人のおばさんがクラクション鳴らしながら、猛烈なボディランゲージでこちらに訴えていました。そんなことがあると、隣に座っている友人とドライバー交代と相成るわけです。

ロスからラスベガスまでは、国内線の飛行機を使って移動です。その日予約していたフライトは朝8:22と早く、エアポート近くの宿に泊まっていたが、それでも早起きしなければなりませんでした。3人なので気持ちに余裕ができていたのか、誰も気づくことなく宿を7時半過ぎにチェックアウト。そこからシャトルバスにでも乗ろうかと思って聞いてみると、次の便は8時まで無いとのこと。
それでは間に合わないので、急いでタクシーを呼んでもらい空港へ向かう。国際線と違い空港カウンターでのチェックイン時間もとくに時間を気にせずに良いと思っていたらそれが大間違い。カウンターへ着いたのが8時過ぎで聞いてみるともう遅すぎて乗れないとのこと。次の便へまわされそうになったけれど、なんとか大きな荷物もすべて機内に持ち込み、駆け込みで乗せてもらうことができました。

ラスベガスへ着くとそこではもう空港内にスロットマシーンが。そしてその日は12月31日、カウントダウンです。夜になるとストリップという名のメインストリートはすごい人です。さながら満員電車のような込み具合で通りを歩くこともできません。0:00に近づくにつれ盛り上がり、新年を迎えたその瞬間、最高潮に達しました。ネオンと花火と喧騒の中でのカウントダウン。多くの若者が新年を祝い葉巻に火をつけていました。

さて、カウントダウンを終えて出発です。ラスベガスを離れ4日間、クルマを使って国立公園をまわりました。グランドキャニオンから始まりデスバレーまで、駆け足で6つの公園をまわりましたが、どれも自然にはなるべく手をつけず、しかし過ごしやすい環境に整えてあってとても素晴らしい。カリフォルニアではTシャツで過ごせた気候も、アリゾナやユタへ進んでいくと、朝は-10度になるところも。広大な大陸に続く荒野の一本道、夜になれば星空がひろがる、3000キロのドライブ旅行でした。
三者三様、目当ての公園、そこでの感想は違いましたが、個人的にはラスベガスから北東に位置するザイオンが良かった。切り立った岩の間の道を進んでゆくと岩肌が色を変えてゆくのがわかります。ナローズと呼ばれる岩間に流れるバージン川の中を歩いてゆくコースは、川の水が冷たすぎて行けなかったけれど、いつかまた時間を作って行ってみたいと思いました。公園内で宿泊したロッジも良かった。ザイオンが気に入ったなら、ヨセミテも気に入るはずだ、以前行ったことがある友人がそう言っていました。

ラスベガスへ戻ってきてそこからサンフランシスコへ。最後の2日間を過ごしました。それまでの2つの都市と違い、ここは生活感があり、成熟した都市という感じです。ここでは自分の足とバスやケーブルカーを使い、3人がそれぞれこれまでのドライブでの疲れを癒しながらのんびりと見てまわりました。
自分以外の2人は、アメリカでの食事に飽きてしまい、チャイナタウンで食事ができることにとても喜んでいました。中国人の友人はそれまで、中国を離れるほど中華料理の味も変わっていく。横浜の中華街の料理は中国の味に近くておいしいと言ってたのに、ここサンフランシスコで食べてからは、日本の中華料理は日本人向けだ。サンフランシスコの中華は中国とほとんど変わらないと、まるっきり違うことを言っていました。

失敗はあったものの、事故もなく無事に楽しく旅が終わり、今回はアメリカの広さとクルマ社会を実感して帰ってきました。
帰国した次の日からは、時差ボケを残したまま仕事が始まり、その時差ボケとともに旅の興奮も落ち着き、今ではすっかり元の生活に組み込まれて時間が流れています。

自分達でこぼしながら入れたガソリン。
メインの料理を注文すると必ず乗っかってくる丸ごとのポテト。
眼下に360度広がるラスベガスのネオン。
スピード違反の時の警官の顔と彼のはっきりした英語。
露骨にアジア人を無視していたフィッシャーマンズワーフの魚貝屋。

思い出すと、カントリーソング“Take me home country road”が流れます。今はいろんなことが頭の中に新鮮に残っていますが、この印象が薄くなってきたら、次の旅行どきでしょうか。

さて、次はどこへ。


蔵王の1ページ

バスや電車で出かけていくのが好きだ。
仲間とクルマに乗って出かけるのもいいけど、公共交通機関を利用するのはそれとはまた別な楽しみがある。そこに暮らす人たちが乗っていて、生活や習慣、言葉を垣間見ることができる。
縁があればその人たちに接するチャンスがあると思う。

蔵王へ行ってきた。
今年は雪も多く、それがパウダースノーということで、ゲレンデはとても滑りやすい状態だった。
といっても、スノーボードでゲレンデへ出るのはこれがはじめて。以前に2度、ザウスへ行った経験があるだけだ。これだけの経験でも充分楽しめるほど滑りやすく、午後からは吹雪いたりもしたが、地元の友人にコースを選んでもらいながら、朝から一日中滑っていた。

蔵王へ行く時にバスを使った。山形駅からゲレンデのふもとまで。
蔵王のゲレンデは、雪質やコースの割にはゲレンデまでのアクセスが容易でないことや、収容施設があまり洒落ていないのが難点と言われている。今回は地元の友人のクルマに皆が乗れないこともあって、当初から予定していた通り1時間弱の道のりをバスで移動した。コースを案内してくれた友人とは、中学、高校を山形で一緒に過ごした親友だったが、全員がクルマに乗れないのでバスで行こうと言ったところ、今更この歳になってバスでなんか恥ずかしくて行けんと言われた。彼は皆の荷物を積んで先にクルマで向かった。

蔵王へ向かうバスは一般の路線バスだ。所々でバス停には止まるが、季節柄、乗り込んでくるのはゲレンデへ向かうスキー客とそこで働くパートのおばさんたちだった。始発の山形駅を出て停留所を2つも過ぎるとバスは満員になった。バスの中では、大方の人たちは山形弁で話している。帰省で時々戻ってきているとはいえ、9年も山形を離れているので、やはり懐かしいと思う。一緒に乗った友人は車中でどんなふうに感じただろう。

海外へ出かけると、そこでの移動手段はバスや電車が多い。
費用や安全面から必然的にそうなってしまう。そこでは現地の人の生活を垣間見た気になれる。出かけた先で、生活する人やその習慣を見れるのは楽しい。そんな感覚で、国内を出かける時もバスや電車を利用すると、ふとしたきっかけで会話が始まったり地元の人と接することができて、単に移動と言えども思いのほか旅の気分が増すことがある。国内であれば、言葉の問題がないので尚更だ。

この週末は、東京からの往復も含めるとバスや電車を何度も利用することになり、移動には結構な時間を割いた。しかしそれでもわりと快適な旅だったと思う。
友人は、地元でわざわざバスに乗って蔵王へ行く気にはならなかっただろうが、久しぶりに帰省した自分にはとても新鮮だった。

仲間とクルマに乗って出かけるのも楽しいけれど、バスや電車を利用して、そこに一緒に乗っている人たちを眺めながら出かけていくのもとても楽しいと思う。不便で疲れることもあるけれど、縁があればそこで出会いがあり、会話が始まり、新しい1ページができるかも。

公共交通機関を利用した旅もいい。


幡ヶ谷の1ページ

Beemanetがメールマガジンとして出回るようになって1年になる。
それまでは、Beemanという名で、紙で配布されていたそうだ。
縁あってこのホームページに投稿することになった。
そう、縁があって。

Beemanetの主催者Kyoとは、約2年前にオンラインで知り合った。初めはハンドルネームしか知らない間柄だった。というより、俺のハンドルネームに興味を持ったKyoが、一方的にメールを送ってきた。知らない奴からほぼ毎日送られてくるメールに、俺はずっと無視しつづけた。
ハンドルネームとそいつが送ってくるメッセージ以外、俺はそいつについて何も知らない。老若男女さえも。
逆にいえば、そいつがどんな奴なのか、どうとでも好きなように想像することができた。

花見をする。飲みにこないか?最初に会おうとしたのは彼だった。その頃までには、俺はオンラインでそいつと会話するようになっていた。メールが送られてくるのがいつのまにか当たり前のことになり、その馴れに
応じて、いつのまにか返信するようになっていた。結局、他の約束があったので花見に参加することはできなかったが、その後、俺から誘ったカラオケパーティーで初めてKyoと対面することになる。
そしてそれからは、いくつかのパーティーや飲み会、猿島や富士山で共に過ごした。

こんな出会いもある。Kyoとの出会いを通じて俺は多くの仲間を得た。彼もまたそうだろう。一度会ったきりの奴もいれば、気が合って何度も会う奴もいる。そして同じようにして、いずれ離れてゆく仲間もいるだろう。

人と出会うのはおもしろい。どのようにしてその人と知り合うかは時と場合によりまちまちだが、それは最高の刺激になる。そしてそれは時によって最高の重荷にもなる。それがいい。
これから先、どこでどんな人に会っていくのかわからない。その時、自分は何をやっているかもわからない。
何かで成功しているかもしれないし、何かで失敗しているかもしれない。

別に気にしなくてもいいじゃないか。失敗したらまたやればいいんだよ。
そう言った友人がいた。

失敗してやり直すときも、ゼロからやり直すわけじゃない。1からやり直すんだ。ゼロから1までは一度すでにやっているからわかっている。

1からやり直すのはそう大変なことじゃないと思わないか。
別な友人はそう言った。

俺も書いてみたい。ここに作文を書くきっかけになったのはその一言だった。これから先、いつまで書き続けるのか、いつまでBeemanetがあるのかわからないが、書いてみようと思う。

一周年おめでとう。

 

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