イランレポート2001 by Minnie

 

7月16日 東京→テヘラン
7月17日 シーラーズ
7月18日 ペルセポリス
7月19日 シーラーズ最終日
7月20日 エスファハーン初日
7月21日 エスファハーン最終日
7月22日 テヘラン→東京

 

 

イランウェディングツアーへ

 

 

 

 

 

今日も快晴。鈴木先生が手配してくれた運転手のモスタファから部屋に連絡が入る。約束の10分前。律儀なお人だ。へいへい、今行きます。

今日はエスファハーン初日。昨日の夜11時過ぎに空港に到着し、ホテルの予約が入っていないといったトラブルのあと、なんとかこのホテルにチェックインしたのだった。

ドライバーのモスタファは、(たぶん)真面目で寡黙な男だ。彼は英語をまったく解さず、私はペルシア語をまったく解さず、寡黙にならざるを得なかったも知れないが…。

ホテルのフロントに間に入ってもらい、今日の行き先を確認する。まずはイスファハーンのアルメニア居住地区、ジョルファーへ行く。イスファハーンのアッバース(一世)大帝が、16世紀初頭に優れたアルメニア職人や商人をイスファハーンに呼び寄せたのがこの地区の始まりだ。アルメニアは301年に世界ではじめてキリスト教を国教と定めた国。アルメニア正教という独自の宗派を歩んでいる。

モスクの影響をたぶんに受けたヴァンクー教会の中庭はとてもシンプルだ。ここは博物館も併設していて、展示物も非常に充実し、なかなか見ごたえがある。そこでHenryさんというアルメニア系のイラン人と知り合った。Henryさんは神戸に10年間住んでいて、今でもお世話になった日本人と交流しているという。お世話になったという日本人の名前を一人ずつあげながら、思い出をかみしめている様子だ。

こういうとき、私はとても嬉しくなる。やはり、日本は嫌いだといわれるよりも日本と日本人が好きだ、といわれたい。誰かへの好意や親切、友情が、めぐりめぐってまた他の人への好意や親切や友情へと発展していく。必ずしも与えたgiveはその人からは自分に返ってこないかもしれない。でも、ちゃんと後になって別の人からのgiveとなって返ってくるものだと思う。Henryさんがだいすきだという神戸の日本人に、遠くイランのアルメニア教会からありがとう、といいたい気持ちがした。

Henryさんには、一般公開されていないマリアム教会の内部も見せてもらい、丁寧な説明をしてもらってお別れした。そのあと、車で1時間ほどかけて郊外の村へと向かう。

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キャブータル・ハーネはどこ?と3人乗り自転車の子供たちをモスタファがひきとめる。兄妹だろうか?無邪気に私とモスタファの後をついてくる。乾ききった砂色の集落の中に、とつぜんお城のようなものが現れる。それもごく自然に。このお城のようなものが、モスタファが聞いていたキャブータル・ハーネ(鳩の塔)。昔、鳩がこの塔をねぐらとし、その糞をメロンやスイカの栽培のさいに肥料として役立てたのだという。それにしても数百年前のものなのにまったく崩れていない。すごいなあ。しかもこの村にはそれが二つもある。こんなに保存状態がいいキャブータル・ハーネも珍しいよ、と鈴木先生が言ってたっけ。

ぼーっとして見つめていると、モスタファが身振り手振りで、集落の中にある建物に入れ、という。なあに?と思いながらのぞくとそこはハンマーム(公衆浴場)。はからずもイラン美人の入浴姿を見ることとなる。みなさんスタイルのよろしい事。

そこのおばちゃんたちがまたかわいらしかった。私たちの写真を撮れ、と体全体、表情いっぱいで訴えかけてくる。撮りましょう、ぜひぜひ。でも周囲にいるハダカの女性たちは写さないように気をつけないとね。

興味津々の男性諸氏にあえて一つだけ教えましょう。パンツははいたままでした。

子供たちは、相変わらず3人乗りをしながら後をついてくる。小さな女の子、アタックナンバーハーフに出てくるオカマのジュンちゃんに似ているなあ、なんて失礼な事を思いながらお別れをして、また街へともどった。


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この夏、テヘランでは週に一度の断水が行われている。
イランは今年、記録的な水不足に悩まされているのだ。
エスファハーンも例外ではない。この街を流れるザーヤンデ川にかかるいくつもの橋。この街はそれぞれの橋の美しさでも有名だというのに、川の水は完全に干上がってしまっている。

キャブタールハーネを見学した後、街へと戻って橋めぐりへと出発した。水面にうつる橋の美しさを堪能する事はできなかったけれども、チャーイハーネでお茶をしたり、楽しい時間を過ごす
事ができた。

この頃になると、寡黙なモスタファとすこしずつ仲良くなってきた。「にん♪」と笑いかけると、彼なりにちょっと引きつりながらも「にん」と笑い返してくれる。おおーっ。モスタファも笑うよ、おい。てな感じ。

まあ、おそらく向こうにしてみれば「キレーイ」というペルシア語と「グーッド」(彼はこれくらいしか英語を解さない)ばかりを連発する赤ん坊(イクラちゃん?)のお守にやっとなれてきた、というところなんだろうけれどね。

でも、そんな二人の間で意見が一致したのは、鈴木先生はすでにニホン人ではなく、イラン人だということ。二人でうんうん、とつよくうなずき合い、その頃から心を開き始めてくれた気がする。鈴木先生ありがとう。

その後、マスジェデ(モスク)・ジャーメ、マスジェデ・ジョンバン、アーテシュガーフ(ササーン朝時代<3C-7C>のゾロアスター教神殿)など、車でないと行けないところをほとんどすべて網羅してから、モスタファとお別れした。

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エスファハーンではたくさんの外国人旅行者の姿を見かけた。ヨーロッパからの団体ツアーしかり、世界各地からのバックパッカーしかり。宿泊していたホテルの近くにあったバックパッカーご用達の宿で、家族にメールを送ろうと順番待ちをしている間に、いろいろな人とおしゃべりをする機会を持てた。

そこで出会った日本人のカップルは、二人とも会社を辞めて、1ヶ月の旅行予定だという。彼女のほうは、イランにきて早々に痴漢にあい、どうしてもこの国を好きになれない、といっていた。彼女にはとても同情するけれど、やはり哀しい。どの国にもいい人・悪い人がいるものだ。そしてどうしようもなく運・不運というものもある。少しでも彼女がこの国でいい経験をしてほしい。いやな思い出を吹き飛ばすようないい出会いをしてほしい。やはり、人間によってつけられた心の傷は人間によってしか癒されないと思うからだ。なぜなら人と言う字は二本の棒がささえあって…、

…イランにきてまさか金八モードになるとは思わなかった。

印象的だったのはフランスから来た数学の先生のレネ。フランスからインドまで陸路でぬけて、その後飛行機で国に戻る予定の約2ヶ月の旅。

別に深い会話を交わしたわけではない。他愛なくおしゃべりが始まり、他愛なくその場で別れただけだ。こんな先生がいたら、どれだけ生徒の世界は広がるだろう。世界は広いという事を実感・体感している先生と出会えたら、どれだけ想像力を刺激され、知らない世界を見たいというワクワクする気持ちの背中を押してくれるだろうか。

個人的な体験として、私はいわゆる「学校の先生」に恵まれなかった。いまだに当時にフラッシュバックしてしまい、強いネガティブな感情にとらわれて自分でも戸惑うほどだ。「レネみたいな先生に会いたかったよ」と彼には伝えた。ほとんど泣き出したくなるような気持ちだった。

2通のインターネットメールを送るのに結局2時間近く待って、1時間近くはサーバーが凍ったりしてなかなか接続できず、送れたのか送れなかったのかはっきりしないままその宿を後にした。

明日はエスファハーン最終日。


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