大学が夏休みに入ろうかという頃、僕は4ヶ月ぶりに カルカッタに降り立った。カルカッタの空港に来るのは初めて だったが、インド人に囲まれるのは初めてではなかったので、 税関でインディアンエアラインの食器を持っていることを 咎められたことさえも、軽く笑ってすますことができた。 両替やタクシーでトラブルの絶えないとこの空港について 聞いていたが、何も怖れるものはない。二度目だから「慣れ」て いる。飛行機で一緒だった心配そうな日本人二人を引き連れて、 僕はタクシーでサダルストリートへと向かった。「こいつらは 何をドキドキしているんだ」なんて少し偉そうに思いながら…。
サダルストリートは相変わらずだった。道端で眠る物乞い たち、Tシャツのすそを引っ張る子供たち、「ハロー、 ミスタル」とツーリストを見つけては叫ぶリクシャー ワーラー…。昨日までいた「日常」の世界とはまったく違う。 それだけにいろいろと感じることも多い…はずなのに なんだろう。旅先でいつも感じるドキドキ、ワクワクという 感じがない。新鮮味に欠けており、心からはしゃげない。
デリーに着いてもその気持ちは変わらなかった。出国前から 心配していたイランヴィザの申請手続等のときはうきうきして 楽しい気持ちを味わえたのだが、それ以外の時間、メイン バザールやコンノートプレースを彷徨っているときにいつもの わくわく感がないような感じだった。マルケットやバザールを うろつくのは大好きだったはずなのに。こんなわけの分から ない気持ちを抱えていた頃、日本大使館で同胞の裕司という やつに会った。僕はこの「欲求不満」の状態を彼に打ち明けると、 彼も全く同じ境遇にあるということがわかった。インドは 2回目で、前回のようにエキサイトできない自分が不思議で、 不服だった。「これってよく旅慣れた人がいう『好奇心の摩耗』 ってやつじゃないかな」裕司は言った。「そうだね、なんだか 何を見てもすぐに飽きを感じてしまうんだ…」
やる気が出ない。「旅の達人」たちが昼間からゲストハウス などでごろごろしているのを見て、昔は「何のために旅をして いるんだ、お前らは」なんて思っていたが、今ではそんな 気持ちも少し分かるような気がした。でも、そんな彼らの腐り きった姿を見ている以上、同じことをする気にはなれない。 「なにか」を求めてアクションをおこすのはやめてはならない と強く感じた。「刺激が足りない」のだ。それなら刺激を 探しに行こう。そう思ってそれからの数日間、僕らが訪れた のはやはりマルケットだった。絨毯屋、偽ツーリスト インフォルメーション、クルタ・パジャマ屋などを片っ端 から訪ねてみた。声をかけてくる奴にはすべて応え、 旅の醍醐味であるコミュニケーションをとることに 躍起になった。しかし、なぜだろう、どうしてだろう…?
悩みは解決しないものの、ヴィザが取れると僕は パキスタンへと向かうことにした。途中、中継地点である スィーク教徒の聖地アムリットサルに寄った。ここには、 ゴールデンテンプルという訪問者のための無料宿泊所や 広々としてきれいな建物があり、僕の心は少し躍りはじめ ていた。スィーク教徒たちとともに無料のダルのサーヴィスを 受けたときは、ひさびさの感激を味わった。「これは いける!」束の間ではあったが、回復の兆しが見えてきた。
でも…、だめだった。暑さのためもあるのだろうが、 2時間ほどするとさっきまできれいだった建物が急に つまらなく見えた。話し掛けてくるインド人が うっとうしくなった。「はぁ」とため息をつき、 僕は世界の旅人が出入りする宿泊所のドミトリーに戻った。 寝転がり、天井で速くなったり遅くなったりする扇風機の 羽根の動きを見ながら、ぼんやりと考えていた。 「みんな何を求めて旅をしているんだろう」。そんな僕の 横を、もうゴールデンテンプルに4年間も住み着く リトアニア人のおばちゃんが楽しそうに通り過ぎて行った。
翌日、アムリットサルを離れ、パキスタンへと向かった。 印パ国境は手続が極めて遅い。役人たちはなかなか仕事を 始めないし、何度も何度もパスポートをチェックする。 この印パ国境もそうだが、国境はそれを境に隣接する 2つの国が争った結果引かれた線であることが多い。 その意味でこれは「対立線」であるが、僕はそれとは違う 意味で国境を越えるのが大好きだ。国境が開いている状態を 考えてみる。この状態は人の行き来を生み出す。隣接する 2つの国民は当然として、他にも旅人や巡礼者がそこを訪れ、 通過し、出会う。国境が開いているということは、 両国の間にコミュニケーションが確かに存在することを 証明している。ドラマが起こることを約束してくれる。 ドラマは、やはり、僕にも起こった。
「Apa kabar?」インドネシアのパスポートを持つ 二人組の青年を見かけると僕はすぐにインドネシア語で 話し掛けた。この何日か見続けてきたインド人と比べると 顔立ち等が僕らに近いこと、また日本を出る数日前に 偶然インドネシア人と知り合う機会があったことにより、 親しみを感じたからだ。彼らは思わぬところで聞く母国語に 感激し、僕たちは話を始めた。それ以上のインドネシア語は 知らなかったが、お互いに国どうしの「近さ」を感じていた。 国境の手続が遅い分だけ、僕らの対話の時間は長くなった。
彼らラホールのパンジャブ大学というところの留学生で あった。僕はパキスタンについて何も知らなかったので、 彼らに案内してもらい、結局好意に甘えて大学の寮に 泊まることになった。そこで数人のインドネシア人と 知り合いになった。そこの寮には他にもいろいろな国からの 留学生が来ており、アフリカの人やアフガニスタン人、 ネパール人など、今まであまり知り合うことのできなかった 人と出会うことができた。話し合うことができた。その中で 唯一「旅人」という立場で話をする僕は、自然な流れ として今までの旅について語っていた。韓国、 インドシナ半島、インドなど、今まで行った国のこと、 自分が感じたこと、そして自分が見ている世界について 話した。そして、一生懸命に聞いてくれる彼らの前に、 最終的に僕が出した結論はこれだった。「旅にしろ、 何にしろ、自分で感じたり考えたことは忘れないし、 自分にとって大きな糧になる。自分に自信を与えてくれる。 だから僕は旅をするんだ。」
「そうか」パンジャブ大学の中庭で僕は一人つぶやいた。 旅をすることでだいぶ成長したよな。いつもと違うから いろいろ考えるし、いろいろ考えるから楽しいんだよな。 あぁ、なにが「好奇心の摩耗」だ、偉そうに。少し「慣れ」て 来たからって、格好つけてたんじゃないか?「好奇心」 なんて「摩耗」するか!考えれば考えるほど、知れば知るほど、 楽しくなってくるじゃないか。考えなかったからこそ、 感動が長続きしなかったんだろう。 「よし」何でも見て やろう。何でも感じてみよう。
楽しい予感を感じながら、僕は再び歩き出した。
「あ・つ・い」へつづく