地雷の恐怖(初めてのカンボジア)

今年の夏は中米だ!!そう思い立ち、ソウルで安い航空券を買うために俺は韓国へと旅立った。中米の人々との楽しい生活が待っている。そう思いながら釜山の旅行代理店をまわった。

しかし、どこの旅行代理店、航空会社のオフィスに行っても、ロス行きのチケットは満席で1か月以上待たされるか、とてつもなく高いかのどちらかであった。今までの俺の2回の1人旅はいずれも韓国で、もう特に見たいところもないし、早く他の国に行きたかった。それなのに...このままではまた韓国旅行で終わってしまう。そんな最悪な状況が俺の脳裏に浮かんだ。

このままおとなしく日本に帰ってたまるかっ。中米行きを諦めたものの、その他の行き先を決定するためソウルの大元旅館で2日くらい考えた。中国、インド、ヴェトナムなどなどと行きたいところはいろいろあったのだが、ヴィザなどの関係もあって結局は地域研究で勉強したことのあるカンボジアに行くことにした。

ドンムアン空港をでて約30分、飛行機は未開の地カンボジア上空をとんでいた。空からの眺めはとてもすばらしく、人々が常に恐怖を抱いているなんて考えられないぐらい美しい。しかし、ほとんど情報も無しで飛行機に乗り込んだ俺はその美しさにもかかわらず、どこもかしこも地雷だらけであるような気がした。本当にカンボジアに入るなんて信じられなかった。不安が俺を襲いながらも、飛行機はどんどんポチェントン空港に近付いていく。飛行時間は約1時間10分である。(でも、この短い飛行時間の中でわざわざ頼んでまで機内食を2食も食べたことを思い直すと、実際は不安なんてなかったのかな、とも思う。)

ついにポチェントン空港に着いた。まずはヴィザの取得だ。カオサンで撮った写真を提示するとすぐに取れた。でも、そばにいた中国人は写真をわすれて役人と争っていた。それでもヴィザはもらえたらしい。クメール語が分かるわけではないので確かではないが、「もうめんどくさいから入国してしまえ」という感じだった。結構いい加減だ。ヴィザが取れると次は入国審査だ。俺はヴィザ取得後に入国カードにヴィザ番号を書かなかったためにいちゃもんをつけられた。書けといわれて書こうとすると、字が汚くて読めない。「読めない」と言うと「いいから書け」という。仕方がないので適当に書くと、「違うじゃないか」という顔をしながら入国スタンプを押してくれた。後で気が付いたのだ が、俺がこのとき書いた数字は桁数さえも間違っていた。それでもOKとは...かなりいい加減だ。やっと入れると思いニコニコしていると、「5ドルよこせ」といって止められる。この入国審査官は賄賂を求めているのだ。「なぜだ」と答えると、「じゃあ、いらない」といわれた。やっぱりいい加減だ。そんなこんなで入国までかなり時間がかかってしまった。

空港をでるとかなり暑かった。でもカンボジアに来る前にすでにタイに1週間滞在していたので、特につらくはなかった。バイクタクシーを1台つかまえ、キャピタルゲストハウスへと向かう。道中、とても埃っぽく、息苦しいほどだ。穴のあいた道路と、道路のまわりのむき出しになった土は、地雷の存在を思いださせる。交通状況や、人々の動き、そんなものを見ながらカンボジアに来ていることを実感していた。疲れたのでその日はキャピタルに着いた後ゆっくりと休んだ。

翌日はその次の日からのアンコールワット見学のためにUSドルのチェックをキャッシュに替える必要があった。そこであった友達と二人で銀行を探すため、バイクタクシーを1台借りてプノンペンの市内を走り回っていた。しばらく走っていると、交差点のところで警察官に呼び止められた。「ライセンスをもっているのか」と言われる。当然もっていないが、めんどくさいことになると困るから、適当に謝って許してもらおうとした。しかし警官の目的は「金を取ること」である。にやにやしながら「3ドル払え」という。これは東南アジアでよくある警官による脅しだと判断した俺たちは、初めはこの要求を拒否した。すると警官はポケットに手を突っ込み、銃をチラチラさせる。ビビりつつも市街地 で撃たれるわけはないと思ったので、とりあえず値切ってみることにした。5分くらいもめたが、最終的には一人1ドルずつ払うことで許してもらった。

次の日、トンレサップ川を北上するボートに乗るために、6時に起床し、6時半に出発した。ボート乗り場までは車で約30分。道は悪くないし、車にはクーラーが付いているしで、久しぶりに快適さを味わった。ボート乗り場にはたくさんの人がいて、あやうく乗り損なうところだった。そこでチケットを購入したのだが、各自でチケットを購入したことを考えると、前の日の予約は何だったのだろうと疑問に思う。チケットが買えたのでボートに乗り込むことにした。まずは後ろの倉庫みたいなところに荷物を預けなくてはならない。幅30cm程の狭い通路を歩き、ボートの後部へ向かう。独りで歩くだけで怖いのに、現地人は容赦なくすれちがおうとする。落ちそうになった人が俺の腕をつかんだとき には、本当にヒヤリとした。

ボートの中はとてつもなく狭い。座席に腰かけると膝が前の席にあたって痛い。前方にはマシンガン がつき、警官が見張る。乗り初めの頃、慣れない俺にとってはものすごい緊張感があるように感じら れた。しかしボートが進んでいくうちにトンレサップの雄大さ、周りのきれいな景色、川岸の人々の 生活などに魅了され、できれば途中の集落にもよりたいと感じた。でもそれはこの国の情勢ゆえに許 されない。この国の治安の回復を願うことしかできない。

6時間後、ボートが終点にたどり着くと、そこからシェムリアップの町までは車で向かうことになる。バスなどはないため、停舶所でゲストハウスを決め、そこの人に車で送ってもらうしかない。パスポート番号と名前を記入して、宿泊を決定したChenlaゲストハウスへと向かった。ものすごい悪路である。途中何度もひっくり返ると思いながらも、約一時間半で車はシェムリアップにたどり着いた。

ここでChenlaゲストハウスについて記しておこう。宿泊費は一泊US2〜3ドル。宿の人はきわめて良い人で感動するほどである。俺はここに3泊したが、宿代、飯代(1ドルでおいしい手料理が食べられる!)、そして多少の水代を併せて10ドルで済んだ。オヤジはいつも気持ち悪いほどニコニコしているが、これはガンジャを吸いすぎているためである。夜になると突然みんなの前に現われて、はっぱをまいてくれるが、麻薬をやるつもりのない者にとっては迷惑な話である。

世界で一番すばらしい建築物の一つ。アンコールワットはそう言っても過言ではないだろう。アンコール遺跡群(アンコールワット、アンコールトムなど)の見学に、丸二日をかけたが、全く飽きることがなかった。早朝の日の出はその美しさをさらに増加させ、そこにいる人は、文字どおり、動けなくなるほどすばらしい。タ・プローム、プリアカーン、バイヨンなど、写真だけでもその壮大な建築物は感動に値するが、そのとき俺が味わった感動は、実際にそれを見た者にしか分からないと断言できる。アンコールワットには実際に足を運ぶことをおすすめする。

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ゲストハウスのあたたかさ、アンコールワットの素晴らしさ…。それらに酔いしれていたが、いつまでもここに留まるわけにもいかない。俺はプノンペンに戻ることにした。帰りはプロペラ機で帰ったが、所要はたったの40分。感動も何もない。ただ、航空会社の人の怠慢さでなかなかチケットが取れず、かなり苦労した。

プノンペンに戻ると、帰りの飛行機までのんびり過ごすことにした。ただ、ポル・ポト派の虐殺については、少しばかり興味があったため、キリング・フィールドやツールスレーン博物館に行ったり、現地人に少しばかり話を聞いたりした。

最後の日、友達になったカンボジア人テイと別れを惜しみつつ、空港へと向かった。バンコクへと向かう飛行機の中で、ふたたびカンボジアを訪れたいと強く感じていた。

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