2004年10月31日

スカイマークエアラインズ

福岡への往復にスカイマークエアラインズを利用した。
格安航空会社には随分前から興味があって、イギリス滞在中は何度か利用してみたが、日本国内で乗るのは初めて。

はっきり言ってそれほど期待はしていなかった。ヨーロッパの激安航空会社のように安いわけではないし、サービスなどはゼロなのだろうと思い込んでいたので。ただ、閉鎖的な航空業界に風穴を開けたという意味だけでも応援したい気持ちがある。どうせ大手でも国内線はサービスがないに等しいのだから。

そう思って乗りこんだのだが、乗ってみて驚いた。
機内の狭さはライアンクラス級。これは仕方がないか。しかし、乗務員は感じがよく、ドリンクのサービスも充実していた。ペットボトルでのサービスだが、お代わりも自由。フライトによってはビールもただで飲めるようだ。キャンペーン的にほぼ無料で飛べるような企画もしてほしいが、安さとサービスの維持を両立させている点はすごいと思った。

行きの機内で「財界九州」という雑誌を読んだら、スカイマーク以外の航空業界の新規参入組の話がいくつか書かれていた。興味深かったので帰りの飛行機でもらって帰ろうと思ったが、帰りの機中にはおいておらず、残念。

2004年10月30日

コヤ・クミ結婚式

福岡のアーフェリーク迎賓館で友人夫婦の結婚披露宴があった。この夫婦は2年前のペルシャウェディングツアーで出会い、このたび結婚したのだが、僕がその新婦にイラン行きを勧めたのが2人の出会いのきっかけとなった。また、この新婦は僕の妻の高校の同級生であり、2年半前の僕の誕生日パーティーのときに、妻を連れてきてくれたために、僕たちもつい先日結婚することになった。つまり、偶然にもお互いにキューピット役を務めたカップル同士である。

koyakumi準備に相当時間をかけたというだけのことはあり、かなりこだわりのある、楽しい披露宴だった。「手作り」にこだわったということで、ウェディングドレス、リングピロー、ブーケはそれぞれ出席者の友人が作ったようだし、いきなりオープニングビデオから始まったりした。料理も趣向をこらして美味しかったし、親戚一同のお家芸も見ものだった。引き出物の中に、自分たちで作った日本酒が入っており、会場を沸かせた。

二次会では日本酒の樽酒が用意されており、僕ら夫婦も含めて4人で鏡開きをした。大いに盛り上がった後、樽を持って福岡天神から中州へと道行く人たちにお酒を振舞いながら歩いたのも面白い。それにしても福岡の人のノリのいいこと。声をかけた人の三人に一人は、見知らぬ僕たちからの突然の振舞い酒を気持ちよく飲んでくれた。

屋台でラーメンを食べた後、中州の川沿いで二人を祝いながら樽酒を一気に消費した。久しぶりに酒を浴びるように飲んだなぁ・・・いや、本当に浴びてた感じ。夜中三時すぎにはほとんど樽が空になった。

翌朝、チェックアウトした後、コヤ・クミ夫婦と4人で柳川に出かけた。どじょう鍋を食べ、船頭さんの話を聞きながらゆっくりと川下りをしたのは、これからも家族ぐるみで仲良くしていくだろうこの二人と過ごした貴重な時間となった。コヤ・クミ、本当におめでとう。

2004年10月29日

ピーター

Peter福岡で4年ぶりにマレーシア人のピーターと再会した。彼はこの10月から九州大学のLLMに通っている。BEEMAN時代の友人がアジア最高峰のキナバル山を登山中に知り合った人で、彼に会うのは7年前、4年前に次いで3度目だ。

キナバル山について面白い話を聞いた。「キナバル山ってアジア最高峰だよね? 高さはどれぐらいだっけ?」と尋ねると、ピーターは「僕が登ったときは4100mぐらいだったんだけど、最近測りなおして3900mになったみたい・・・」
200mの「誤差」を持つ、東南アジアの最高峰・・・。

九州大学のLLMは留学生と日本人は完全に別のコースとなっているらしい。ピーターのコースには東南アジアと韓国、モンゴルからの学生が20名ほどで、日本人とは全く交流がないと言っていた。
華々しくスタートしたはずの法科大学院であるが、「司法試験の代わり」というところばかり強調されて、英米のロースクールのような国際的な交流というものが期待できる状況ではないようだ。
九州大学のLLM留学生は全て文部科学省の奨学生である。優秀な人材を日本に招聘し、日本で教育を受けてもらうのはもちろんよいことだが、その優秀な人たちが、日本人にもっと刺激を与えてくれるようにプログラムを作るべきだと思う。公的機関の国際交流プログラム全般に言えることだが、プログラムに予算をつけることのみを目的にしていて、それに関わるごく一部の人たちしか「交流」できない自己満足的な仕組みになっているものが多い。

話がそれた。
福岡タワーに登った後、ピーターに珍しいものを食べさせてあげようと、鶏刺しを出す店に行った。初めは少し抵抗を示していたが、食べてみると随分気に入ったようだ。鶏刺しファンが増えたことを嬉しく思う。いろいろ話をしているうちに、ピーターは食べ物に対する好奇心が旺盛なことが判明。マレーシアでキャンプしているときにはアリクイやトカゲ、リスなども食べたことがあるそうだ・・・。

2004年10月28日

その後

結婚式が終わり、ゆっくりと就職活動をしている。
ゆっくりと、と言うのは怠けているという意味ではなく、現時点で魅力を感じている会社が一社あり、そこのみを受けているため、時間があるということだ。

その会社の複数のサービスを僕は5年以上前から使っている。その会社の社長は、僕が平和学の勉強を終えてブラッドフォードを離れようとしている頃、日本の社会を変えるはずの新しい挑戦を宣言した。ものすごく驚いたし、嬉しかった。

修士論文を終えた頃、その会社は僕が気になっていた分野で新規事業を立ち上げようとしていた。そして、その会社の入社試験を受けることにした。現在選考が進み、最終面接を待っている。次の面接は来月9日。いろいろな意味で待ち遠しい。

立科のパーティー以来、ゆっくりできる時間は主に読書に費やしている。多ければ一日二冊以上、平均でも一日一冊ぐらいは読んでいる。イギリスにいた一年はウンウン唸りながら本とにらめっこをして長い時間を過ごしたが、内容を理解するのに時間がかかり、時間の割りには読んだ本の量が少ない。今のように、いろいろな分野の本を好きなように読める機会は、いつももてるわけではないから貴重だ。さて、次は何を読もうか・・・。

2004年10月24日

ナックルズ

野球チームナックルズ(796s)がいよいよ活気付いてきた。
先月に続き、今日も14名のメンバーが参加。前回加わった新メンバーがほとんどそのまま残ってくれた。これからプロ野球も、他の草野球チームもシーズンオフに入るが、ナックルズの戦力を増強し、春からは試合をどんどんできるチームにしていくために、年末年始あたりまでが踏ん張りどころだ。

数日ぶりにお酒を飲んだ。わいが屋へ行く。この店は以前イタリア料理っぽかった記憶があるのだが、沖縄料理+無国籍料理の店になっていた。定期的にいろいろチャレンジしてるのだろうか。

スポーツの後のビールはやっぱりうまい!やっぱり、しっかり運動をして、美味しいものを食べることが一番健康的なんだろうなと思う。

2004年10月18日

はるばる立科までお越しいただきましてありがとうございました

0402dfbc.jpg二日間、信州立科で楽しい時間を共有していただきまして、どうもありがとうございました。渋滞等、小さなハプニングはありましたが、予定していた127名全員が無事に会場に集まってくださり、予想を凌ぐ素晴らしいパーティーができました。

こちらの準備不足もあり、進行を途中で何度も変更してもらったりしましたが、お手伝い頂いた方と、その場にいてくれた方のご協力により、大満足できるものとなりましたことを嬉しく思います。ピアノや踊り・スピーチなど、みなさんのタレントといくつものサプライズを存分に楽しめました。ようやく布団に入ったときにはすでに朝6時になっていましたが、本当にあっと言う間の12時間でした。
起きたのが9時過ぎであり、それ以前に帰宅された方には挨拶もできず失礼を致しました。

会場が高地にあったため、かなり冷えこんだのですが、幸運にも秋晴れに恵まれ、BBQから存分に楽しめたと思います。この結婚披露パーティーの準備で二度(昨年8月と今年7月)このユースホステルを訪れたのですが、二度とも非常に寒く、夏なのにストーブをつけたぐらいなので、この二日間の天候はまさに一泊二日の結婚披露パーティー日和だったのだなぁと思います。
とくに昨日は雲ひとつない快晴で、ユースホステルを出た後、スポーツや山登り、紅葉狩りを楽しんで帰った方も多いと聞きました。私たちも車山高原や霧が峰を経由し、夜10時過ぎに自宅へと到着しました。

ロカ岬での挙式も、立科での披露パーティーも皆様に相当のご協力を頂いたおかげで、大成功のうちに終わらせることができました。
この一ヶ月は、文字通り、夢のような時間を過ごさせていただきましたが、この夢のような時間を続けていけるように、しっかりと地に足をつけて頑張りたいと思います。

決して忘れることのできない時間を私たちをよく知る家族や友人と過ごせたことが本当に嬉しいです。今まで何度も友人との宴会を開いたことはありますが、そこに家族を巻き込むことがなかなかできなかったので、私たちの結婚を機に、そのような機会をもてたことは大変よい記念にもなりました。

お近くに来られたときには、ぜひお立ち寄りください。
また、それだけではなく、ぜひ、我が家を目的地に、東京へお出かけ下さい。今後も皆様と飲み語り、刺激を与え合っていければと存じます。また、まだまだ未熟な私たちにいろいろなことを教えていただければと存じます。

本当にどうもありがとうございました。


恭&美紀

2004年10月 6日

成田空港へ

e896f170.jpg朝6時に家を出て成田空港に行って来た。
今日はロカ岬での結婚式までユーラシア大陸を横断して自動車で来てくれた友人中西が帰国する日なのだ。フライトの詳細は知らされていなかったが、数人の友人が聞いた話を総合して、KLMで朝8:45に到着する便に乗っていそうなことが前日に分かった。素晴らしい冒険をした中西を祝うため、そして彼に感謝するため、美紀と一緒に眠い目をこすりながら東へと向かった。

8:20頃成田空港に到着し、シャンパンを探すも、見つけられず。代わりに大瓶のビールを買って彼の到着を待った。飛行機は定刻前に着陸したようだが、荷物が出てくるのが遅かったようで、到着から一時間以上待つことになった。

本人からフライトの詳細を聞いたわけではなかったので、もしかしてフライトを読み間違えたのかなと思ったとき、驚くべきことが起こった。
期待していた中西ではなく、まずイナ夫妻が現れたのだった。そして、続いて中西も登場した。
聞いてみると、三人は偶然オランダからのフライトが一緒で、アムステルダムのスキポール空港で会ったのだという。なんと言う偶然だろう。面白すぎる。

イナ夫妻との思わぬ再会という素晴らしいスパイスも加わって、空港での中西のための祝杯は盛り上がった。リュックからロカ岬でもらった巨大な盃を取り出し、みんなで杯を干した。これでロカ岬の結婚式に来てくれた人はほぼ全員無事に帰りついたことになる。よかったよかった。

中西の最終目的地は僕が留学していたイギリスのブラッドフォードになったのも面白かった。リスボンで別れた後、結婚式にブラッドフォードに来ていた3人からそそのかされて(?)ブラッドフォードに向かったらしい。そして、彼の今回の旅で最も長い5日間をそこで過ごし、無事車のもらい手も見つけた。これから数年間、あの車はブラッドフォード付近をうろうろするのかぁ。

成田から帰りの電車で中西にいろいろ旅の話を聞いた。とくにシベリアは厳しかったようで、脅されたり、神経をすり減らすような思いを何度もしながらも切り抜けてきたようだ。彼自身が旅行記にまとめることを期待して、ここには詳しく記さないことにする。

「何があっても結婚式には行こうと思ってた」と彼はさらっと言ってのけたが、過酷な旅を結果的に予定通りにこなした中西はカッコよすぎる。お疲れさま、そしてどうもありがとう!

2004年10月 4日

ロカ岬にて

9a194932.jpgリスボンからロカ岬までタクシーで約40分。
車は坂を登り、そして下り、大西洋へと近づいていった。
一年半前に決めたロカ岬での結婚式。それが実行のときを迎える。

結婚式の場所を、一般的にどう決めるのかはよく知らない。
僕たちの場合は、結婚することを決めた瞬間にすでに場所が決められているようだった。一人旅を終え、二人での旅を始める――そのためにふさわしい場所があった。
その場所はとても遠かった。3度もユーラシア大陸横断を試みながら、僕自身一度も辿り着かなかった場所だ。しかも、ユーラシア大陸の最西端であるこの場所は、結婚式をするための施設はなにもない。

それでも僕たちにとっては決定的に重要な場所だった。いくつかの旅行会社は「ロカ岬で結婚式をしたい」という僕たちのアイデアに戸惑ったが、友人たちにこの計画を話すと「面白い」と言ってくれたので、この計画の実現のために尽力することができた。

約一年間、イベリア半島を専門エリアとする旅行代理店がこの話に乗ってくれた。航空券と現地でのツアーおよび移動手段を手配してくれ、結婚式の手助けをしてくれるというエージェントを紹介してくれた。
日本にいる間はスペインやポルトガルのエージェントと連絡を取るのに非常に時間がかかったし、現地に赴いてからも来るはずの連絡がなかったりと焦る場面もあったが、全てがセットになったプランを頼んだわけではないのでご愛嬌というところだろう。予定外のこともありながら、最後には必要なものが全てそろうという、まさに旅をしているときの感覚そのままで、無事結婚式の当日を迎えることができた。

全ての準備が整い、車に揺られているとき、今まで感じたことがないほど心が熱くなっているのを感じた。ロカ岬に着くと、快晴と奇跡的な無風状態が待っていた。そして、友人・家族を含め総勢58名がそこに集った。100メートルを超えるバージンロードを彼女が歩くことから始まった結婚式は来てくれた人たちのおかげで素晴らしいものになった。

世界中からロカ岬へ来てくれた人たち、そして、この計画を支えてくれた人たち、本当にどうもありがとうございました。