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2007年03月30日
さようなら、ライブドア
ライブドア最終出社日。ついに今日で終わりだ。もう六本木ヒルズに来ることはしばらくないだろう。
2年強、ここを拠点に働いていたが、ほぼ毎日取材でどこかに出かけていたので、六本木のランチ事情には疎いままだった。六本木ヒルズができて以降、この周辺は観光地化されてしまっており、値段に見合った食事を提供する店がほとんどないように思う。今日も昼ご飯をどうするかで悩んだ。
僕の少ない経験から、六本木周辺で納得できる店は4店舗だ(ランチのみ)。
・麻布十番「acave」:変わり石焼ビビンバの店。同じ店が六本木ヒルズノースタワーにもあるが、値段は高いしフレンドリーさが全然なくNG。行くなら麻布十番へ。いろいろな種類のお茶が選べ、飲み放題なのもいい。
・六本木「穴子拉麺 駄菓子屋」:あっさりしたダシと焼いた穴子の骨がうまい。柚子胡椒を少しいれて食べると絶品。丼と麺、点心セットで800円というのもこのあたりではリーズナブル。
・西麻布「祇園いの幸」:夜は高級料理屋。正午過ぎに行かないと魚料理がなくなっちゃうので、この1年はいく機会なしだった。残念。
・六本木「ラージマハル」:ヒルズに勤めるインド人に大人気の店。味もいいが、店長の人柄はもっといいと評判。ランチのドリンクではソルトラッシーがオススメ。
今日は結局、駄菓子屋を選んだ。1人だったし、あっさりとしたものが食べたかったから。この店は穴子で有名な宮島近辺にも出店すべきじゃないかと思う。当地での穴子飯の人気は高いが、敬遠する人も多いので。(先日、妻の実家に来ていた妻の妹の友達が「宮島でなに食べたい」との質問に「ラーメン」と言っていたというだけだが、笑)
この店の近くに今日、東京ミッドタウンがオープンしたので、ついでにのぞいてきた。僕はこういう大型商業施設は大嫌いなのだが、少し歩いた率直な感想としては、なかなか感じがよかった。六本木ヒルズの歩きにくさとは随分違う。僕は六本木ヒルズに始めて来た時(ライブドアに入ることすら思いもつかなかった頃だが)、“50年後の超巨大廃棄物”と名づけたぐらいだ。吹き抜けのショッピングエリアはかなり明るいし、大きな裏庭に桜が咲いているのもいい。あまり人がいないなら行ってもいいかな。
それにしても、ここがオープンする日に六本木ヒルズを離れるというのは不思議なものだ。ある意味、時代の潮流に乗っていると言えるのかもしれない。
ライブドアに入ったのも不思議な縁だな。イギリスに留学中に感じたことが、その根本にある。その当時、だんだんゼミに出席する人が少なくなって、英語で苦戦していた僕は意地で発表とかをしていた。日本のことを話すことが必然的に増えるわけで、最新の論調を知るために各新聞社の記事をネットで読んで、他国の学生にいろいろ説明しているとき、日本の新聞の右・左というのが何の意味もなさないことと、外国の新聞に比べて記事がしょぼいことを強く感じた。漠然とネットでニュースをやるとどうかなと思いながら帰国し、修士論文を書き上げたときに見つけた広告が、「ライブドア、ネットニュースの記者募集」だった。
「既存メディアを壊す」という堀江氏の言葉にひかれたわけではない(面白いこというな、とは思ったが)。ライブドアなんて怪しい会社だなと思いながらも、ライブドア・ニュースの立ち上げを実質一人でやっていた小田氏が、記者に必要であるはずの永続的な研修・教育について熱く語っていたことが、僕が他との比較もなしに入社を決意した理由でもある。「きちんとした取材をするには、その事象の背景を理解する必要があり、それには継続的な研修が不可欠。新聞社などは組織としてそれをする仕組みはなく、経済の知識のある経済記者が現実問題として少ないが、ライブドア・ニュースの記者にはそういう事実を踏まえて“身のある”記事を書いてもらう…」。この言葉に妙に納得したものだ。
入社直後は朝7時半にほとんど誰もいない六本木ヒルズに集合して、勉強会をしていたのを思い出す。1カ月ほど続けた後、「早く記事書いてPV上げろ!」みたいな会社からの要請で、突然記事を書くことを要求され、研修期間が終わった。深い取材をした長めの特集記事(こういうの)を1-2週に1本書いていくはずだった編集方針が、突如、「日々是原稿」に変わった瞬間でもあった。僕は意味も分からないまま、ライブドア・ニュース最初の記事を書いた。その後は、とにかく何らかのネタを探して、毎日どこかで取材することになった。
企業の広報などとのコミュニケーションを含め、取材源を少しずつ開拓しながらも、「とにかく今日も明日も原稿を書かねば」との思いで文字を埋める作業をしているうちに2年が過ぎた。途中、苦悩もあったが、ネタがなくとも何か文字列を残さねばとの義務感があり、実は暇な日ほど悩み、移動はダッシュで1日に3-4本も原稿を書く日の方が楽だった。
余裕がないまま、“ネットニュースのはしり”の誇りと大局観を、既存メディアの経験者任せにしてしまったことは、大いなる反省点である。報道記者としては経験が浅いので、“ギョーカイの常識”ではこれはNGかなと、勝手に遠慮してしまったことも多い。つまらぬことを繰り返していれば日々の業務として認められるので、その流れに甘んじることもあった。
「しょぼい」と思っていた日本の新聞社にライブドア・ニュースは発足以来全然相手にされないままで、このままではまずいと動き出したのはたったの半年前。06年秋のことだった。夏にデスク不在で“臨時デスク”という役割を担わせてもらったことを契機に、少しずつ提案を重ね、年末に編集長からリーダーとして率いていいよという許可を頂いた。07年1月、メンバーの意見吸い上げと独自性の発揮を試み始めた途端、部門が閉鎖になった。
無念である。しかし、この決定に不服を申し立てるほど、僕はライブドア・ニュースという組織を内外から魅力的なものには全くしていなかった。そして、リストラ退職の条件の“おいしさ”の方を選んだ。
最終出社日の今日、閉鎖された3部門の皆で打ち上げようという企画があったが、その場には約半数の12人しか集まらなかった。こういう日は、もしチームがきちんとできていれば、何があっても全員がそろうはずである。しかし、完全に部門ごとに分裂し、ほとんど仕事の接点をもたなかった総勢25人は、最後の日もそろうことはなかった。
各部門のデスク間の内紛に抗えなかったことは残念。一記者の立場でも、もっとできることはあったという後悔は先に立たなかった。僕自身のネットニュースへの挑戦はひとまずここで終わる。しかし、この過程で会った人との付き合いは、これから永続することだろう。志を一にすべきでありながら、そうする機会を持たなかった25人。それを何とかまとめようとしながらできずに組織は終わってしまったが、ライブドアなんて会社に入り、新しい分野を切り開こうと一瞬でも考えた勇士たちのつながりを作っていくことはできないかな、なんて思っている。
投稿者 beemanet : 2007年03月30日 23:59
コメント
まぁ、いろいろな流れがありますね。
予想できることとできないこともあるし、予想していない変化に巻き込まれても、いい方向に行くこともある。
「書く」という行為は、ライブドアに入る前からもずっとやっていたことだし、今後も続けていくつもり。でも、今後は報道記者のように人のやっていることを取材して書くだけでなく、自分自身も活動的でありたいと思っており、そのための準備を進めています。
4月7日の花見で会いましょう!
投稿者 Kyo : 2007年03月31日 23:25
こんにちは。お久しぶりです。
評論家の山崎元氏が、自身のブログの、3月19日(月)のエントリー「堀江貴文氏への判決に思うこと」( http://blog.goo.ne.jp/yamazaki_hajime/e/43002560038a3e381e45732ab1fba024 )において、「もっとも、私は、直接面識はないが、彼のビジネスに対するセンスと集中力、それにメディアに対して発言するときの目の付け所など、彼のある種の個性と能力が好きだ。」と書いていました。
全面的に賛同することは当然無いものの、ホリエモンの発言を興味深く見ていた一人として、そんな人が率いていた組織で過ごしていた期間のことを書かれていて、今回のエントリーは大変面白かったです(当然ながら、悪い意味ではなく)。
投稿者 toru : 2007年03月31日 09:44
おつかれさま。文章を読んで考えさせられる部分がたくさんあります。この貴重な機会をばねにさらに飛躍されてくださいね☆
投稿者 ina : 2007年03月31日 09:33